【金曜エッセイ】自分で暮らすと気づく、家事の奥深さ
文筆家 大平一枝
「ドライヤーを使ったら、これで髪の毛を掃除しておいてね」
口を酸っぱくして22歳の娘に言っている。吸着シートのついたフローリングワイパーは、すぐ手の届くところにかけてあり、替えのシートも足もとの棚に常備。
にもかかわらず、ハイハイとけむたそうに対応する娘がワイパーをかけるのは、おそらく数回に1回だ(当社調べ)。
その稀少な実施の翌日、自分がドライヤーを使ったのでいつものワイパーを使おうと裏面をみると、髪の毛や埃がびっしり。何日か分の汚れがはりついている。つまり、掃いたままなのである。
洗面所は猫の額ほどのスペースなので毎日取り替える必要はない。しかし、3回も使うとこうなり、吸着力がぐっと落ちる。
あああと、やるせないため息が漏れた。
一生懸命やっているのだろうが詰めが甘い。次に使う人のことを考えず、今その場がきれいになればいいと考えている。ザッツ・オール。任務終了。
だから娘はなっていないと責めたいのではない。私だってその時分は似たりよったり。あとに続く人の気持ちなど考えたこともない。
家事とは、果てしなく知恵を使う作業なのだなあと改めて気づいたことを記したかった。同時に、自分も含めて暮らす人の気持ちを想像する行為でもあるのだと今頃気づいた。
同居者のありなしは関係ない。
一人暮らしであっても、自分が使うとき「あああ」と小さく萎えるか、快適に掃き掃除を終えるか。快適を見越して、先手を打っておく。機嫌よく暮らすには、どんなひと手間をくわえておけばいいかを想像する。まさに想像力が要だ。
家事を学ぶ学問はない。想像する力、先を読む能力だけが拠り所になる。こうしておいたら次が楽かな。一緒に暮らす人が喜ぶかな。明後日が雨なら、明日洗濯をする。明日が忙しそうなら、重い家事を今日済ませておく。来月のこの日に大事な会合があるから服をクリーニングに出しておく。でもブラウスが安いのは水曜日で、来週の水曜は用事がつまっているから今週行っておこう……etc. 小さな想像力が明日の自分や同居者を、ほんの少しでも確実に心地よくしてくれる。
かつて「家事手伝い」という言葉が、独身女性の優雅な肩書きのように使われていた時代もあったが、私はいやいや家事ほど頭と心を使う作業はないぞとせつに思うのである。そのうえかなりクリエイティブな仕事だぞ、と。そう気づくのにずいぶん長い時間を要した。
想像なきところに快適なし。これに娘はきっと気づいていない。
私もそうだった。子どものころ、乾いたタオル、体操着の白、朝の炊きたてご飯、埃の落ちていないトイレが普通だと思っていた。自分のために心を砕いてくれいた存在を気にも留めていなかった。
だからため息は漏れるものの、娘にあまり叱れずにいる。いつか気づいてくれたら嬉しいし、家事は自分の力で暮らして初めて知ることだらけだ。
その日まで待つとしようか。短気な私には難しい宿題だけれども。
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。最新刊は『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)。一男(26歳)一女(22歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
photo:安部まゆみ
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