【わたしの転機】第1話:やりきったことで見えてきた、新しい道。(お弁当uzura・前田潤子さん)
ライター 長谷川未緒
あのひとのターニングポイントが知りたくて
ターニングポイント=転機とは、生き方が変わるきっかけになった出来事のこと。このシリーズでは、そのひとの「いま」につながる転機について、伺います。
今回ご登場いただくのは、東京・代々木上原で「uzura(うずら)」というお弁当屋さんを営む、前田潤子(まえだじゅんこ)さんです。
私・長谷川は、共通の知人を通じてuzuraさんのお弁当をいただく機会に恵まれました。蓋を開いた瞬間、「わぁ!美味しそう!」と心の底から声が出て、ひと口、またひと口、と食べ進めるごとに感動が。
▲取材日のuzuraさんのお弁当。旬のお野菜が中心で、丁寧に千切りされたにんじん、茹で加減がいい塩梅のほうれんそう、素朴な甘さを感じるさつまいもなど、野菜本来のおいしさが際立つ。
最後のひと口を食べ終わるころには、満足を通り越して幸せを感じ、つくられたご本人にも興味津々。
好奇心が抑えきれずに「ずっとお弁当屋さんをしてきたんですか?」と伺うと、前職は食とは無関係。お弁当屋さんへ転身したのは、40代半ばだと言います。
以前は何をされていたんですか? どうしてお弁当屋さんに? お料理はどこで習ったのでしょうか? 年齢を重ねて生き方を大きく変えることに、抵抗や怖さはありませんでしたか?
聞きたいこと盛りだくさんで、前田さんがお弁当をつくっている現場を訪ねました。
即売り切れの人気お弁当屋さん。前職は、ジュエリーブランドのPR
取材に伺った日、11時半の販売開始と同時に、次々とお客さんがやってきました。常連さんが多いようで、みなさん、前田さんとのおしゃべりも弾んでいます。
撮影の許可を得ようとおひとりおひとりに話しかけると、「大ファンなんです」とか、「毎日買いに来てます。uzuraさんがお休みだと、何を食べたらいいのかわかりません」とか、「野菜を本当に大切にしていることがわかる味なんですよ」などなど、大絶賛して、にこやかに帰っていかれます。
この日は、ほとんどが予約で埋まっていたこともあって、なんと5分で売り切れ。
大人気のお弁当屋さんですが、前田さんの前職は、海外のジュエリーブランドのPRだったと言います。
前田さん:
「美術系の専門学校在学中に、服飾ブランドのアルバイトをしていたことから、卒業後は国内のジュエリー会社に就職し、デパートで販売員をしていました。
ある日、となりのスペースに日本初上陸というスペインのジュエリーブランドがオープンしました。一目惚れってあのことですね。モチーフもユニークで、素材もそれまで見たことがないものだったし、技術もすばらしくて、身につけるアートそのものでした」
勤めていた国内ジュエリーの会社を退職したタイミングで、あこがれのブランドに就職。東京・南青山の路面店で、最初は販売員として働き始めました。
前田さん:
「人に喜んでもらえることがうれしいので、接客の仕事は向いていました。『前田さんが勧めるなら買うわ』と言ってくださるお客様もいて、楽しかったですね」
30代に入り、ブランドの顔とも言えるPRに抜擢。しかし、ここからが苦難の道のりでした。
諦めずにがんばったことで、仕事がおもしろくなった
前田さん:
「ちいさなブランドで広告にかける予算がありませんでしたから、雑誌の編集部などに足を運び、取り上げてほしいとお願いするんですが、これが思っていたより大変だったんです」
店頭での接客は、ブランドが好きでお店に来てくれるお客様が相手です。商品の良さについて話せば、共感してくれました。ところがPRの仕事は、興味のないひとに売り込まなければなりません。それまでの仕事とは、まったく違うやり方を考える必要があったのです。
前田さん:
「社長から『そんなにつらいなら、販売に戻っていいよ』と言われましたが、途中で諦めるのは嫌でした。
そのときの企画や特集に合わせ、相手がどういうものが好きか、雰囲気や話し振りなどから探って、商品との共通点をお伝えしたり。編集部にどれだけ長い時間いることができるか、行くたびに時計を気にしたり(笑)。
そうこうするうちに手応えを感じるようになり、途中からおもしろくなっていきました」
年数回のコレクションごとに内容にふさわしいイベントを企画、徐々にブランドの知名度は高くなり、雑誌の編集者たちとも親しくなっていったのです。
そしてPRとして充実した日々を過ごしていたところに、転機が訪れました。
やり遂げた満足感で、退職を決意した
前田さん:
「ブランドが大きくなったこともあり、広告費がたくさん使えるようになったんです。お願いしなくてもお金を出せば雑誌に広告が載るようになって……。
ありがたいことだとわかってはいたんですが、私自身は、人づきあいを通じて良さを知ってもらう、それまでのやり方のほうが、おもしろかったんですよね」
人と関わることや、人とのつながりが好きだったんだと再認識。ブランドも広く認知されたし、十分にやった、やりとげたという満足感とともに、勤続20年の区切りで退職することにしたのでした。
前田さん:
「あのとき42歳で、周りからは『辞めてどうするの?』と心配されましたよ。自分でも、どうしようかなぁ、って(笑)。
ほかのブランドのPRを紹介してくれるという話もありましたが、本当に好きで、愛しているブランドじゃないとPRは務まりませんから」
会社を辞めると決めてから、自分には一体何ができるんだろうと考えるうちに、少しずつ見えてきたことがありました。
▲前田さんが中学生の頃から愛用している卵焼き器。
前田さん:
「祖母が明治の生まれでしたので、子どものころから、お正月には丁寧におせちを作り、新年を迎えていました。わたしもとにかく台所が好きでよく手伝っていましたから、自然と料理が好きになったんです」
食べることも作ることも好きなのだから、食関係の仕事をしたいと考えるようになった前田さん。たどり着いたのは「お弁当屋さん」でした。
中学生の頃から作ってきたお弁当を仕事に
前田さん:
「母親が早くに他界したので、中学生のころから4歳年下の弟にお弁当をつくっていたんです。3歳上の姉と交代で。
働きはじめてからも、お昼はずっとお弁当持参でした。
限られたスペースに色とりどりのおかずを入れるお弁当づくりは楽しいし、好きなことだから、自分にもできるんじゃないかな、って」
お弁当屋さんを始めようと思いついたのはいいものの、一体、何から手をつけて、どう進めたらいいのか、さっぱりわかりません。
続く後編では、お弁当屋さん始動から、赤字続きの日々、そして売り切れ続出になった現在と、これからについて、語っていただきます。
(つづく)
【写真】神ノ川智早
もくじ
前田潤子
料理家。幼少期より大好きな台所で祖母や母の隣に立ち、丁寧で愛情のこもった料理を覚える。セツ・モードセミナーを経て、ジュエリーブランドの広報として働く。退職後、人の笑顔を見られる仕事をしたいと一念発起し、2013年代々木上原に手作りお弁当「uzura」を開店。新鮮かつ旬の食材にこだわり、彩り豊かで滋味に富んだ日替わりの「野菜いっぱいお弁当」を提供する。毎回、蓋を開けるのが楽しみなお弁当として評判。ファンが多い手作りドレッシングはセレクトショップのイベントなどで出品中。スケジュールなどは、インスタグラム@uzura01で。
ライター 長谷川未緒
東京外国語大学卒。出版社勤務を経て、フリーランスに。おもに、暮らしまわりの雑誌、書籍のほか、児童書の編集・執筆を手がける。リトルプレス[UCAUCA]の編集も。ともに暮らす2匹の猫のおなかに、もふっと顔をうずめるのが好き。
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