【57577の宝箱】強い歯で酸いも甘いも噛み締めて 食いしん坊は味わい尽くす
文筆家 土門蘭
友人に「お気に入りの映画」を教えてもらうのが好きだ。
最近観ておもしろかったとか、印象的だった映画でもいい。友人には感性が近い人が多いから、自分もおもしろく感じるだろうというのもあるけど、それよりも友人がどんな映画で感動するのかを知ることで、もっと彼・彼女と仲良くなれる気がするからだ。映画は観ている間だけでなく、感想を言い合う時間も楽しい。
さて先日は、食べることやお酒を飲むことが大好きな友人に「お気に入りの映画」を聞いてみた。友人は即答で、『シェフ』*という映画を挙げた。
「大好きでもう何回も観てる。観るたびに元気になれるよ!」
じゃあ今度元気のない時に観てみよう。そう言うと友人は「うんうん、ぜひ」と言った。「すっごいおすすめ」だと。
*『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』2014年
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ただ、その後すぐに仕事が忙しくなってしまった。映画を観る時間がない。いつもは土日の夜なんかに映画を観ているのだが、平日の疲れが溜まっていて夜になるとすぐ眠くなってしまう。もちろん休息をとるのも大事なのだけど、心の栄養がとれないと気持ちがささくれだってくるものだなぁと思っていた。つまり、元気がなくなっていたのだ。
ある夜、「これではいけない」と思い立ち、食事の片付けや洗濯の畳みものもそこそこに、ソファに座って映画を観ることにした。観るのはもちろん『シェフ』。久しぶりの映画に、タイトルカットからもうワクワクする。ああ、やっぱりいいものだな。心がグラスの形だったなら、そこにおいしいワインが注がれていくみたいだ。
映画の主人公は、ロサンゼルスの一流レストランを取り仕切る料理長・カール。才能も実力もある彼だけど、「雇われシェフ」ゆえ、オーナーの言う通りレストランの定番メニューを料理することしか許されない。本当はもっと新しい、もっとすごいメニューを作りたいのに……そんな時、レストランに有名な料理評論家がやってくることがわかった。カールは、評論家があっと驚くものを作ろうと奮起するが、オーナーはそれに猛反対で……と、物語の始まりはこんな感じ。あんまり書くとまだ観ていない方の楽しみを奪ってしまうので、気になる方はぜひご覧ください。
私が一番素敵だなと思ったのは、カールがとっても食いしん坊なところだった。自分が食べたいものを自分で作ってみせる。そして周りの人が「おいしい!」と喜ぶのを、とても嬉しそうに見ている。なんてシンプルでダイレクトな喜びの連鎖なんだろう。
カールは息子と一緒に、いろんな場所でいろんな食べ物を食べる。マイアミのキューバサンド、ニューオリンズのベニエ……カールは「本場の味」に敬意を抱いている。それがファストフードだろうがドーナッツだろうが、そんなことはどうでもいい。本場で食べる味が一番だと、彼は信じ切っている。彼は自分の「喜び」を、至るところで新鮮味を持って見出すことができる人なのだ。
それを見ながら、なんて豊かなんだろうと感動した。私はこれまでいくつの「本場の味」を経験してきただろう?
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私はかなり保守的な人間なので、旅行や遠出に出かけても、いつも通りの生活を送ろうとする癖がある。ここでしか食べられない味よりも、いつもの味で安心したい。できるだけ、自分の知っている味の範囲で安心していたい。それはそれで、快適なやり方だとは思う。
でも『シェフ』のカールの様子を見ていたら、その「自分の知っている味の範囲」からどんどん出かけていきたいなという気持ちになった。「本場の味」を味わうとは、きっとそういうことだ。自分が暮らす地域とは違う、異国の味、異国の香り。カールはそれを積極的に味わうことで、自分の料理の幅をどんどん広げていった。まるで自分の血肉にするみたいに。
映画を観終わると、旅行したくて堪らなくなった。鼻をくすぐる香辛料の香り、舌の上で踊る未知の味。いつかまた旅行できるようになったなら、「本場の味」を積極的に味わいに行こう。その喜び方を、私はカールに教えてもらった。
旅行はまだ無理そうなので、私は子供たちと一緒に近所のミスタードーナツへと向かった。カールたちが頬張るベニエを見ていたら、無性にドーナツを食べたくなったのだ。
久々に行ったドーナツ屋さんで、私は定番のオールドファッションと新作のドーナツを買った。本場の味、未知の味を求めて。
友人が「観るたびに元気になれるよ!」と言ったのはこういうことなのかな。そう思いながら、私はオールドファッションを頬張った。観ていると、お腹が空いてくる。新しいエネルギーを、体の中に取り込みたくなくなる。
いつか私も、ニューオリンズにベニエを食べに行ってみたい。本場の熱々の砂糖の味は、一体どんな味だろう?
“ 強い歯で酸いも甘いも噛み締めて食いしん坊は味わい尽くす ”
1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。
1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。
私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。
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