【57577の宝箱】ペンの先すべらせ文字を紡ぐ君 私をつつむ思考の織物

小説家 土門蘭


「土門は字を書くスピードが速いな」

大学時代、アルバイト先で日誌を書いていると、バイト仲間の友人にそう言われたことがある。友人は後ろから私の手元を覗き込みながら「急いでるんか?」と言った。
「いや、いつもこうだけど」
「マジか。すごい速さやな」
「そんなに速いかな?」
「うん。俺が書く倍の速さや、それは」
ええ?と私は驚く。「ほんと? じゃあ試しに何か書いてみてよ」
それで、彼にも日誌のはじに文章を書いてもらった。あいうえお、とか、こんにちは、とか。本当に友人は、びっくりするくらいゆっくりしたスピードで書いた。精悍な彼とは似ても似つかない、丸っこく可愛い形の字を。私は思わず笑ってしまう。
「めちゃくちゃ丁寧に書くね。確かに倍くらい遅いかも」
「違う、土門が速すぎるんや」
そう言い返されたが、普段人が文字を書きつける場面を見ないので、どちらの速さが普通なのかわからない。

「なんでそんなに速く書くん? 書くことが次々に溢れてくるんか?」
からかっているのかと思ったが、友人は極めて真面目な顔をしていた。本当に不思議に思っているらしい。
「いや、別に溢れてくるわけじゃないけど……」
と、私は答える。
「でもまあ、これくらいのスピードで、自分の中から言葉が出てきてる気はするね」
すると友人は「ふうん」と言った。それからノートの上に並ぶ文字をじっくり眺め、「おもしろいな」とつぶやく。
「つまり、字を書くスピードが、土門の思考のスピードなんやな?」
「うん、きっとそうね」
友人は「ふうん」とまた言う。「おもしろいな」と。「俺は遅いもんな」と言われ、私はまた笑ってしまった。

彼が纏う、そのゆったりとした空気感が好きだった。ゆったりと考え、ゆったりと言葉にし、ゆったりとそれを書きつける。小さなことでは動じない大河のようなのんびりさが、彼の書く文字にはあると思った。それに比べると私の文字は、流れの速い小さな滝のようだなと思う。

「遅いんじゃなくて、ゆったりしてるんだよ。私は速いんじゃなくて、せかせかしてるの」
そう言うと友人は、「え、ちょっと待って、もっかい言って」と言った。「土門は話すのも速いな」と。

§

あれから20年近く経ったが、最近よくその時の会話を思い出す。

きっかけは、保育園の日誌を書いている時だった。毎朝子供を送り届ける時、教室の脇に置いてある日誌に子供の様子を記入する決まりになっている。睡眠時間、朝食の内容、体温、排便の有無、お迎えの時間、そして家での様子を書くフリースペース。
出勤前の忙しい時間、大抵の保護者は「急いでいるんだな」とわかるような、さっとした文字を書き残す。もちろん私だってそうだ。画数の多い漢字じゃなくてひらがなやカタカナを書いたり、誤字脱字もそんなに気にしなかったり。それよりも早く行かなくちゃ! 私たち保護者はいつだって急いでいる。

でも、ある時ふと隣のページに目をやると、とても丁寧に書かれた文字が並んでいることに気づいた。同じクラスのお母さんで、時折すれ違っては挨拶をする方だ。内容を読んでみると、朝食の欄に「おにぎり、お味噌汁、目玉焼き、りんご」と書いてあった。偶然にも、その日のうちの朝ごはんとほとんど同じだった。でも、丁寧に書かれたその文字からは、書き殴ったような私の文字よりも、ずいぶん豊かな朝食の様子がイメージされた。

その時、大学時代の友人との会話を思い出した。
彼にも今は二人の子供がいる。保育園に日誌を書く時も、あののんびりしたスピードで書いているのだろうか。そう思うとちょっと笑えた。相変わらず、マイペースでやっているかなぁ。

おにぎり、お味噌汁、目玉焼き、りんご。私は翌日から、わざと時間をかけて文字を書き始めた。はやる気持ちを宥めながら、1文字1文字丁寧に書く。そうは言っても、せいぜい10秒速いか遅いかの違いだ。それなのに、この10秒がとても贅沢に感じる。私はゆったりと文字を書きながら、朝食の時間を振り返る。すると不思議と、その朝食の時間がいいもののように、豊かなもののように感じられるのだった。

§

大学を卒業した後、彼から手紙が送られてきたことがある。その頃私は就職のために上京していて、彼は留年のために関西の大学に残っていた。

「お元気ですか? 俺は元気です」
そんな言葉から始まる手紙だった。今もどこかに仕舞っているはずだけど、なんとなく気恥ずかしくて探す気にならない。でも確か、近況とか最近読んだ本とか、とりとめのない内容だったように思う。

一箇所だけ、鮮明に覚えている箇所がある。友人は手紙の中に、こんなことを書いていた。
「俺は今、カフェでウイスキーを飲みながらこれを書いています。店の中には、俺以外誰もいません。ちょっとかっこいいやろ?」

その頃私は、毎日の仕事に追われて身も心もボロボロだった。夜遅く家に帰ったら、ポストにその手紙が入っていてとても驚いた。お風呂にお湯を溜めながら、私はその手紙の封を開けた。キッチンで突っ立ったまま何度か読んで、それから一人で泣いた。感動的なことが書かれていたわけではない。ただ、友人が纏うゆったりとした空気がここにも届いたような気がして、それが懐かしくてたまらなかったのだ。

私はあの手紙に返事を書いたろうか。
今度会ったら聞いてみようと思う。

 

“ ペンの先すべらせ文字を紡ぐ君私をつつむ思考の織物 ”

 

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 


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