【なんでもない日の物語】第3話:ツバメとあかね雲
編集スタッフ 寿山
どこか、遠くへ行きたい。
そう思っても、すぐ旅へ出ることは叶わない。寂しさを感じていたとき、大好きな編集者の方が、趣味で観察している野鳥の話をしてくれました。
ごく身近な川べりや公園にいる鳥たちのことを、さも楽しげに語る彼女の言葉は、頭のなかでとりどりの色が散りばめられた絵となって……。やわらかく、心を満たしてくれたのです。
遠くに行かなくても、美しいものはそばにある。そんな希望をくれた野鳥の話がもっと聞きたくて、3羽の物語を綴っていただきました。
1話目のカワセミ、2話目のカモにつづき、第3話は春の訪れを告げる「ツバメ」の物語です。
ツバメとあかね雲
文・渡辺尚子
春の訪れを、どんなことで知りますか。梅の花が香ったら。桜の花が咲いたら。マフラーがいらなくなったら、なんてこともあるかもしれません。
ツバメの姿を見かけるのは、梅よりも桜よりもマフラーよりも後のこと。駅舎や民家の軒先で、あの黒白の野鳥を見かけると、季節がぐっと先へ進んだ気がします。
ツバメは、春になると東南アジアから飛んできます。日本で子育てをして、冬になる前にまた、南の島へと旅立ちます。でも、渡り鳥のサイクルがわかったのは、実は18世紀になってからのこと。
それまでヨーロッパでは「鳥は冬になると地中海にもぐり、魚になる」、中国では「カエルになって冬眠する」と考えられていたそうです。
それを知って、なんて幻想的なんだろうと思いました。あの細身の鳥が、トビウオみたいにすらりとした魚になって、次々と水に入るなんて。あるいはカエルになって、やわらかい泥のなかで眠っているなんて。
待ち遠しいのは夏のツバメです。
初夏になってヒナが巣立つと、ツバメたちは大群をつくって、ヨシやススキの原っぱで夜をすごします。これが「ツバメのねぐらいり」。
ツバメのねぐら入りは、琵琶湖の隣にある西の湖や、奈良の平城宮跡で見られます。東京でも、多摩川べりで見ることができます。
去年の夏の夕方に、多摩川へツバメのねぐらいりを見に出かけました。
JR中央線の日野駅から、土手に向かって歩いていきます。
まだ暑さが残っているせいか人通りは少なく、時折犬の散歩をする人とすれ違うぐらい。ひと足踏みしめるごとに、夏草の匂いが立ち上ってきます。遠くにあかね色の雲がぽつぽつと見えて、そうなるともう、心が踊り始めます。
夕日が沈んでいくにつれて、頭上にはザクロジュースのような空が広がります。
夏の夕焼けは毎日違う色をしていて、いつだって素敵です。寝転がると広々とした空に吸い込まれそうで、この色を見られただけでも来てよかったな、と思います。
と、ケシ粒のような点々が空の端を行き来しています。ツバメの群れがやってきたのです。
その群れはひとつふたつと合流しながら、大きな群れとなって、ザクロジュースの空を旋回しはじめました。
耳をすますと、ツバメの声もきこえてきます。上空で一斉に鳴きかわしている声は、シャボン玉がプチプチとはじける音に似ています。誰もいない原っぱに、その声が降ってきます。
昼間に近所を飛んでいた、尾の長い親ツバメも、尾の短い子ツバメもそのなかにいるでしょう。どのツバメもすばやく空を飛び交いながら鳴いていて、その大きな空の下に、わたしはぽつんと立っています。
わたしたちの暮らしのすぐ隣で繰り返されているこのドラマチックな光景は、ツバメにとっては当たり前の日常。そのことに心が揺さぶられます。
日がすっかり落ちて、群青色の夜が近づいてくる頃、上空を旋回していたツバメたちはふいに、ヨシの茂みに潜ります。
サアーーーー、と、まるで雨粒が降ってくるように一斉に飛んできて、茂みに消えます。
興奮したようにプチプチと鳴き交わしていた声が、だんだんと静かになっていきます。
代わりに暗い空にはこうもりがひらひらと飛び、いつの間にか川向こうの民家にあかりが点っています。
そろそろ帰ろうかな、と大通りに出れば、いつものように車が往来し、パチンコ店やホームセンターの建物が煌々と灯りを放っています。その見慣れた町の光景を前に、なんだか、さっきまで夢を見ていたような気分になるのです。
もうツバメたちは、ヨシの茎をつかんで眠っている頃でしょう。
心がちょっと塞ぐときには、ツバメのねぐら入りを思い出します。あの広々とした光景を思い浮かべれば、きっと楽に呼吸できるようになるから。
渡辺尚子
東京郊外で暮らすライター、編集者。野鳥好きの家に生まれ、手を動かすことと野鳥を見ることが好き。「かつぶし刑事」という名の猫が家にいる。編著に『ちいさないきものと日々のこと』(もりのことブックス)、『糸と針BOOK』(文化出版局)など。「暮しの手帖」で、手にまつわる物語「てと、てと」を連載中。(photo 松本のりこ)
ユカワアツコ
主に鳥の絵を描くイラストレーター。バードウォッチングと同じくらい、古い日本画や障壁画に描かれた鳥を見てまわることが好き。ここ数年は古い引出しや木箱の中に野鳥を描くことを続けている。梨木香歩著「冬虫夏草」、松家仁之編「美しい子ども」(共に新潮社)ほか装丁画も手がける。
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