【連載エッセー『たゆたゆ – くまがや日記』】第十三回:まぐろを買いに行く
山本 ふみこ
半世紀以上暮らした東京から埼玉県熊谷市に転居して、この5月で3年。
無理せず、自分たちにできるやり方で、日日を積み重ねてきました。
その意味で、東京に住んでいたときと、暮らし方、近隣の皆さんとの距離のとり方、何もかもあまり変わらなかったと云えるでしょう。
どこにいたってわたしはわたしだ、ということを実感した日日でもあったのです。
けれど熊谷の街を好きになるため、してみたことがあります。
それ、とは、気になるお店の客となること。
手はじめは、家の近所の怪しげな(失礼!)居酒屋でした。その店の前に立ったとき、宮沢賢治の『注文の多い料理店』を思いました。
山奥で鉄砲を持って狩をしていたふたりの紳士が、すすきが原でみつけた「山猫軒」という西洋料理店のお客になる物語です。
物語の恐ろしいイメージをふり払い、わたしはひとり居酒屋の客となります。
カウンター席で焼酎を飲み、もつ煮こみや明太子入りの卵焼き、穴子の寿司を食べながら、気がつくとくつろいでいました。
「ごちそうさまでした」と云って外に出たとき、またしても『注文の多い料理店』のおしまい近くのくだりを思いだしたのです。
店がけむりのように消え、ひとり草の上に立っていて、上着や靴やカバンや財布がちらばっている……なんてことはありませんでした。
また来ようっと、とつぶやきつぶやき歩いて帰りましたとさ。
以来、わたしは勇気を携えて初めての店の客になりつづけ、気に入りの個人経営店をふやしていったのです。
総菜店。洋菓子店。和菓子店。パン店。さかな屋。大衆食堂。中華料理店。もつ焼き屋。焼き鳥屋。居酒屋。ワインバー。カフェレストラン。うどん店。蕎麦屋。寿司店。食べもの屋さんばかりじゃありません、画材店、書店、時計店、自転車屋、ネイルサロンも。
地元のお店を知らないままでも、暮らせます。だけど、おもしろがりながらわたしは、縁(えにし)をつかみとろうとする力をつけたみたいです。
さて、これを書き上げたら、大好きなさかな屋さんまで自転車を走らせ、まぐろを切ってもらおうと思います。
文/山本ふみこ
1958年北海道小樽市生まれ。随筆家。ふみ虫舎エッセイ講座主宰。東京で半世紀暮らし、2021年5月、埼玉県熊谷市に移住。暮らしにまつわるあらゆることを多方面から「おもしろがり」、独自の視点で日常を照らし出す。最新刊『あさってより先は、見ない。』(清流出版)、ほか著書多数。
http://fumimushi.cocolog-nifty.com/
https://www.fumimushi.com/うんたったラジオ/
写真/丸尾和穂
岡山県生まれ。シグマラボ、代官山スタジオ勤務を経て2010年独立。インスタグラムは @kazuho_maruo
https://067.jp
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