【なんでもない日の物語】第1話:カワセミと宝石箱
編集スタッフ 寿山
どこか、遠くへ行きたい。
そう思っても、すぐ旅へ出ることは叶わない。寂しさを感じていたとき、大好きな編集者の方が、趣味で観察している野鳥の話をしてくれました。
ごく身近な川べりや公園にいる鳥たちのことを、さも楽しげに語る彼女の言葉は、頭のなかでとりどりの色が散りばめられた絵となって……。やわらかく、心を満たしてくれたのです。
遠くに行かなくても、美しいものはそばにある。そんな希望をくれた野鳥の話がもっと聞きたくて、3羽の物語を綴っていただきました。
第1話は、まるで宝石のように青い羽をまとう「カワセミ」の物語です。
カワセミと宝石箱
文・渡辺尚子
子どもの頃、母の宝石箱をこっそり開けてみたことがあります。
あの日、留守番に飽きたわたしは、母の寝室に入ったのです。
鏡台の引き出しをのぞいたら、木彫りの箱がしまってありました。ふたをあけると、翡翠(ひすい)の石をはめこんだ指輪がひとつだけ。
その吸い込まれるような青に驚いて、「もしかして中に光が入ってるのかな」と考えた幼いわたしは、その指輪をそっと、窓の光にかざしたのでした。
カワセミに会うと、あの指輪を見つけた瞬間を思い出します。
すずめぐらいの小さな鳥で、翼の吸い込まれそうなコバルトブルー、あるいは明るい翡翠色。どんなに絵具を混ぜても、あんなにいきいきとした色は生まれないでしょう。
見慣れた景色のなかをカワセミがパッと横切るたび、なんだか宝石を見つけたような気持ちになるのです。
枝先に止まって魚を狙っているときのカワセミは、ひっそりとして地味です。翼は閉じられているし、なにせ小さい体だから、周囲の景色にまぎれてしまうのです。
そのなんとなくむっつりとした感じでふくらんでいるところも、じつは愛らしい。頭のてっぺんがモコモコしているし、体のサイズに比べてクチバシが長いし。
魚を見つけるや「チチッ」と一声、鮮やかな青が流れ星のように水辺を横切ります。
見かけた人が「アッ」と声をあげると、周りの人も振り返ります。「いま、カワセミが……」「あら」とにこにこする、その様子にも心が和みます。
そういえば、カワセミは漢字で「翡翠」と書きます。石から名前をとったのかと思ったら、石のほうが、カワセミに似ているという意味で翡翠と呼ばれるようになったのだそうです。
カワセミは渡り鳥ではないので、気に入った水辺を見つけると一生をそこで暮らします。人里離れた場所でないと……ということはなくて、案外身近なところでも見かけます。池のある公園だったり、郊外の川べりだったり。
そんなふうに、人が暮らしている、ごくふつうの景色のなかにいるところもまた、カワセミの素敵なところです。
もし近所でカワセミを見かけたとしたら、そこは水がきれいで、魚やエビがいて、緑があって、生きものが暮らしやすい豊かな場所だということ。
いまは住んでいなかったとしても、池や川をきれいにすれば、カワセミが魚をとりにくるかもしれません。そうやってカワセミが住み着くようになった公園や水場が、都内にもあります。
どこにいてもたいてい、鳥はいます。
耳をすませば鳴き声が聞こえ、小さな影が頭上を横切り、運がよければ姿を見かけることができる。その瞬間、宝石をかざした時のように、心に光がすっと差し込みます。
「たとえ特別な場所でなくても、何もない平凡な1日であっても、うつむきがちな時でも、キラッと光るような嬉しい瞬間が必ずある」
このことが、鳥を見るようになって知った、一番大きな発見かもしれません。
渡辺尚子
東京郊外で暮らすライター、編集者。野鳥好きの家に生まれ、手を動かすことと野鳥を見ることが好き。「かつぶし刑事」という名の猫が家にいる。編著に『ちいさないきものと日々のこと』(もりのことブックス)、『糸と針BOOK』(文化出版局)など。「暮しの手帖」で、手にまつわる物語「てと、てと」を連載中。(photo 松本のりこ)
ユカワアツコ
主に鳥の絵を描くイラストレーター。バードウォッチングと同じくらい、古い日本画や障壁画に描かれた鳥を見てまわることが好き。ここ数年は古い引出しや木箱の中に野鳥を描くことを続けている。梨木香歩著「冬虫夏草」、松家仁之編「美しい子ども」(共に新潮社)ほか装丁画も手がける。
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