【大人が進路にまよったら】前編:41歳で事務員からアクセサリー作家へ。

編集スタッフ 寿山

いくつになっても楽しそう。そんな大人に憧れます。歳を重ねていけば、すいもあまいも色々なことがある。それでも前を向いて、軽やかに自分の進みたい道を歩いているように見えるあの人は、どんな道のりを辿ってきたのでしょうか。

今回の特集では、41歳のときに事務職からアクセサリー作家へと転身した「väli(ワリ)」の水野久美子(みずの くみこ)さんを訪ねました。

作家として活動してちょうど10周年、50代を迎えたばかりの水野さんに、まずは大人になってから、新しい進路をきめるまでの話を伺います。

 

37歳で失業して、アクセサリーの学校へ

水野さんがアクセサリーを作り始めたのは、37歳のとき。販売員や事務職、経理などいくつかの仕事を経て、アクセサリーの専門学校に通ったことがきっかけでした。

水野さん:
「じつは学校に入学する少し前まで、夫の会社を手伝っていました。でも、離婚をきっかけに仕事を失って、半年くらい何もせずに暮らしていたんです。

そんな私を心配した友人が、何かやってみなよと薦めてくれたのが、アクセサリー作りでした。

言われるままにまずは学校を探して、体験入学に参加したんです。やってみたら楽しくて、すごく軽い気持ちで入学しました。1年ほど通ううちにすっかりはまってしまって、専門過程に進んで、さらに3年間学ぶことになりました」

友人のアドバイスに乗っかってみる、という経験は誰しもあるもの。ありふれた小さなきっかけが、人生を切り開くきっかけになることもあるのですね。

 

大人の理性に、勝るもの

ひょんなきっかけで新しいスタートをきった水野さん。アクセサリー作りは楽しそうだけれど、専門学校という歳の離れた若者に囲まれた環境で、勉強することに不安は感じなかったのでしょうか?

水野さん:
「クラスメイトの多くは二十歳そこそこで、ともすれば母親くらい歳が離れていましたが、そこまで違和感なく学校生活を送れたんですよね。たぶん高校を卒業してすぐに働き始めたので、遅れてやってきた青春時代という感じで、不安よりも楽しさが勝っていたのだと思います。

とにかく学ぶことに夢中になってしまって、アルバイトで生活費を稼ぎながらトータルで4年間も通ってしまいました(笑)」

いくつになっても「楽しい」気持ちが背中を押してくれる場面があるって素敵だなあ。大人になると理性に従うことが正しいように思えるけれど、「楽しい」も大事にしたいなあと思えてきます。

 

41歳で、あたらしい進路を決めるまで

4年間学校に通った水野さんは、卒業したときは41歳。年齢的に焦りは感じなかったのだろうかとお話を伺うと、焦って決めないためにも、卒業後にじっくり進路を考える時間をつくったのだそう。

水野さん:
「在学時に学校の交換留学プログラムでエストニアに滞在したことがあったのですが、カゴやウール製品に木工など、手工芸がさかんな街で、1回目の滞在ですっかり魅了されてしまいました。

それで卒業後にもう1度エストニアを訪れて、数週間ほど滞在してみたんです。それからスウェーデンやドイツなど気になる都市をいくつか放浪しながら、どの街にも数週間ほど滞在して、暮らしてみて。『この街で生きていけるだろうか?』なんて想像を巡らせながら、これからのことを考えました」

▲棚の上には海外で買い集めた大小のカゴや木工品がずらり

水野さん:
「ヨーロッパのアートジュエリーに興味があったので、それを学べる大学に編入しようかなあと夢も膨らませて。現地で面談なども受けましたが、編入に必要なレベルの語学力がなくて、まずは語学留学する必要があるとわかりました。

年齢を考えると、もう少し早く実績を積みたいという思いがあったり、アートジュエリーの市場を調べたらやりたい方向性と違うなあと感じたり。やはり私は日本で活動するのがいいかもしれないと、ようやく結論が出て帰国しました」

当時を振り返りながら話してくれた水野さんの言葉で、「気になることはやってみて、無理があることは手放せばいい」という言葉が印象的でした。

ついどんなことも続けてみるのは大切だと思ってしまいがちですが、大人が進路を決めるためには、自分の心の声によくよく耳を済ませること。それが1番大切なのかもしれません。

▲フランスのアンティークビーズを編み込んだイヤリング

日本で暮らそうと決めたはいいけれど、アクセサリーを作りながらどうやって生活していけばいいのかわからなかったそう。いろいろ調べてまずは都内のデザイン系のイベントに出展したのだとか。

水野さん:
「いくつかのイベントに出展するなかで、学校の恩師の展示会の一角に作品を置かせてもらったとき、あるバイヤーの方に声をかけていただいて、取り引きが始まりました。もともと好きなお店だったので夢のようで、すぐに二つ返事をしました。

でもアクセサリーでは全然食べていけなくて、ずっとアルバイトしながら制作を続けていました」

 

好きなことをやりつつ、生活するにはどうしたらいい?

▲銀糸を編んでつくるネックレスは、水野さんの代表作

とある雑誌でミナ ペルホネンの代表・皆川明さんの記事を読んだ水野さん。皆川さんがブランドを立ち上げた当初、朝は築地でアルバイトをして、午後から制作をしていたというエピソードにヒントを得て、近所のパン屋でアルバイトを始めます。

水野さん:
「近所のパン屋さんで、早朝から陳列、販売をして、13時には終わるアルバイトを見つけたんです。それで午後は家で制作をして、22時くらいには寝るという生活を送っていました」

体力的に辛くはなかったですか?と尋ねると、早寝早起きなので、逆に健康的になったと笑います。その笑顔の向こうの努力は容易に想像できますが、それから5年ほどアクセサリー作家としての活動を続けて、ようやくアルバイトをしなくても生活できるようになりました。

 

幼少期の体験が、自分を助けることもある

ふと、ファッションに関係ない仕事を続けてきた水野さんが、どうやってアクセサリー作りのヒントを得ているのか不思議に思って聞いてみました。

水野さん:
「両親が縫製の仕事をしていたので、小さい頃から作業を眺めるのが好きでした。私自身も同じような仕事に就こうかと服飾系の学校へ行くことも考えましたが、手工芸で生計を立てる難しさも、両親を見ていて感じていたんです。それで共通する部分を残しつつ、会社勤めを選びました。

それでも、小さい頃から糸や布、洋服に触れる機会は多かったし、父が雑誌の『Olive』や『雑貨カタログ』を定期購読していたので、ファッションや雑貨も好きでした。

今思えば、そのときの経験も『糸で編むアクセサリー』という今の自分のスタイルにつながっているのかもしれません」

他にもアクセサリーの制作というアウトプットのために、インプットとして、コロナの前はお金を貯めてはヨーロッパの諸国を旅していたそう。

現地の蚤の市でカゴやアンティーク雑貨を買い集めながら、作品のインスピレーションにしたり。現地の民族博物館などで刺繍を眺めたり。旅の途中あちこちで集めた雑貨が家にたまってしまい困り果てた頃に、知人の勧めで日本の蚤の市に出店することになりました。

・・・

続く後編では、蚤の市で広がった新たな世界と、50代からの働き方について詳しく伺います。

 

【写真】本多康司

 

もくじ

 

水野久美子

会社員などを経て2012年よりアクセサリー作家としての活動をスタート。糸でつくる装身具を制作。趣味で古い服のお直しや漆継ぎなども手がける。http://vali9.com/。Instagram_@chikuchiku9

 


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