【おばあちゃんと私】前編:「グランマはいつだってお洒落」3世代に渡って受け継がれたモノへの愛

編集スタッフ 松浦

「誰かの好きではなく、自分のものさしで好きと思える暮らしができたらそれでいい」

ただ、そんなことを思う私のものさしも、きっと誰かのものさしからできていると思うのです。それは、母だったり、友人だったり、同僚だったり、旅先で出会った人だったり、はたまた大昔に書かれた本の中の人だったり。

どんな偉人だって、きっとみんな誰かの影響を受けて、少しずつ自分のものさしをアップデートさせていったはず。

「この人のものさしは、どこからきたのだろう」

特集「おばあちゃんと私」第二弾は、自由が丘でジュエリーショップを営む櫻さんと、お孫さんでモデルの花梨さんにお話を伺いました。

 

おばあちゃんじゃなくて「グランマ」がいいわ。だっていい響きでしょ?

「うちでは、おばあちゃんのことを『グランマ』って呼んでいます。グランマはいつもお洒落で、私の永遠の憧れなんです」

そう話すのは、孫の花梨さん。ベトナムに行った際にオーダーメイドで作ってもらったというブルーのワンピースに、おばあちゃんから譲り受けたネックレスがさりげなく光ります。

この日はそんな「グランマ」が営む、自由が丘のジュエリーショップを訪ねました。

真っ白な刺繍のブラウスに身を包み、首元には花のブローチをとめ、凛とした姿で店頭に立つ白髪の女性が花梨さんのグランマ、櫻さん。その着こなしは、どこか英国婦人のようで、一目で「グランマ」と呼ばれていることを納得してしまうほど。今年で81歳というから驚きです。

櫻さん:
「突然『グランマ』だなんて呼んだらびっくりしますよね。私がみんなに『グランマ』って呼んでって頼んでるんですけどね(笑)何だかいい響きだなと思って。

でも今思えば、フランス語にすればよかったなって思ってます。『マミー』って言うらしいんです、おばあちゃんのこと。かわいいじゃない?ひいおばあちゃんは『メメ』というらしいから、いずれはそう呼んでもらおうかしら」

そうお茶目に話す櫻さんは、当時まだ珍しかった海外留学や海外出張の多かった両親や夫の影響で、若い頃から海外の文化に慣れ親しんでいたそう。ショーウィンドウには、イギリスやフランスのミュージアムショップから直輸入したジュエリーが並びます。

「グランマの店は、私のもう一つの部屋みたいな存在です」そう語る花梨さんは、授業やオーディションの合間によくここに立ち寄り、櫻さんから本を借りたり、昔の映画の話をしたり、まるで自分の部屋のように時間を過ごしているといいます。

花梨さん:
「グランマと一緒にいる時間はなんだか落ち着きます。学校や仕事の話もするし、趣味の話もする。お店のショーケースに並ぶジュエリーを眺めながら、私にどんなものが合うのか教えてくれたり。たまに私の友人を連れてきて、一緒にお買い物することもあります」

櫻さん:
「月並みですが、孫達と話をすることは私の楽しみのひとつ。男女7人の孫がいますが、それぞれ個性や話題も違うので面白いです。花梨は大学が自由が丘に近く、よく立ち寄ってくれるのですが、それがとっても嬉しくて。彼女は読書家で、特に芸術全般に広く興味を持っているので、いっそう話も弾みます」

 

お店を始めたのは50代のとき。何事も挑戦してみないと、進まないから

櫻さんがこのお店を始めたのは、意外にも遅く、55歳のときのこと。脱サラした夫が、当時まだ日本では珍しかった、美術館グッズを売る小さな会社を立ち上げ、櫻さんもその手伝いを始めたのがきっかけでした。

櫻さん:
「それまでは、ずっと専業主婦。自分が店にたつなんて夢にも思いませんでした。2人で欧米諸国を廻って、品物選んで…… 本当に初めてのことばかりでしたね。

次第に売り上げも伸びましたが、バブル不況の波を受け、大手デパートから次々と撤退させられました。そして生き残ったのが、この自由が丘店です。私がこの店に自ら立つようになったのは、66才の頃から。

それなりの覚悟と勇気が必要でしたが、自分がやらなきゃという気持ちは強かったです。何事も挑戦してみなければ、どこへも進みませんから」

そんな櫻さんが、大きな影響を受けたというのが、明治初期にスコットランドに留学していた伯父と結婚した、伯母の存在でした。

櫻さん:
「伯母たちは、戦前、名古屋の素敵な洋館に暮らしていて、戦後は駒沢にモダンな家を建てて住んでいました。伯母は、品があって、それでいて太っ腹で、若い人たちと話すのが大好きで、社交的で温かな人。私が彼らの家を訪ねると、いつも多くの人達が集まっていて、賑やかでした。

家には、最新のインテリアやファッション雑誌が取り寄せて置かれていて、私は『SEVENTEEN』というアメリカのファッション誌を眺めるのが楽しみだったのを覚えています。

私がファッションに興味を持つ大きなヒントをくれたのも彼女でしたね」

 

流行は意識しても、追わない

そんな櫻さんが花梨さんに譲ったのが、この黄色のパールのネックレス。もとは、櫻さんのお母様のものだったといいます。

櫻さん:
「私が結婚する前の話ですが、当時は宝石商が月に一度くらい自宅にきて、そこで母がデザインの相談をしてオーダメイドしていたのをよく覚えています。今だとあまり聞かない話ですよね。

そんな母の隣で私もよく見ていたんですが、ある日母が手にした黄色のパールを見て、私がこんな風にチェーンでつないだら?とアイデアを出したことがありました。それが花梨が今つけているネックレスなんです」

「まだあまり使いこなせてないんですが……」そう言って、花梨さんがそおっと見せてくれたのは、立派な革のハンドバッグ。なかには、宝箱のように大切なアクセサリーが入っていました。

櫻さん:
「これももとは母のもので、私が譲り受けたもの。ちょっと使いづらいデザインだけど、持ち手をつければ、少しは使いやすくなるんじゃないかしら?」

そういって、花梨さんにアドバイスをする櫻さん。こうした小さな工夫が、ひとつのものを長く使っていく秘訣なのかもしれません。

櫻さん:
「いいものはこうやって何世代にも渡って使っていける。いい作りで、いい素材であることは、ものを選ぶときに譲れない条件です。だから、流行は意識するけど、追わない。いいものをしっかりお手入れして、大切に使うこと。これが私が思うお洒落です」

 

次の世代に受け継ぐ、ものへの愛。

「花梨がつかっているところ、母や伯母にもみせてあげたいですね」

何世代にも渡って大切にされてきた服やアクセサリーを素敵に着こなす花梨さんをみて、櫻さんもやさしく微笑みます。

綺麗に磨かれた指輪や、シワひとつないワンピース。

花梨さんが身に纏うものから感じるのは、そんな櫻さんのものに対する愛でした。いいものをしっかりお手入れして、大切に使う。そうやって言葉にせずとも、受け継がれている何かがふたりの間にはあるようでした。

後編では、花梨さんが櫻さんから影響を受けたという「いくつになっても挑戦し続けること」について話を聞きます。

(つづく)

【写真】間澤智大

もくじ

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櫻さん、花梨さん

祖母・櫻さん: 1938年生まれ、自由が丘でジュエリーショップ『ヴィア・ミュージアム』を営む。孫・花梨さん: 1997年東京生まれ。現役美大生として演劇を学ぶかたわら、モデルとして雑誌、広告、CM、など多方面で活躍中。


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