【ありのままでいたくても】第3話:強がりは、生きていくために必要なことなんだ。
編集スタッフ 奥村
久しぶりに行った銭湯がきっかけで、つい強がってしまう自分に気づいたわたし奥村。
そんな自分との向き合い方を考える今回の特集では、詩人の文月悠光(ふづき ゆみ)さんにお話を伺っています。
第1話、第2話では、強がる自分をどう認めるかについて話しました。最終話では、背伸びすることが辛くなったとき、心を楽にする方法を考えます。
傷つくことは、なくならないけれど
今まで、傷つく出来事があったときに、傷ついてないふりをしがちだったわたし奥村。けれどそんな自分に辛くなってしまうこともありました。
強がる自分に疲れた時、文月さんはどうしていますか?
文月さん:
「傷ついている事実と向き合ってみるのも、ひとつの方法かもしれません。
エッセイ集『臆病な詩人、街へ出る。』の一部では、自分の傷ついた体験について綴りました。ある人からセクハラともとれるショッキングな言葉を投げかけられて、そのことをなかなか消化できずにいたんです。
自分がなぜ混乱し、傷ついたのか、エッセイに書いて確かめたい気持ちと、書かずに目を背けたい気持ちが両方あって。もしも後者を選んだら、傷ついていないふりを続けていたかもしれません」
文月さん:
「でも、結局『このことから逃げたくない、向き合うしかない』と思ったんですね。
自分がなぜ傷ついたのか、掘り下げて、客観的な言葉にしてみることは予想以上にしんどい作業でした。男性など立場の異なる方にも伝わるよう、なんども書き直して。それをしたことで、強くなれたというわけでもありません。
でも書くことによって、自分の傷ついた気持ちや怒りの感情と徹底的に向き合えました。そして、他の人に体験を手渡し、一緒に考えてもらう機会を作ることができました。そのことで、心も少し軽くなった気がします」
自分で自分を救う方法だってある?
文月さん:
「エッセイを読んだ読者の方に『共感した』とおっしゃっていただけたことで、わたし自身も救われました。自分の弱くて情けない部分も、人に受け入れてもらえると知ったとき、強がらなくても大丈夫、と解放されたような気持ちになったんです。
そう思うと、言葉にすることは、傷ついた心を楽にするひとつの手段なのかもしれません。
心にふたをしてきた出来事を『わたし、あの時傷ついてたんだよね』と誰かに話してみたら、案外受け入れてもらえるかもしれません。
話すことに抵抗がある、人にあれこれ言われたくない、という場合は、日記に書いてみたり、『自分はこれだけ傷ついた』と認めてみたりすることだけでも、心持ちはかなり変わると思います」
自分の弱さも、虚勢も、認められたなら
文月さん:
「今回インタビューの依頼を頂いて、思い浮かんだ自分の作品がありました。一本のばらを強がりな女性にたとえて書いた『ばらの花』という詩です。
ばらの花
弱さは見世物ではないから、
花びらを重ねて花の奥に潜めていた。
「強い人だね」と讃えられる度、
わたしはうれしげにそのばらを飾った。
何かの証、勲章のように。
とげを光らせているのは、
今の居場所をうばわれぬため。
そうして誰をも寄せつけず、
帰れないほど遠くなった。
ひしめく花びらのなかに
わたしは何を忘れてきたのか。
強くなることは、さみしいことだ。
(中略)
自らのとげを
愛することができますか。
とげを愛してもらえなければ
花は花を生きられない。
刺して知らせる誰かの指が欲しかった。
かまわず摘み取って、終わらせてほしい。
けれどこの花の奥に育てた
わたしの弱さは終わらせないで。
何を祝うための花でもなく
咲きほこってしまったばらの強さを
わたしは自らの手の中に
生けてみせよう。
ーーー詩集「わたしたちの猫」(ナナロク社刊)より
文月さん:
「わたしは、この詩の主人公がとても魅力的に思えて好きなんです。
重なった花びらの奥に隠しているのは、誰にも見せたくない心で、自分の弱さとも言えるかもしれません。
花のとげは、一見攻撃的に見えますが、本当は傷つきやすい心を誰にも悟られないように守っているのです。
花びらととげ、どちらもあるのが『ばらの花』という存在です。強がりな自分も、弱い自分も、全部を美しいと受け入れられたなら……。そう願ってこの詩を書きました。
『臆病な詩人、街へ出る。』のエッセイを書き始めた時、最初は臆病な自分を克服できたらと思っていたんです。でも書いていく中で、それが望んでいた目的ではないと気づきました。
人は、臆病な自分と、勇敢で強い自分の間を揺れ動きます。『こんなタイプの人』とは単純には括れませんし、ある意味、自分自身にも予想ができません。そこに人の面白さがあります。
そんな人の揺らぎや迷いを、より魅力的に、肯定するような作品を書き続けたいです」
強がりがあるから、生きていけるんだ
今回インタビューをするまで、強がる自分はニセモノで、弱いのが本物の自分なんだと思っていました。
でも、それは勘違いだったのかもしれません。
とげも花びらもばらの一部であるように、弱さも、それを覆う強いふりも、わたしが生きていくために必要なんだ。
そうやってどちらの自分も肯定できたら、こわばっていた体と心が、少しゆるんで楽になって。それは、大きな湯船に浸かったときの心境とどこか似ていました。
(おわり)
【写真】濱津和貴
【撮影協力】吉祥寺 弁天湯(東京都武蔵野市)
もくじ
文月 悠光
詩人。北海道出身。中学時代から雑誌に詩を投稿し始め、16歳で現代詩手帖賞を受賞。高校3年生のときに発表した第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社)で、中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少で受賞する。近著では、2018年に自身2作目のエッセイ集『臆病な詩人、街へ出る。』を出版。
▼文月悠光さんの書籍はこちら
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