【5秒日記】第11回:できないことがもはや私にプライドを感じさせてくれるのだ

「日記は1日のことをまるまる書こうとせずに5秒のことを200字かけて書くと書きやすい。日々をすごしたっきりにして忘れてしまう贅沢もすてきだけれど、私は貧乏性だから、家のちょっとした瞬間を残して覚えてわかっておきたいと思うのです」 エッセイストの古賀及子さんと、高校生の息子、中学生の娘の3人の暮らしの様子や、自身の心の機微を書きとめる日記エッセイ。月一更新でお届けします

古賀及子

5/26(日)
ゆるく閉じた目の裏に薄く光の気配がする。細く開けたら朝だった。日曜日。息子が起き出したらしく音がして、それで目が覚めたらしい。息子は休みの日も早起きだ。

私も起き出して、もがもが一緒に朝ごはんのパンを食べた。いただきもののいちごとルバーブのジャムがあって、これが本当においしい。果物の味を繊細に引き出す注意深い手つきを感じる。いつもの安い食パンが恐縮している。

日ごろよく食べる、ガツンと砂糖の量で黙らせるタイプの安いジャムも大好きだけど、甘さをやるんじゃなくて、あくまでジャムをやるんだという、作品としてのジャムの気概がここにはある。気高い。

 

5/27(月)
起きてよぼよぼ朝食を食べはじめた娘が「昨日通りがかった、おにぎり屋さんのシャッターに描いてあったおにぎり、あれ、ただのおにぎりなのすごかったよね」 と言う。

昨日、買い物に出かけた街におにぎり屋さんがあった。休みの日らしく、閉まったシャッターに大きくおにぎりのイラストが描かれていた。

「ただのおにぎりって、どういうこと?」
「目とか描かずに、おにぎりのままのおにぎりだったでしょう?」
「たしかに……」
「私だったらおにぎりに、目、描いちゃうよ」
「私も描いちゃう……」
「手と足もつけちゃうかもしれない」

安易にキャラクター化せず、抑制を効かせおにぎりだけをただ描いたことに娘は感心したのだ。

感じ入ったまま娘は学校へ行った。私も用があって午前中のうちに出かける。ぬっとした曇り。小雨が降ったりやんだりして、むわっと蒸す。

 

5/28(火)
打ち合わせでターミナル駅の構内にある喫茶店へ。滞りなく終了したあと、店に残って作業を続けていたら足元を低く影が横切り、なんだろうと見ると鳩だった。

店は駅の外に繋がる道の途中にあって、どうやら屋外からぽてぽて歩いてここまでやってきたらしい。

なんとも鳴かず、取り乱すこともなく、静かにそこいらを確かめるように歩きまわった。不思議と気づく人は少ないようで、誰も騒がない。そのうちしれっと外へ出て行った。

 

5/29(水)
自宅へ帰ると蒸した居間のソファに寝そべって娘がタブレットで配信のドラマを観ている。窓を開けると空気が塊で入れ替わるのがわかった。風が通って居間全体がリセットされた。

「人間には2種類いる」という万能の言い方があるけれど、こうして外から帰ってきた時はいつも、家にずっといる人と、外から帰って来た人という2種類の人間がいるなと思う。

家にずっといる人の体は油断しきっており、帰ってきたばかりの人はたった今まで外を歩いてきた体の活性と対外的な緊張感をまだまとっている。

人間の種類がぜんぜん違う。

 

5/30(木)
最近、クレジットカードが更新になって、タッチ決済ができるカードに変わった。

これまでは決済時、店員さんに差し出された端末のスリットにカードをすっと差し込んで暗証番号を入力していたのが、端末の面にかざすだけで瞬時に決済が終わるようになった。

タッチ決済は、その登場をCMで初めて知った。わざわざそんなことができるようにならなくても今の決済でまったく困っていないけどもなとまったくピンとこなくって、でも、こうしてできるようになってみると、これが驚くほどスムーズで便利だ。

これまでは、毎回カードを細い隙間に差し込むときに、自分が注意深さをはらって緊張していたのだなということを、差し込まなくても決済ができるようになって気づかされた。

なんてことない気分でやっていたけれど、あれはうっすらと手間だったのだ。

日々カード決済を使いながら、にぶい私がまるで見えていなかった利便を、未来を見据えて開拓した関係者の方々がすごい。

§

 

6/4(火)
放課後、図書館で勉強してきたんだと息子が帰ってきた。

それなりに集中はできていたものの、途中でどこかから木魚を叩くような音が聞こえはじめて、すると、木魚って木でできた魚をばちで叩いて良い音を出すなんて変わっているなあと、音が邪魔というよりは、木魚のことをつい考えてしまって集中できなくなって帰ってきたのだそうだ。

木魚の音がどこからするかは、分からないままだったとのことだ。

 

6/5(水)
居間で勉強していた娘が急に立ち上がり、腰を落としてゆっくり動きながら手を構えた。

「こういうやつあるよね、こういうやつ」と、ゆらりと体を動かして見せる。
「ああ、あるある、こういうやつでしょ?」と私も同じように動いた。
「そうそう、それそれ」
「うん、これね、太極拳って言う。中国の拳法」
「中国の拳法なんだ」
「そう、かっこいいよね」

ふたりで、本当のではない、見様見真似の、自分の考える太極拳をしばらく続ける。

 

6/6(木)
夕方スーパーへ買い物に行く途中、古くからある小さな洋品店がなくなってあとにケーキの店ができているのに気がついた。いつのまに。

街の様子が変わると焦る。全部おぼえていたいけれど、きっと私はどんどん忘れてしまう。

存在したものがなくなる、様子が変わることをさみしいとよく言うけれど、どちらかというと怖いんじゃないか。

あったことが、記憶の乏しさから、なかったことになってしまうのが恐ろしい。

若い人に輝きを感じるのは、古い記憶にまだ拘泥されていないことに自由さを感じるからじゃないかと、それなりに生き続けてきて感じる。

中年以上になると人は、持ちきれない記憶の量にずっとはらはらしている。

 

6/18(土)
ラジオを聞いていると家電量販店によるテレフォンショッピングのコーナーがはじまった。

今朝ご紹介するのはズワイガニです! と元気な声がラジオ代わりのスマホから聞こえる。

「電気屋って海鮮も売るんだ」と息子が感心するから「売る売るよ、なんでも売るよ、豪華客船のクルーズ旅行なんかもこないだ売ってたよ」と、なんでかちょっと得意になってこたえた。

息子は「でも、ズワイガニはぎりぎり家電という感じがする」と言って、言い得て妙ではないはずなのに、どうにも言い得て妙な気分だ。

 

6/11(火)
仕事をしあぐねてなんとなくネットを眺めていると、刺繍で作るブローチの通信講座の広告が流れてきて、見た瞬間、絶対に私にはうまく作れないと、いきなり諦めた。

ハンドメイドの素養がそれはもうおそろしく私にはない。色や形を選んだり配したりのセンスがまずないし、手先の不器用さでも人を圧倒する。

大人になってもうずいぶん経ち、その事実に絶望する頃もすぎた。「刺繍で作るブローチの通信講座」の文字を見て、むしろちょっと「私には、絶対に難しいです!」と開き直ってかえって誇らしい気持ちにもなる。

できないことがもはや私にプライドを感じさせてくれるのだ。

作ったZINEを手売りすることがたまにある。先日即売会でお釣りの1000円札を渡すのに勘定していたら、ちょうどお客さんが親しい人で「札勘へたですね~!」と言われ「でしょう!?」とうれしかったくらい。

不器用だったら任せてください。

 

6/12(水)
夜、友人と晩ご飯へ。餃子を食べたあとファミレスに移動して、コーラとかコーヒーを飲みながらあれこれしゃべった。23時。

私たちが座った席の隣が4人がけのボックスシートで、大人だけの家族らしい人たちがやってきてひとり1杯ずつ何らかの麺類を食べて帰ったり、仲間らしい中年の男女数名が集まってビールを飲んでドリアを食べたり、夫婦だろうか、老人ふたりがワインを飲みながらピザを食べたり、次から次へ、食事が席の横を運ばれていった。夜中の食事は、どこか特別なもののように目に映る。

眠くなって店を出ると、暗い道に停まったトラックから筋トレのマシンとおぼしき大きな機械を次から次へと下ろす人たちがいる。夜のうちに、この近くにフィットネスジムができるらしい。

 

 

文/古賀 及子(こが ちかこ)
1979年東京生まれ、神奈川、埼玉育ち、東京在住。ライター、エッセイスト。 どうってことない日々を書くのが好き。著書に日記エッセイ『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』(素粒社)。2024年2月に日記エッセイの続編『おくれ毛で風を切れ』(素粒社)、エッセイ『気づいたこと気づかないままのこと』(シカク出版)を刊行。
note:https://note.com/eatmorecakes  X(twitter) :@eatmorecakes


イラスト/芦野 公平(あしの こうへい)

イラストレーター、TIS会員。書籍、雑誌、広告等の分野で活動中。イラストを提供した仕事に、Honda N-ONEカタログ、坂角総本舗130周年カタログ、新国立劇場「シリーズ 声」ビジュアル、田島木綿子『海獣学者、クジラを解剖する。』(山と溪谷社)、瀬尾まいこ『傑作はまだ』(文藝春秋)など。
X(twitter) : @ashiko

 

『うんともすんとも日和』に、古賀及子さんが登場!


私たちが大好きな「あの人」のいまの生き方に迫る、ドキュメンタリー番組『うんともすんとも日和』、第51弾では連載『5秒日記』でお馴染みの古賀及子さんにご登場いただいています。

古賀さんのとある1日に密着し取材。最初に日記を書き始めたのは偶然で、子育てがひと段落した頃のことだったと振り返りながらお話ししてくれました。

ぜひご覧ください。

続きはこちら

 

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