【金曜エッセイ】あわてんぼうのソルトミル

文筆家 大平一枝

 初めて歩いた街の古道具屋で、白い陶製のソルトミルを買った。できれば岩塩用と胡椒用のふたつほしかったのだが、一つしかない。手に馴染むちょうどいいサイズである。胴体部分が陶器で、頭と刃のついた底が木製だ。底に「Made in England」とある。私は長い間、理想のミルを探していたので、やっと会えたぞと気持ちが踊った。デザインも温かみとオリジナリティがあり、使い継がれてきたような独特の存在感がただよう。

 あんな遠いところから海を渡ってやってきたのかと思ったら、ますます嬉しくなって買い求めた。胡椒用はまたどこかで、偶然の出会いを期待しよう。

 勇んで帰宅し、さっそくヒマラヤ岩塩を入れた。……あれれ、動かない。粒が大きすぎたかなと、金槌で叩いて細かくした。やっぱりうんともすんともいわない。一ミリも、頭の部分が回ってくれないのだ。
 なんだぁー。風船のようにふくらんでいた気持ちがみるみるしぼんだ。調理道具はその場で試せないし、見てくれだけで選んじゃだめだなと、深く反省。しかし、捨てるにはデザインが素敵でしのびないので、なんの役にもたたないそれを台所のオブジェとして二回の引っ越しにつれてきた。

 それから七年。
 理想のソルトミルには会えず、間に合わせを使っていた私は、ミルを専門に作っている木工作家のインスタを見て、友達に「期間限定でこの店に出店するみたいだから見に行かない?」と誘った。

 大学で美術講師をしている彼女は、手先が器用でものづくりが得意だ。先日私が引っ越しをした際はセルフリノベを申し出てくれ、何度も我が家に足を運ぶほどのDIY好きである。クラフトや木工のプロダクトも大好きで、案の定、「いいですね。行きましょう。その店は久しぶりに行きたかったんです」と、ふたつ返事だった。

 店には理想通りの形とデザイン、手触り、風合いのミルが並んでいた。ところが、すべて一点物の手作りで、手の届かない価格だった(手間暇を考えれば適正価格である)。
 ハンドメイドミルならこれぐらい、という自分の想定をはるかに超えていた。私は肩を落とし、彼女に「残念だけど、ミル探しの旅はまだ続けることにするよ」と言った。

「そうですね。私も電動ミルが細かく挽けなくてほしかったし、とっても素敵なんだけど、ちょっと躊躇しちゃう額ですね」
 私は、例の古道具のミルの話をした。

「じつは昔、古道具屋で理想のミルを買ったんだけど、全然挽けない不良品だったのよ。縁がないんだなー」
 すると、彼女が明るい表情で言った。
「だったら分解して、刃の部分だけ買ってきて付け替えればいいじゃないですか! ほら、これだってあれだって、刃の大きさは一緒ですよ」
 店頭に並んでいたミルの底を見せる。胴体の形はまちまちだが、たしかに刃の部品は同じだ。

「きっと取り外せますから、そんなに気に入っているんだったら一度分解してみてください」
 なるほど。不器用なわたしにできるかどうかわからないけれど、まずは分解にチャレンジしてみよう。どうせ動かないのだから、壊れてしまったとしてもあきらめがつく。

 その日、七年ぶりにソルトミルをまじまじとながめ、底をひっくり返した。注意深く頭のつまみを外してみる。
 ん? なんだ? 空っぽのはずのミルの刃と刃の間に小さなピンクの粒がひとつ詰まっているではないか。菜箸で取り出すと、岩塩だった。

 もしやと、手持ちの岩塩を入れて回してみた。ガリガリガリ。僕ずっと今日まで現役で動いてましたよとでもいうように調子良く回転する。刃先から細かくなった塩が元気よく飛び出てくる。
 ピンクの一粒をつまみあげ、はぁーっと深い息を吐いた。あの時動きを止めていたのは君だったのか──。

 自分のあわてんぼうぶりが恥ずかしいが、すぐ友達にソルトミルの写真を送って報告すると「このデザインかわいい! 生き返ってよかったですね」と返信が来た。

 彼女は、私の引っ越しのときも、「ドアや壁が自分のイメージと違うんだ。リフォーム業者に頼まなきゃかも」とこぼすと、「まず自分の手でなんとかしましょう」といろんなアイデアをメールで送ってきた。
 脱衣所はペンキを塗り、合板の収納扉は、取っ手だけ黒い鉄製に付け替える。やってみると、それだけでがらっと印象は変わった。

 私は「なかったら買う」とつい考えるが、彼女の発想はいつでも買う前にまずは「あるものを生かす」。

 塩が詰まっていたという他愛もない話であるが、何でもまずは自分の手で作ったり直したりする発想の彼女がいたから、私は自分のドジに気づけた。彼女がそういう考えの人でなかったら、我が家の理想のソルトミルはこの先も眠ったままだ。

 七年ぶりに毎日働き出したソルトミルを見ると、ありがたやという気持ちになる。捨てないでよかったな。あのとき彼女に話してよかったな。
 さてさて、理想のペッパーミルはいつみつかるだろう。

 

長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。最新刊は『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)。一男(26歳)一女(22歳)の母。

大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com

photo:安部まゆみ

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