【当たり前の先に】前編:生活のために向き合ったのは、コーヒーと人と現実と

編集スタッフ 齋藤

27歳のわたしを変えた、一冊の本

はじめて大坊さんにお会いしたのは、今から5年ほど前、私が27歳のときでした。

前職でも編集の仕事をしていた私は、喫茶店について何かを企画したいと思い、東京の⻘山で「大坊珈琲店」というお店を開いていた大坊勝次(だいぼうかつじ)さんの本を手に取ったのです。

そうしたら、ふと涙が滲んでいる自分がいました。

書かれていたのは、決して「劇的」と呼べるような波乱万丈の人生ではありません。ただ毎日お店を開き、そこで何を感じ、考え、行動していったのかということが淡々と抑制のきいた文体で書かれています。

大坊珈琲店は珈琲好きはもちろんのこと、⻘山を拠点にしていたクリエイターや向田邦子さん、村上春樹さんなどの文化人も訪れた、今や「伝説」とまで言われるようなお店。

そこまで行き着ける人は、きっと特別な人なのだと、私は心のどこかで思っていたように思います。

けれど、本当は違うのかもしれないと、本を読んだ時に思ったのです。

この特集では「当たり前のことをやろうと思っていた」と話す大坊珈琲店店主・大坊勝次さんの考え方について、インタビューしていきます。

 

喫茶店をはじめたのは、生活のため

大坊さん:
「本当は、ジャーナリストのようなことをやりたかったんです。でもそれだけだと稼げない。だから喫茶店を開いて、それで生計を立てながら自分の好きなことをしようと考えていました。

でもいざはじめてみたら生活費を稼ぐので精一杯。当時すでに家族もいましたし、お客さんも全然こなかった。休みなく働いていたし、好きなことなんてやっていられなくなったんです。

頭の片隅で、自分で作った記事のようなものを店に貼ろうかなと考えたこともあります。けれどやめました。

店というのはいろんな人が集まる場所。反対意見を持つ人もいるだろうし、自分の主張をストレートに出す場所ではないと思い直したんです」

それで諦めがついたんですか?と聞いてみると、それが現実だったからという答え。私だったら「自分の理想と違う」と塞ぎ込んでしまうかもしれません。

でも、大坊さんは目の前で起こったことを受け入れ、店という場でできることを模索しはじめます。

 

それでも、自分が納得できるかどうかが大切だった

大坊さん:
「いわゆる当時の喫茶店経営のセオリーに、私は乗りませんでした。数字の目標も特に持たなかった。

『誰かが言ったから』ということを判断の軸にしたら、いざという時に自分に納得感がなくなってしまい、誰かのせいにしてしまうかもしれない。それが嫌だったんです。

とはいえ生活をしなくてはならないし、店を開く時にお金も借りたから、失敗は絶対できないと思っていました。若いから、とにかく前に前に進むことを考えた。でも、開店前日はお昼の蕎麦が喉を通らないくらい不安でした。

だから本当だったら、セオリー通り、もっと人通りの多いところに店を出すべきだったのかもしれません。今でこそ青山は人が多いですが、私が店を出した当時はそれほど人はいなかったんです。

自分が良いと思うものを出そうと思って、青山の2階に店を出し、当時は珍しく新聞の代わりに本を置きました。

そうすることで、喧騒からちょっと離れ、お客さんが自分本来の感じたことを取り戻せる場にならないかとも思ったんです」

生活をしていかなくてはならないという真摯な場面で、それでも自分の考えを通すことを諦めない。その姿勢からは、やっぱりジャーナリストのようになりたかった大坊さんの気質が見える気がします。

けれどもし大坊さんが自分の主張を通すことばかりを考えていたとしたら、こんなにもファンはいないはずで。

自分の主張は確かにあった。そしてその表現の仕方を、お客さんにも良いと思ってもらえる形で変化させていけた人なのではないかと思いました。

 

マニュアルもルールもない。めんどうなことをやるということ

では、どうやって変化させていったのか。そこには今起こっていることを受け入れて見つめる、大坊さんの姿勢があるように思います。

大坊さん:
「たまに『新聞をおいてほしい』とか、私の珈琲は深煎りだから『珈琲が苦すぎるよ』とか、お客さんから声をきくこともありました。

タバコについても意見は多くあると思いますが、あえて禁煙席も喫煙席も設けなかったんです。

何事も、ルールにはしなかった。ただもちろんそれを不満に思う人もいるし、私もほっと落ち着ける場所を作ろうと思って店をやっていたから、打ち合わせをしてずっと喋るのではなく珈琲を味わってもらいたいなぁと思ったこともあります。

だから、たまにちょっと言ってみるんです。『ここに来た時くらいパソコンはしまったら』とか。冗談で笑いあえるくらいの調子とタイミングを見計らって」

大坊さん:
「あとは、お客さんが自然とそういう風に思ってもらえるような店を作る。音楽の音はちょっと小さめにしようとか、つい見入ってしまうような想像力が膨らむ絵を飾ろうとか。

私は、話しかけないことも関係になると思っています。

こういうやり方は、時間がかかります。でも無理矢理やるとギクシャクすると思うんです」

一緒に話を聞かせてくださった大坊さんの奥さんが「これはすごくめんどうくさいことです。でも、それをやろうと決めたんです」と言いました。

 

答えなんてないからこそ、頼りにしたもの

人と人との関わりというのは、本当にめんどうなことだらけ。先輩と後輩でも、親と子でも、友人同士でも、みんなどこかで悩んでいることではないでしょうか。

ストレートに言ってしまったらラクだけれど、それで伝わるとも限らない。逆に行き違いがでることだってあります。何が正解かもわかりません。

だから、ちゃんと見て、ちゃんと考える。それだけを真面目にコツコツやっていくことが、大坊さんの毎日の手応えのようなものにつながっていたのかもしれません。

(つづく)

【写真】寺澤太郎


もくじ

大坊珈琲店
東京の青山にて1975年の開店。その後38年間、自家焙煎、ネルドリップというスタイルを守り続けた。2013年12月にビルの取り壊しにより閉店。大坊勝次(だいぼうかつじ)さんは現在コーヒーのワークショップや自家焙煎の教室などを開催している。


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