【57577の宝箱】気に入りの数字が出るまで引き続ける カード遊びにルールなどなく

小説家 土門蘭


昨年の秋から歯列矯正をしている。上下に銀色のワイヤー装置をつけてからもうすぐ1年経つのだけど、この間診察していただいたら「来年の5月には装置を取っても良さそうですね」とのこと。最初は2年くらいかかるかも、と聞いていたので、早めに取れそうで嬉しい。

子供の頃から、自分の歯並びがすごく気になっていた。中学生の頃に友達から歯並びのことをからかわれたことがあって、ずっとコンプレックスだったのだ。
歯科健診でも時折「噛み合わせが良くないから、歯列矯正も検討したほうがいいかもしれませんね」と言われていたので、矯正をするか悩んでいたのだけど、保険がきかなくて費用がかなりかかるため、実家の家計を気遣ってできなかった。

だから、いつか大人になったらしようと思っていた。その頃には、このコンプレックスも消えているかもしれないしなと、淡い期待を抱きながら。

§

大人になると、誰からも歯並びのことをからかわれなくなった。でも、私はずっと自分の歯並びのことを気にしていた。「みんな優しいから言わないだけなのだろう」と思って。
鏡を見るたびにちょっと落ち込み、写真を見るたびにちょっと落ち込む。どんなに昔のことでも、からかわれた事柄は忘れられないものだ。中学生の頃に投げつけられた言葉が、大人になってもずっと残ってチクチク心を刺していた。

昨年の夏、35歳になった時「ああ、40歳まであと少しだな」と思った。人生80年とすると、もう少しで人生の後半戦が始まる。前半戦でやり残したことはないだろうか、と考えた。今のうちに片付けられることは片付けておこう。スッキリした顔で、後半戦に臨めるように。

それで思いついたことのひとつが、歯並びのことだった。歯列矯正をするか、しないか。いい加減決めよう。
私は、中学生の頃にかけられた呪いを解きたかった。長年心をチクチク刺し続けた棘を抜き、コンプレックスを克服したかった。

それで、まず歯列矯正の専門医に診てもらうことにした。客観的に見て矯正が必要なのかどうか。それを専門医に判断してもらおうと思ったのだ。

もし必要ないなら、しない。必要あるなら、する。
そして、するにしてもしないにしても、そこで方針が決まったら歯並びを気にするのは金輪際やめる。

そう決めて、近所の矯正専門の歯科医院に予約を入れた。

§

診察の前に、仲の良い友人に「今度歯列矯正をするかもしれないんだ」と話した。
すると、「えっ、なんで?」とぽかんとされた。

「いや、私歯並び悪いじゃない?」と言うと、「全然気にしたことなかったよ」と驚いている。「もしかしてずっと気にしていたの?」と。

気にしているのは自分だけだったのだと、その時初めて気づいた。
あまりにもコンプレックスすぎて、誰にも言ったことがなかったので、人から今自分がどう見られているのか、ちゃんと聞いたことがなかったのだ。
「そんな昔に言われたこと、一人で気にしていたんだねぇ」
友人は、「そんなの気にしなくていいんだよ」と言った。

その後も何人かの友人に、矯正を検討していることを報告したのだが、全員に同じことを言われた。
「全然気にならないよ」「むしろチャームポイントだと思ってたよ」
その度に私は、昔刺された棘がポロポロと取れていくのを感じた。なんだ、そうだったのか。ずっと悩んでいたけれど、本当は悩まなくっても良いことだったのかもしれない。友人たちの反応は、長年悩んでいた私の心を癒してくれた。

ただ、私はもっとわからなくなってしまった。

人にからかわれたから矯正をしようと思い、人に「気にしなくていい」と言われたから矯正はしなくていいと思う。

本当に、それでいいのかな?
コンプレックスって、一体何なんだろう。誰が作るものなんだろう。私はどうしたいんだろう。

§

後日、予約を入れた矯正歯科にて、自分の歯並びについての診察を受けた。

結果わかったのは、上下合わせて8本の歯が噛み合っておらず、奥歯に大きな負担がかかっていること。長く歯を使いたいのであれば、今のうちに矯正をしておいたほうが安心であること。そう院長先生は説明してくれた。

ただ、そのためには虫歯でもない歯を2本抜かなくてはいけないし、費用も時間もかかる。ワイヤー矯正は痛みも出るし、食事や会話が若干しにくくなるのも事実だ。メリットとデメリット、効果とリスクを考えながら、あとは自分で選ばなくてはいけない。

私は院長先生に、
「矯正するかどうか、すごく迷っているんです」
と打ち明けた。

「昔は友達によくからかわれて、『いつか矯正しよう』って思っていたんです。でも今は『気にしなくていいよ』って友達に言われて、『もしかしてしなくていいのかな』って」
まるで子供のような話だと自分でも思ったけれど、院長先生は真剣に聞いてくれた。

「した方がいいのか、しない方がいいのか。先生はどう思いますか?」

すると院長先生は、
「僕は噛み合わせを見る限りした方がいいと思うけれど、でも、あなたがする必要がないと思うなら、するべきでないと思います」
と言った。

「逆に言えば、みんなが『しなくていい』と言っても、あなたが『絶対にしたい』と思うならするべきだと思います。人はいろんなことを言いますが、どれを選び実行するかは、あなたご自身が決めるべきことなので」

私はその時、心細そうな顔をしていたと思う。だって、大きな決断だ。それを、私一人で決めるなんて。

でも、カードは出揃っていた。いろんな言葉や情報、決断するためのカード。
私はここ数日、コンプレックスと向き合うためのカードを集めていたんだな、と思う。からかわれた言葉だけじゃなくって、違う意見、客観的な意見、いろんなカードを集めたんだ、自分のために。

私は手元に集めたいろんなカードのうち、一番楽しそうな、気持ちよさそうなものを選んだ。誰かに何かを言われたからじゃない。この中から、一番自分にとって良さそうなものを選ぶ。

「矯正します。よろしくお願いします」
その時ようやく、コンプレックスから自由になれたように思う。

§

そうやって選んだから、ワイヤーをつけた時の痛みも、歯磨きの面倒臭さも、抜歯の恐怖も食事の制限も、全部自分のために引き受けられた。逆にもし矯正しないことを選んでいても、私は全部を受け入れただろうと思う。

何を選ぶかではなく、どう選ぶか。
自分が自分のために考え抜いて選んだことは、それがなんであれ全部正解なのだと思う。

ワイヤーが取れたら、記念写真を撮ろうと思っている。その時には、思いっきり笑った顔を撮ってもらおう。

人生後半戦に向けて、ピカピカの笑顔で。

 

“ 気に入りの数字が出るまで引き続けるカード遊びにルールなどなく ”

 

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 


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