【57577の宝箱】痛かった記憶があるから 今きみの痛みがわかる人になれてる

小説家 土門蘭


自転車で道路を走っていたら、歩道と車道の境にある段差に車輪を取られて、盛大に転んでしまった。膝からガツンとコンクリートに落ちる。自転車のかごに入れていたトートバッグが飛んでいって、中からばらばらと手帳や財布やスマートフォンが散らばった。拾わなきゃと思うのだが、膝を思いのほか強く打ってしまってすぐに動けない。
「痛い」
と、思わず声が出た。目に涙が滲む。

すれ違いかけていた男子中学生がびっくりして立ち止まり、うずくまる私の方を見下ろしながら何かを言いたそうな顔をした。「大丈夫ですか」とか「手伝いましょうか」など言われるのかな、と思ったが、彼は特に何も言わなかった。多分戸惑っていたんだろう。子供を心配させてはいけないと思って、「すみません」と言って起き上がった。びっくりさせてすみませんの「すみません」だ。

すごく膝が痛かったが、恥ずかしくてすぐにでもそこから立ち去りたかった。さっさとトートバッグから散らばった中身をかき集め、スマートフォンの液晶画面が割れていないかどうかを確認する。それから、その日履いていた薄い生地のコットンパンツの膝部分も。どちらもなんとか無事でほっとする。不幸中の幸いだ。

それだけ確認すると、私はまた自転車に跨って走り出した。早くコットンパンツの裾をめくって膝がどうなっているのか確認したかったが、道路の真ん中でそれをするわけにもいかない。人のいないところに行かなくちゃ。男子中学生の不安げな顔から逃げるように、私はペダルを漕いだ。

§

人気の少ないところで自転車を停め、パンツの裾を膝まで捲り上げる。服で覆われていたにも関わらず大きな擦り傷が二つできてきて、血が滲み出ていた。強く打ってもいるから、多分あざになるだろう。軽く曲げ伸ばしすると痛む。これは一度家に戻って、消毒して絆創膏を貼らないといけないな。

まずはスマートフォンを取り出す。友達と会う約束があったので、遅れる旨をメッセージで伝える。それから血をティッシュで拭き取り、裾を捲り上げたまま、家に向かって自転車で走った。

走りながら、自分の息子たちのことを考えた。9歳と4歳の彼らはよく転ぶ。それで傷をこさえては「痛い!」とか「血が出た!」とか悲しそうな顔で言うのだが、私はその度に「すぐ治るから大丈夫」と、適当に受け流して絆創膏を貼ってやっていた。だけどなるほど、確かにこれは痛い。自分の一部に傷ができ、そこから血が流れるのを見るのは、心細いものだ。今度からはもっと気持ちをわかってやれるかもしれないな。そう思いながら、ペダルを漕ぐ。

§

家に帰ってドアを開けると、子供たちが
「どうしたん?」「もう帰ってきたん?」
と口々に言って走り寄ってきた。
「さっき自転車で転んで怪我しちゃった」
と言うと、二人は「えー!」ととても驚いていた。大人でも転ぶことがあるだなんて、初めて知ったという顔で。

怪我を見せてほしいと言うので見せてやったら、
「痛そう」「かわいそう」「大丈夫?」「すごく痛い?」
と心配そうに言う。子供たちが怪我をしたときの私の対応とは大違いで、その優しさに笑ってしまった。さすが、転んだときの痛みをよく知っている人たちだ。

「大丈夫。手当してすぐまた出かけるよ」
風呂場で膝を洗って、消毒液をかける。沁みる痛さに顔をしかめながら、大きめの絆創膏をペタッと貼った。
「もう大丈夫?」
「もう大丈夫」
そう言うと、息子たちはほっとしたような顔をした。

「お母さんは手ぎわがいいね」
と、長男が言う。
「君たちので慣れてるからね」
そう答えると、息子たちは揃って声をあげて笑った。二人の半ズボンの裾から、傷跡のついた膝小僧たちが見えている。

§

もう一度自転車に乗り、友達の元へ向かいながら、応急処置だけは確かに上手くなったなと思った。

転んだらすぐに起き上がるし、人に迷惑をかけないよう気も遣えるし、自分で傷の手当てもできる。ズキズキ痛んで泣きそうだけど、この痛みがすぐに消えることも、この傷が数日で癒えることも知っている。子供たちにかけていた「すぐ治るから大丈夫」という言葉は、私がずっと自分に言い聞かせてきた言葉だった。

だけど、「痛そう」「かわいそう」「大丈夫?」「すごく痛い?」と心配してもらえたとき、思いのほか嬉しかった。本当は転んだとき、私だって小さな女の子みたいに「痛い痛い」と言って泣きたかったのだ。もう大人だから、そんなことはしないけれど。

もしかしたらあの時、無言で立ち止まっていた男子中学生は、そんな私に声をかけようとしてくれていたのかもしれない。彼の言葉を遮ったのは、大人の私だったのかもしれない。

「痛いなぁ」
と呟きながら、ペダルを漕いだ。でも、この痛みは忘れないでおこうと思う。今度子供たちが転んだときに、ちゃんと心配できるように。痛いよねって共感できるように。

大人になるって泣けなくなることだけど、その分優しくなれるってことだと思うから。

 

“ 痛かった記憶があるから今きみの痛みがわかる人になれてる ”

 

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 


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