【レシート、拝見】最終回_ハム、アイスコーヒー。わたしだけの暮らしのかたち
ライター 藤沢あかり
最終回
捨てられない、レシート
ロースハムとボトル入りアイスコーヒー。このコンビニのレシートを、わたしは捨てられずにいる。
夕方18時過ぎ。保育園帰りの息子を後ろに乗せ、家へと急ぐ帰り道。じきに息子が後ろから、「今日のご飯、なに?」と声をかけてくるだろう。
夕飯の仕込みが、なにもできていない。ご飯も炊いていない。焦る気持ちで、いつもよりペダルに力を込めながら、冷蔵庫の中身と制限時間、息子の機嫌と食べやすさ、栄養バランス、あらゆることを瞬時につなぎ合わせて、今日の最適解を引き出す。
夏の終わりに買い足してしまったそうめんがまだまだ残っている。きゅうりをスライサーで千切りにして、卵はとろっと半熟に焼こう。ミニトマトもある。緑、黄、赤、よし彩りも大丈夫。今日はぶっかけそうめんだ。こんな日のためにストックしてある冷凍餃子も焼けば、完璧じゃないか。
「今日のご飯なに〜?」
そらきた、とばかりに、「大好きなぶっかけそうめんでーす!」と答えると「いえーい!」と元気な返事。あぁよかった。
次いで息子から、「そうめんに、ハムのせたい」とリクエストが飛んできた。急いでいるのにな、ハムは生協で売ってるのが好きなんだけど、とあれこれ思いながらもコンビニに自転車を停め、店に入ろうとした瞬間。息子がパッとわたしの体を押しやった。
「かあかは、中に入らないで。ここにいて」
「えっ」
「ハム、自分で取るから場所だけ教えて」
「えぇっ」
息子の目が、いつになく真剣になっている。そうか、おつかいをしたかったのか。500円玉を取り出し、息子の汗ばんだ手のひらにぎゅっと握らせた。
ハムの売り場を伝えたところ「もっとほかに買うものある?」と聞くので、「じゃあ、アイスコーヒー買ってきてくれる?」とお願いし、息子はひとりでコンビニに入っていった。
自動ドアのガラス越しに息子の様子を観察する。ててて、と小走りで冷蔵品コーナーに行き、無事ハムを手に取った。次にボトルのアイスコーヒーだ。「一番奥の冷蔵庫の下の段に入っているやつ、(甘さ)ひかえめ、って書いてないほうのやつね」と最初に伝えたからか、冷蔵庫の前で、じっくり文字を確認している。
ハムとアイスコーヒーのボトルを、からだ全部で抱えるようにしながら、レジに並ぶ小さな息子。子どもが並んでいるとは思わなかったのだろう、お姉さん、そして次のおばさんもまた、先にレジに行ってしまった。そのたびに、息子が不安そうにこちらをチラッとみる。わたしの胸が、ぎゅうっとなる。
絵本『はじめてのおつかい』に、主人公のみいちゃんの「ぎゅうにゅうくださあい」という声を大人たちが気づかないシーンがある。こわもてのサングラスのおじさんや、おしゃべりの太ったおばさんに順番を抜かされてしまうみいちゃんに息子の姿を重ね、また胸がぎゅうっとなった。
ようやく、レジのお姉さんが息子に気づき、カウンターの向こうから手招きをしてくれた。
ハムとアイスコーヒーを、自分の背と変わらない高さの台に持ち上げる。コンビニはセルフレジで、お姉さんが体を乗り出して、操作画面をアシストしてくれているようだった。握りしめた500円玉は、きっと湿っているだろう。
ほどなくして息子が、こちらに走ってきた。お釣りを「はい!」と差し出す顔が紅潮している。いつもならすぐに捨ててしまうコンビニのレシートを、この日は大事に財布にしまった。
これまで、さまざまな人に「レシートを見せてください」とぶしつけなお願いをしてきた。みな必ずと言っていいほど「なんでもないふつうのレシートですけど」と前置きをしながらも、ありがたいことに快く見せてくださった。そしてそれはどれも、ほんとうにごくごくありふれたものばかりだったように思う。
豚バラ肉にもやし、キャベツ、豆腐。ビールやドーナツ、フライドチキン。食器用洗剤に入浴剤、本、洋服。
レシートには、なにかその人らしさが隠れている。そう思って始めた連載だった。けれど取材が進むにつれ、そのありふれた日常に触れることは、人生に触れることなのかもしれないと思うようになった。もやしやキャベツの話が、いつの間にか大切にしてきたことや、心の根っこにたどり着いていたりもした。
毎日は、とびきり充実した日もあれば、なんだかなぁと思う日もある。しかし、だいたいは山でも谷でもない、「ふつう」と言いたくなるような日ばかりに思う。そもそも、暮らしには有名無名などなければ、特別もふつうもない。どれもがその人だけのかたちをしていて、ひとつとして同じものはないはずだ。そんなとっくに知っていたつもりでいたことを心で理解し、それと同時に、自分のなんでもない毎日が誇らしく、大切に感じるようにもなっていった。
SNSにも日記にも残そうとも思わない、誰かにわざわざ話すこともないような日々のかけらほど、あとからふと思い出して懐かしく思うのはどうしてだろう。書き残さなければ消えてしまう、こぼれ落ちてしまうことが人生には多すぎる。
レシートに記されているのは、お金と引き換えた「なにか」という事実に過ぎない。その無機質に印字された事実は、小さな選択や決断の連なりであり、生きてきた時間の重なりや物語が詰まっていた。
今日もまた、コンビニやスーパーのレジ横で、無造作に突っ込まれた「不要レシートはこちら」の箱をちらりと横目で追う。そして誰かの暮らしに想いを馳せ、自分の暮らしをじっと見つめているのだ。
ライター 藤沢あかり
編集者、ライター。衣食住を中心に、暮らしに根ざした取材やインタビューの編集・執筆を手がける。「わかりやすい言葉で、わたしにしか書けない視点を伝えること」がモットー。趣味は手紙を書くこと。
写真家 長田朋子
北海道生まれ。多摩美術大学卒業。スタジオ勤務を経て、村田昇氏に師事。2009年に独立。
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