【57577の宝箱】完全な世界はすでに僕の中 どこまで行くかはただ僕次第

小説家 土門蘭


小4の長男が最近塾に行き始めた。

宿題は大変だけど授業はおもしろいらしく、毎回楽しそうに通っている。帰ってくるたび「香川県の特産品は何でしょう?」とか「松尾芭蕉って知ってる?」など、得てきたばかりの知識を嬉しそうに披露する。
そんな顔を見ていると、「この子の中の世界はどんどん広がっているのだな」と思う。お互いの中に「世界」のようなものが存在するとすれば、すでに長男の中の世界には、私の中の世界よりも、出っ張っていたり緻密だったりする部分があるのだろう。

テストの点数とか、順位や偏差値とか、そういうのが気にならないと言えば嘘になるけれど、こういう「ワクワクする」感じを味わえているかどうかの方が大事なように思う。自分の中の「世界」がどんどん広がり構築されていく感じ。もっと大きく豊かにしたい。他の「世界」を持つ人と交流したい。そんなふうに感じるとき、勉強はとても楽しい。

§

私にも、そんな「ワクワクする」時代があったなぁと思う。

私の場合は、大学時代だった。文学部の国文学科に所属していた私は、卒論で吉行淳之介の『暗室』という作品を研究していた。テーマは「生と性」。動物として、人間として生きること、その間の葛藤や乖離について彼はどう表現していたのか……そんなことを1年かけて研究していた。

友人たちもまた、違うテーマで違う作家の作品を研究していて、それぞれの中に異なる「世界」をどんどん構築していた。それを行き来するのが楽しくて、互いの「世界」についても勉強したり、それを自分の中の「世界」に持ち帰ったり。

つまり私にとって、勉強とは自分の中の「世界」を作ることだったのだ。
学べば学ぶほど「世界」は広く深く明確になっていく。そしてその度、いろんな視点に立って人生を見つめられるようになる。

若かった私は、ずっとそんなふうにして生きていけると思っていた。幾つになっても勉強して、どんどん自分の「世界」を大きくしようと。

そんな私にゼミの教授が言った。
「卒業して就職したら、みんなびっくりするくらい本を読まなくなる。忙しくて勉強する時間なんてなくなるよ」
少し寂しそうに言う彼に、私は笑って返した。
「私はそんなことないですよ」

§

でも、蓋を開けてみれば教授の言うとおりだった。

仕事や家事に追われ、ゆっくり本をめくる時間なんてない。子供に「勉強は大事だ」と言いながらも、自分はまったくできていない。「世界」は広がるどころか加齢とともに凝り固まっていき、「頭が硬くなるってこういうことなんだな」と思うシーンが何度もあった。そのたび教授の言葉を思い出しては、後ろめたい気持ちになった。

長男が塾に行き始めてから数週間経ち、私も勉強する時間を取り戻したいと思うようになった。時間さえ確保すれば誰だって勉強するのだということが、長男を見て改めてわかったのだ。となれば私だって、時間さえ確保すればいい。

ただ現実的に見て、勉強用に確保できるのは、1週間に1時間あるかどうか……そんな短い時間で何ができるだろう?と考えていたところ、ふと、NHKの『100分de名著』という番組を観る機会があった。いろんな先生がテーマごとに「名著」をわかりやすく紹介してくれる番組なのだが、これがすごくおもしろい。読んだことのなかった本に出会えるし、それが書かれた時代についても知ることができる。まさに「世界」が広がる感じ。

よし、これを録画して土日に観よう、気になった本は読んでみよう。そんなふうに、今の私版「勉強」の時間が始まった。

§

最初に観たのは「災害を考える」というテーマの回だった。批評家の若松英輔さんが、4冊の本を4回に分けて紹介する。この最後の池田晶子さんの回が、特に印象的だった。

若松さんは『14歳からの哲学』という本を紹介した。哲学者である池田晶子さんが、仲の良かった編集者の子供さんに対して書いた本らしい。私も10代の時に図書館で借りて読んだ本だったので懐かしいなと思いつつも、内容についてはうろ覚えだった。ソファに座ってぼんやり観ていたら、こんな言葉が引用されていた。

「真理は、君がそれについて考えている謎としての真理は、いいかい、他でもない、君自身なんだ。君が、真理なんだ。はっきりと思い出すために、しっかりと感じ、そして考えるんだ」(NHK『100分de名著』より引用)

真理は私の中にある。外ではなく、内にある。私はそれを、一生かけて自分の中に見つけなくてはいけない……。池田晶子さんはその行為のことを「しっかりと感じ、そして考える」と表現した。

この言葉を聞いたとき、「あっ!」と思った。この言葉、覚えてる。忘れてたけど、覚えてる。私は急いでこの本を買った。確かこの本に、「世界」について書かれていたのではなかったっけ?
買った本をパッと開けると、そのページにこんな言葉があった。まるで、私が求める答えに導かれるように。

「自分が存在しなければ、世界は存在しないんだ。自分が存在するということが、世界が存在するということなんだ。世界が存在するから自分が存在するんじゃない。世界は、それを見て、それを考えている自分において存在しているんだ。つまり、自分が、世界なんだ」(池田晶子著『14歳からの哲学 考えるための教科書』p.67より引用)

「あった!」と私は声をあげる。そうだ、この本のこの箇所を読んで、私は私の中にある「世界」について考え始めたんだ。この「世界」をもっと知りたい、きっとそこに「真理」があるはずだからと、そう思って勉強にのめり込んだのが大学時代だった。

かつて自分が鼓舞された言葉に、勉強をし直そうと思ったタイミングでまた出会った。単なる偶然だったとしても、「おかえり」と言われたみたいで、本当に嬉しかった。おかえり、自分の「世界」へ。

本の帯にはこう書かれてある。
「だからとにかく大事なことは、君が『知りたい』という気持ちを強くもっているということ、ただそれだけだということです」

自分のことを、世界のことを、もっと知りたい。
その二つはほとんど同じ意味で、だからこそ勉強はおもしろい。

大事なことを思い出した、久しぶりの勉強時間。
それを忘れない限り、私は幾つになってもワクワクできるのだと思う。

 

“ 完全な世界はすでに僕の中どこまで行くかはただ僕次第 ”

 

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 


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