【57577の宝箱】さらさらと 時間の粒が積もりゆく ゆうべの涙もそこにうずめて

小説家 土門蘭

文章を書く仕事をしている。
専業となったのは2018年。それからというもの自宅でひとり、コツコツと文字を積み上げる日々だ。

書く仕事には、「書く」以外にもいろんな仕事がある。
企画を考える、会議をする、資料を読む、取材をする、録音した音声を文字に起こす。写真を選んだり、文字に間違いがないか校正をしたり、もちろん事務作業だって発生する。そういったさまざまな仕事に支えられながら、やっと「書く」が浮かび上がってくるという感じだ。

だけど、その仕事たちのもっともっと下のほうに、「書く」の源泉となる地層がある。
それは、記憶でできた地層。一層一層、こまやかに積み重ねられた記憶の地層の中から、わたしの文字は吸い上げられる。その部分が枯渇すると、ぜんぜん書けなくなってしまう。おそらく「書く」上でいちばん大切なのは、この地層をいかに肥沃に保っておけるかではないかと思う。

かつて放送作家の向田邦子さんは、黒柳徹子さんとの対談でこんなことを言っていた。
「私はね、書く技術って氷山のほんの一角だと思うの。氷山の下のほう、海面下の部分は考えたり、感じたりすることなんです。その上のちっちゃな部分が書くことだと思うんです。感じたり、思ったりすることがたくさんあれば、自然に書けるんじゃないかと思うのね」
『お茶をどうぞ 対談 向田邦子と16人』(河出書房新社)より

これを読み、本当にそうだな、と思った。書くのに必要なのは「考えたり、感じたりすること」。それをきちんと、体の中にしまっておくこと。いつでもちゃんと、取り出せるように。

§

ただ本末転倒だなと思うのだけど、書く仕事に明け暮れていると、「考えたり、感じたりする」機会がずいぶんと少なくなってくる。朝から晩まで家にこもり、ひとりキーボードを叩く日々。それはそれで幸せな時間ではあるのだが、当然のことながら、地層から文字を吸い上げてばかりいると、どんどん書くことがなくなってくる。

でも締め切りは待ってはくれない。地層が枯渇しているのに気づきながらも、外に出かけたり人に会ったりなど「考えたり、感じたりする」ための時間をつくれないときはどうするか。そのときよくやるのは、ほかの人の書いたものを読む、ということだ。だからわたしの仕事机には、常に読みかけの本が10冊くらい積み上がっている。

それらは資料として読むのではない。自分の仕事に関係も脈絡もない、なんとなく「今読みたいな」と思った本たちだ。適当にページを開き、そこに書いてあることをななめ読みする。そのうち、ついおもしろくて没頭してしまうから、そのままに任せておく。誰かが「考えたり、感じたり」した軌跡を追っていると、ふと、何かを思い出す。ああそうだ。考えたり感じたりするって、こういうことだったな。

すると、枯渇してしまったと思っていた地層の、別の部分がうごめき出す。何もないと思っていたところから、ぞろぞろと文字が現れ始める。まるで、読んでいた本の脈動に反応したように。そのときようやく、「書ける」と思うのだ。大丈夫、まだ書ける。

§

こういうことを繰り返すうちに、ひとつ発見したことがある。
「感じたり、考えたりすること」に必要なのは、新しい体験をすることだけがすべてではない。「思い出す」ということもまた、「感じたり、考えたりすること」なのだということだ。

たとえば小学校に入学した日のことを思い出してみよう。わたしは白いシャツに、ピンクのスカートを履き、長い髪をふたつに結っていた。赤いランドセルの中には筆箱以外入っていなくて、まるで背中に「しるし」をつけているみたいだと思った覚えがある。あのとき嗅いだ、校庭の砂のにおい。上級生の大きな体。先生の胸元についていたコサージュ。雲梯の冷たい感触。まだ自分が、新しい異物でしかなかった数日間。

そういうことを思い出すと、今また新しく「感じたり、考えたりすること」ができる。同じシーンを思い出しても、年とともに感じ方、考え方が変わっていて、わたしは一体何人いるんだろうと不思議な気持ちになってくる。

6歳のわたし、10歳のわたし、17歳のわたし、25歳のわたし、30歳のわたし。
わたしの中に積み重なった幾重ものわたしを、もう一度思い出す、今のわたし。

「書く」の源泉は、記憶の地層だとさっき書いた。
記憶は、忘れることはあっても、決して自分の中からはなくならない。何かをきっかけに、思い出すことができる。わたしはそのきっかけさえ手に入れたらいい。そうすれば、いつまでも書き続けられるはずだ。

そんなふうに思いながら、今日もわたしは書いている。
35歳のなんでもない1日が、またわたしの記憶の地層を厚くしていく。

 

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。


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