【金曜エッセイ】あなたの居場所はどこですか
文筆家 大平一枝
第三十七話:あなたの居場所はどこですか
大学生の娘が春休みの間、長野の祖父母宅に居候をしていた。途中1度、東京に戻った。その時のことをこう語った。
「ひと月経って東京に戻ったとき、新宿駅から出たところに小さな水たまりがあってネオンが映っていたの。それ見てああ、東京だなって懐かしくなった。でも、今回ふた月ぶりに帰って新宿駅に降りたら暖かくて、長野の空気の冷たさが懐かしくなっちゃった」
ホームタウンというのはいつでも懐かしいものだと思っていたが、どうやら違うらしい。
祖父母宅では、起床時間や入浴の流儀について細かく注意されていた。「仲良く孫と過ごせるかと思っていたけれど、ぶつかってばかりだった」と母が電話で嘆いた。時間にルーズな孫に立腹し、父からも私のしつけが甘いからだといわんばかりに責められた。
朝も夜も早い年寄りふたりの生活に、わがまま放題に育った19歳が音を上げて、途中で帰ってくるのではと内心ひやひやしていた。
にもかかわらず、意外にも当の本人はきりっと冷えた長野の空気が懐かしいという。文句や小言を言われても、どんなにぶつかっても、自分をまるごと引き受けてくれた空気は居心地が良かったのだろう。かりそめであろうと、そこは間違いなく2ヶ月の間、彼女の“居場所”だった。
生まれ育ったとか、景色がいい、清潔で美しい、長く住んだなどの情報や事柄に関係なく、自分を肯定してくれる人たちとともに過ごせば、そこが居場所になるのだと私は知った。
たとえば親しい友達と料理や酒を酌み交わしているとき、ああここは私の居場所の一つだと実感する。空間ではない。いうなれば、空気だ。何を言っても、気負いなく自然体の自分でいられる。そういう空気によって醸成された場所が居場所になるのだ。
そう思うと、たとえ1日でも誰かとともに過ごす時間が、相手にとって居心地のよいものであるようにと心を砕くことは、とても大事に感じられる。孫と祖父母は当然だが、一期一会の出会いでも、そうありたい。新しい出会いが増える季節だからこそ、そんな思いを強くしている。
文筆家 大平一枝
長野県生まれ。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。『天然生活』『dancyu』『幻冬舎PLUS』等に執筆。近著に『届かなかった手紙』(角川書店)、『男と女の台所』(平凡社)など。朝日新聞デジタル&Wで『東京の台所』連載中。一男(23歳)一女(19歳)の母。
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