【金曜エッセイ】メールの二行でも、思っている以上のことが伝わる
文筆家 大平一枝
第七十二話:メールの前文が上手い人
雨や台風が続いた9月初旬、とある媒体の担当者から連絡メールが届いた。前文に、次のような言葉が添えられていた。
『お天気の変化すごいですね。
少しでも洗濯ものを気持ちよく乾かそうと、ちょっとの晴れ間も逃すまいとしております』
連絡が密なふだんの連載担当者と異なり、彼との仕事はイレギュラーで年に一度あるかないかだ。今回は暮らしにまつわる記事について数回やり取りしている。
そのメールにいつも必ず冒頭1〜2行、時候の挨拶や近況が書かれている。
朝から曇ったり晴れたり、しとしとしたりと忙しい空模様の日だった。私も、窓越しに雲間から夏色の光が差し込むと慌てて部屋干ししていた洗濯物をベランダに出していた。読みながら、みんな同じだなあと、心がなごんだ。
いまどき、時候の挨拶など、メールの前文になくても支障がないかもしれない。ムダで、簡潔にしたほうが良いと考える人もいるだろう。
連載を組むような編集者は気心がしれているので最近面白かった小説や芝居、あるいは体調、世の中のことなど自然に書き合うが、不定期のその場限りの仕事相手とは、ビジネスライクにやり取りすることも少なくない。
しかし、それほど会わない仕事相手だからこそ、一見無駄に見えるこういうやり取りが重要ではないかと、彼のメールを見て思った。
たった二行でも、思っている以上のことが伝わる。たとえば既婚と聞いたことのある前述の彼なら、家事をパートナーと折半してやる人なんだな、季節感を大事にしているんだな、地に足のついた生活をしているんだな、など。暮らしがテーマの記事なら、それらの情報は仕事をすすめる仲間としてとりわけ意味を持ってくる。何をどこまで共感してもらえるか、ものさしのひとつになる。
わけても重要な効用は、仕事相手とていねいなコミュニケーションをとりながら進めることを大切にしている、という姿勢が伝わることだ。
何十文字かのことで、そこまでわかるかと思われる向きもあろうが、わずかな文字でも、本人が思っている以上に“心”が伝わる。季節感、生活、仕事、協調性。その人が何を大切にして生きているか、行間からもにじみ出る。短い言葉のSNSでも、ときに深く心を痛める人もいる。それくらい、言葉には霊(たましい)が宿っている。
何事も効率よく無駄を省き、シンプルばかりがいいわけではない。人間関係においては、言葉に託された小さな思いやりが、潤滑油や発奮のきっかけにもなる。
リモートワークの合間に、洗濯物を取り込んだり、出したりしている人を想像しながら、メールの前文の存在意義についてじっくり考える午後なのであった。
文筆家 大平一枝
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。『東京の台所』(朝日新聞デジタル&w),『そこに定食屋があるかぎり。』(ケイクス)連載中。一男(24歳)一女(20歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
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