【金曜エッセイ】「21時過ぎにはぐーすか寝てしまうので…」

文筆家 大平一枝

 去年、ある日本人研究者の書物を読んで、どうしても内容について聞きたいことができ、連絡を取りたくなった。共通の知人はいない。おまけに彼女はアメリカ在住。どうしたらいいだろうと考えあぐねた。突然のメールは迷惑だろうし、いぶかしがるだろう。ファンレターとも違う。見ず知らずの他人が、あなたの研究のここの部分について教えて下さい、だなんて図々しすぎる。

 出版社に問い合わせる方法もあるが、そこまでおおごとにしたくなく、試しにフェイスブックを探してみるとすぐ見つかった。よし、これでコンタクトを取れる。
 しかし、いきなりアプローチしてお願い事をする勇気がなかなか出ない。
 
 まず、友達承認をリクエストしてみた。
 翌日、すぐに承認された。
 一週間ほどして、思い切ってダイレクトメールを送った。自己紹介と、著作について伺いたいことがあるが、長文になる。可能ならオンラインで質問もしたいと正直に書いた。

 あちらの時間で二二時頃だった。
 すぐに丁寧な返事が来た。自分にできることがあるなら協力しましょうという。素直に嬉しかった。
 その最初の返信に、こんな一文があった。
『メールはいつでもかまいませんが、私は二一時過ぎにはグースカ寝てしまうのでお返事は翌日以降になってしまいます。ごめんなさい』

 ビジネスライクな言葉のやり取りの中で、ひときわ印象的な「グースカ」。
 私が勇気を振り絞り、ドキドキしながら恐る恐るメールを出した気持ちを汲み、緊張を和らげるためにあえてこの言葉を使った気遣いが伝わってきた。
 誰にでもメール返信のペースには、習慣や癖がある。最初にはっきり伝えるにこしたことはないが、なかなか言いづらいことでもある。
 それを彼女は、砕けた言葉で相手に不快がないように、けれどはっきり綴った。

 グースカのたった四文字から、思いやりと、人付き合いにおいて自分が大事にしていることはきちんと伝え、けっして無理しない人なのだという両方がわかった。そうだ、私も彼女の前で無理をしないでおこう。なんでも素直に聞いてみようと腹が決まった。

 それからゆるやかにメールとZoomでお付き合いが始まり、もうすぐ一年になる。大雪が降った日の写真が届いたり、私は見たばかりの芝居の感想や近所の桜の写真を送ったり。いつしか研究に関係ないことも綴りあうようになった。
 お互い、返信が三週間後のこともある。
 
 今のところ私の友達で、返信が三週間後でも気にしあわないのは彼女だけだ。そういうペースの付き合いがあっていい。
 長いメールを書いて返信がなくても、彼女ならそのうちくるさと呑気に思える。きっといまごろグースカ寝ちゃっているのだわと。

 彼女も、私の返信が3週間後でも気にしない。「日々の箸休めみたいに、思ったことを思ったときに綴りましょう。返信はできるときにできる範囲で」と綴ったのがきっかけで、どちらからともなくメールのタイトルが「箸休め」になった。
「箸休め1」「箸休め2」……。箸休めだから、すぐ返信しなくてもいいですよ、という気楽さがこめられている。

 オンとオフ。メールにはTPOがあり、私など仕事相手にも砕けたことを書いてしまいがちで、ときに距離感を間違えることもある。けれども彼女との関係性を振り返るとき、最初の「グースカ」の四文字は、大切な鍵になっている。肩の力を抜いて、ざっくばらんにやっていきましょうという意思表示と解釈し、心がぐっと軽くなった夜は今も忘れられない。
 他国の研究者にいきなりお願い事をしようとしていた私は、この四文字で緊張から解放されたのだ。砕けた表現が、心をとかすこともある。

 ごくたまに、見ず知らずの人から著作を介してお願い事や相談事をされることが私にもある。相手は、あのときの私のようにたくさんの心苦しさや遠慮をかかえ、悩んだ末に勇気を振り絞っているかもしれない。
 主旨に賛同した事柄には、彼女のように気負いのない情を持って応えたいものだと思った。

 会えなくても、離れていても人はゆるやかにつながりあえる。ほんの小さな思いやりは、電子の文字にもちゃんと宿って相手に伝わる。そう教えてくれたグースカの彼女とは、コロナが落ち着いたら、いつか日本で焼き鳥を食べましょうと約束している。

 

長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。『東京の台所』(朝日新聞デジタル&w),『そこに定食屋があるかぎり。』(ケイクス)連載中。一男(24歳)一女(20歳)の母。

大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com

photo:安部まゆみ

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