【連載エッセー『たゆたゆ – くまがや日記』】第二十二回:子どものとなり
山本 ふみこ
幼い日の記憶です。
家からほど近く、美容室「ロン」はありました。
母は、ここで髪を切り、パーマネントをかけます。髪をふわっとまとめた、母より少し年上のママさんが、白衣を着てひとりで仕事をしています。
母にくっついて、わたしもときどき「ロン」のお客になりました。
大きな鏡。シャンプー台。パーマネントのお釜(カーラーで巻いてパーマ液をつけた髪を乾かす、かぶる仕様のヘアドライヤー)。みんなみんな魅惑的でしたが、子どものわたしのこころをつかんだのは、それじゃありませんでした。
美容室の入口近く、順番待ちをする長椅子の横手に置かれた本棚です。
大人が読む婦人雑誌とともに、そこには少女マンガ雑誌がありました。
ある日、手をつないで母と、「ロン」に行きました。
いつもなら、帰るまで母がいっしょですが、その日は「ロン」の入口でママさんに母は、「それでは迎えにくるまで、お願いします」と云って、わたしの肩をぽんと叩くと、急いで行ってしまったのです。
髪を切ってもらいました。
散髪後、からだを覆っていたケープをはずしながら、「ロン」のママさんが、順番待ちをする長椅子を指さして云いました。
「あそこに坐ってこの『別冊』を読んで、お母さまを待ってくださいな」
「別冊」というのは、連載ものではなく、1回で完結する読み切りで編まれたマンガ雑誌です。
生まれて初めてふみこちゃんは、マンガの世界をひとり、歩きまわりました。
なぜと云ってね、わたしの母は、TVアニメは観ていいけれど、マンガは本も雑誌も買ってあげません、という方針をもっていたのですもの。
「巨人の星」「タイガーマスク」など、かなりハードなアニメは観ていいのに、マンガ雑誌「少女フレンド」や「マーガレット」はダメ! だったのです。
それはおそらく当時の母の教育方針だったのですけれど、この世で「ありゃ、いったい、なんだったの?」と、聞きそびれました。
初めてのマンガ冒険の日のあと、髪を切るのでもないのに、わたしはときどき「ロン」に行って、長椅子でマンガ雑誌を読んだのです。
迷惑じゃなかったのでしょうか。
いえ、迷惑に決まっていますが、「ロン」のママさんは、「いらっしゃい」と云って、「別冊◯◯」を渡してくれたのです。
子どものとなりに、両親でもない、祖父母でもない、学校のせんせいでもない大人が存在することは、どれほど大事なことでしょう……。
「ロン」のママさんを思いだすたび、わたしはいつも、泣きそうになります。
文/山本ふみこ
1958年北海道小樽市生まれ。随筆家。ふみ虫舎エッセイ講座主宰。東京で半世紀暮らし、2021年5月、埼玉県熊谷市に移住。暮らしにまつわるあらゆることを多方面から「おもしろがり」、独自の視点で日常を照らし出す。著書多数。最新刊『むべなるかな』(ふみ虫舎)のお求めは、山本ふみこ公式HPへ。
http://fumimushi.cocolog-nifty.com/
https://www.fumimushi.com/うんたったラジオ/
写真/丸尾和穂
岡山県生まれ。シグマラボ、代官山スタジオ勤務を経て2010年独立。インスタグラムは @kazuho_maruo
https://067.jp
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