【わたしの転機】前編:働き盛りに出産、好きな仕事を手放した先には。(nuno.デザイナー・泉谷恭子さん)
ライター 長谷川未緒
あのひとの「ターニングポイント」が知りたくて
ターニングポイント=転機とは、生き方が変わるきっかけになった出来事のこと。このシリーズでは、そのひとの「いま」につながる転機について、お話をうかがいます。
今回ご登場いただく「nuno.(ヌーノ)」のデザイナー・泉谷恭子(いずみやきょうこ)さんは、年に2回の受注販売会で個人のお客様からオーダーを受けた洋服を、デザインから裁断、縫製、刺繍まで、すべてひとりで手づくりしています。
泉谷さんの受注販売会が行われるのが、わたし・長谷川がよく行くセレクトショップ「アバヌ」ということもあり、顔なじみになりました。彼女がつくる服は、アンティークの洋服のようにロマンティックでありながら、どこか現代的なエッジも効いています。
洋裁は趣味からはじめた全くの独学で、元美容師だったそう。わたし自身、洋裁が趣味ということもあって、趣味からのデザイナーへの転身に興味が湧き、お話を伺ってみたいと思いました。
好きなことを仕事にしたいと、上京
もともと美容師をされていたそうですね。
泉谷さん:
「はい。わたしが中学生のころ、ドラマなどの影響からか美容師はあこがれの職業のひとつで、手に職をつけるなら美容師かなぁ、と漠然と思っていました。実家のある長野でもヘアショーが行われていて、高校生のときには、モデルとして参加する機会があったんです。
そのときに見た美容師さんたちがかっこよくて、自分もああなりたいと強く思うようになりました。当初は美容師を目指す事に対して良い顔をしていなかった父親も、最終的には東京の専門学校に送り出してくれたんです」
泉谷さん:
「国家資格を取得後、就職した美容院での下積み時代は、毎日15人以上シャンプーし続けたりと、想像以上にたいへんでした。でも辞めたいと思ったことはなかったですね。
ほかにできることがあると思わなかったですし、親も応援してくれていたので、裏切れないと思いました。それに、やっぱり好きなことを仕事にしたいと思っていましたから」
生涯の仕事だと思っていたのに、辞める日が来るなんて
数年の修行期間を経て一人前の美容師になった泉谷さんは、髪を染めるカラーリストとして働くことになりました。
泉谷さん:
「お客様をきれいにしてさしあげたいという気持ちで、相手の意向を汲んで、カラーを提案し、喜んでもらえたときの充実感は、かけがえのないものでした。もちろん辛いこともありましたが、たのしさが上回り、ずっと続けていきたい!と思っていたんです」
生涯の仕事だと思っていた美容師でしたが……。
子どもを優先しようと思った
泉谷さん:
「当時は結婚願望もなく、子どもがほしいと思ったこともなかったのですが、夫と知り合ったことで気持ちが変化しました。27歳で結婚して長女を出産したんです。
いまはママ美容師も多いのですが、当時は子育てと両立しながら美容院で働くことは、考えにくい環境でした。長時間労働ですし、たとえば子どもが熱を出して仕事を休みたくても、お客様の予約が入っていれば簡単には休めません。
子どもを犠牲にしていると自分を責めてしまいそうで、仕事を辞めることにしました」
赤ちゃんとふたりだけの毎日は、息苦しさもあって
泉谷さん:
「出産を機にいったんは家庭に入ったのですが、専業主婦になる覚悟もできませんでした。毎日大勢のお客様と話していたのに、だれとも話さない生活に気分が落ち込んだり、赤ちゃんとふたりきりで家にいると、『外に出たい!』とイライラしてしまったり。
あの子はハイハイしているのに、うちの子はまだしていないとか、ほかの赤ちゃんとのちいさな違いが気になって、悶々とすることもありました。
夫はのんびりしたタイプで、わたしの悩みをわかってくれないと感じ、夫にも怒りが爆発して。ぜんぶひとりで抱え込んでいましたね」
子育てを優先しながら、できる仕事はある?
子どもにつらく当たってしまう前に、仕事に復帰しようと決めた泉谷さん。自分にできることで子育てと両立可能なことを、と探しますが、なかなか見つかりません。
泉谷さん:
「同じころ出産した美容師仲間に、フリーランスで活動をはじめたひとがいました。そういう道もあるなぁ、でも設備を揃えるとなると大変だし、など悩みに悩み、ふと思い当たったのが、美容師学校の講師の仕事でした。
求人募集している学校を探してエントリーしたところ、たまたま働けることになったんです」
1歳の娘さんを保育園に預け、美容師学校の講師として働く日々。
泉谷さん:
「講師のなかでわたしがいちばん若手だったせいか、生徒たちも『先生、結婚してるの?』とか積極的に話しかけてくれました。1年間、ほとんどひとと会わない生活をしていたので、生徒たちとの交流がほんとうにありがたくて。
子育ても、いい形で影響したと思います。生徒には、美容師としてのスキルを教えるだけでなく、ひととして成長してほしいという気持ちで接することができました。美容院でアシスタントを指導していたときは、考えなかったことです。この仕事は天職じゃないかと思うほど、やりがいをもって働くことができました」
勤務体系が育児と両立しやすく、2年後には長男を出産して育児休暇を取得後、そのまま講師の仕事に復帰。充実した日々を過ごすなか、本格的に洋服をつくりはじめたのも、このころでした。
子どもにかわいい服を着せたい。でもお金がない
泉谷さん:
「子どもが生まれて、子ども服をつくりはじめたんです。実家の母も祖母も、洋裁も和裁もでき、わたしも子どものころ手づくりの服を着せてもらっていたので、自分もそうするのが当たり前だと思っていました。
それに、子どもにかわいい服を着せたいと思っても、お金がない(笑)。安いからといって、かわいくない服を着せるくらいなら、自分でつくったほうがいいな、と。
子ども服をつくりはじめたことで、思い出したこともありました。小学生のときに家庭科の授業で服をつくる際、先生に直談判してオリジナルデザインでつくったことや、専門学校時代には、自分でつくった服を着ていて、読者スナップに声をかけられたこともありました。
むかしから、何かをつくることが大好きだったんですよね。服をつくることも、とにかく楽しかったんです」
だんだんと子どもたちは着てくれることが少なくなってきたけれど、気に入った古着をほどいて型紙をとったり、本を見たりして、独学で自分の服づくりを続けた泉谷さん。そしてオリジナルデザインでつくった服を着ていたら、ある日、声をかけられました。
後編では、「nuno.」としてデザイナー活動をはじめた経緯などを伺います。
(つづく)
もくじ
【写真】木村文平
泉谷恭子さん
デザイナー。長野県生まれ。美容師専門学校を卒業後、美容師に。出産を機に専業主婦を経て、美容師専門学校の講師として働く。子ども服づくりをきっかけに自身の服をつくったことから、「nuno.(ヌーノ)」として活動をはじめる。著書に『自由に遊ぶ、ヴィンテージライクな服』(文化出版局)がある。http://nuno.base.ec。インスタは@______nuno_。
ライター 長谷川未緒
東京外国語大学卒。出版社勤務を経て、フリーランスに。おもに、暮らしまわりの雑誌、書籍のほか、児童書の編集・執筆を手がける。リトルプレス[UCAUCA]の編集も。ともに暮らす2匹の猫のおなかに、もふっと顔をうずめるのが好き。
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