【新連載|日々は言葉にできないことばかり】:怒り、喜び、悲しみ。100%の感情ってあまりない
文筆家 大平一枝
不意に思い出す、何年も前のもやもや
電車を待っているときや眠る前など、日常のなんでもない瞬間に、何年も前の些細なもやもやを、不意に思い出すことがある。なんであのとき「ノー」といえなかったんだろう。このとき、気持ちを伝えなかったんだろう。きっとあの人は今も私のことを図々しい人と思っているんだろうな……。
わざわざ、「じつはあのとき悲しかったんです」と口にするほどでもない、とるにたりないこと。なのに、なんだか忘れられないできごと。やるせない感情。わだかまりというほどでもない心のしこり。
つくづく、日々は喜怒哀楽より、言葉にできない感情のほうが多いなあと思う。
さて、この連載では、そんな名指せない感情についてさまざまな方とお話をしていくことになった。
あなたの日々の中にも言葉にならないことはありますか? それとどんなふうに付き合っていますか、と。小さな生きづらさや心のすれ違いにくよくよする自分をいったん肯定したい、それもまた自分であり、そのままの自分でいいと伝えられたらいいなと思ったからだ。
で、第一回目はこの方に、と真っ先に浮かんだのが岡本雄矢さんなのである。
ふらりと入った本屋で
夏のはじめ、ふらりと入った本屋で『全員がサラダバーに行ってる時に全部のカバン見てる役割』というタイトルにぐぐーっと惹きつけられた。私は書店の滞在時間がひどく長く、欲しい本をためつすがめつ、同じ棚を何度も行き来するタイプなのだが、そのときは吸い寄せられるように手に取り、2、3首読んで、すぐ買ってしまった。
写ルンですあるんですけど撮るものがないんです撮る人いないんです
道を行く人の夕食予想することで世界と繋がっている
左手に見えますホストに座られているのが僕のスクーターです
スパゲッティがパスタになってバイキングがビュッフェになっても僕ずっと僕
そう中高校生の頃、他人に腰掛けられていた自転車を「それ私のです」って、なかなか言い出せなかった。相手がキラキラまぶしい人たちだったらなおのこと。グループが去るのを、物陰でそっと待ったりして。なんだったら今も、スーパー銭湯の自分のロッカー前に元気な親子などが陣取っていると、言い出せなかったりする。
スパゲッティの呼び方が変わり、世の中がどんなに変わっても、不器用な自分はそのままだ。変わらないことも大事だぞといいきかせるのだけれど、胸を張って言えるほどにもなれず。
歌人芸人・岡本雄矢さんの短歌エッセイには、これはあのときの自分だと思わせてしまう不思議な魅力がある。
そして、勝手に確信してしまったのだ。彼ならきっと、自分の切なさとの付き合い方を知っているに違いない。
日々は言葉にできないことばかり
第一回 岡本 雄矢さん
1984年北海道生まれ。札幌吉本所属。「スキンヘッドカメラ」としてコンビで活動中。詠みはじめるとなんでも“不幸短歌”になってしまうという特徴を持つ、「日本にただ一人の歌人芸人」。10年前から短歌を作り始め『ダ・ヴィンチ』に投稿。歌人・山田航さんの指導で、3年前より本格的に詠みはじめ、今春『全員がサラダバーに行ってる時に全部のカバン見てる役割』(幻冬舎)を上梓した。
Twitter @yuyaokamoto1984
Instagram @yuya_okamoto0331
なにが正解か。今も迷い続けている
── ご著書のタイトル、最高ですね。この本は、日々の中にもやもやした、ああ言えばよかった、こうすればよかった、また今日もサラダバーで荷物の番をしちゃったよというような切なさが、おかしみとともに三十一文字で言語化されていて、はっとしました。
岡本 ありがとうございます。
── SNSはなんでも「いいね」の連続ですが、人生はいいねじゃないところにこぼれ落ちていることがいっぱいある。「いいね」じゃなくちゃ、明るくなくちゃ、繋がってなくちゃ。孤独はいけないもので、情けなくて落ち込むのは良くないこと、というのはどうも息苦しいなあと。
岡本 うん、うん。
── でも岡本さんの本は、言いたいことを言えなかった自分や、ひとりぼっち、つながらないこと、つながれないことを肯定している。それが自虐的じゃなく独特のおかしみがあるところに、なんだかとてもホッとしたのです。
岡本 短歌を作り始めた頃、『ダ・ヴィンチ』への3回目の応募で、穂村弘さんに選んでいただいたことがあって。
── すごい。背中を押された感じでしょうか。
岡本 そうですね。正直短歌のことはわかんないから、その時に選ばれた短歌も何がいいって自分でも説明できないんですけど……。でも、自分の発想は別におかしなことじゃないんだなって思えた。自分がそこに当てようとしたものは変なのか、それともそんなに変じゃないのか。これはエッセイでも、漫才のネタでも、繰り返しいつも考えて続けていることです。
── 私も原稿を書くとき、これでいいのか、と考えすぎてわからなくなることが始終あります。
岡本 ああ~。お笑いはそうですね。それはもう本当にわからない。
── その怖さはありますか。
岡本 ずっと迷ってます。怖いっていうか、何が正しくて誰を信じていいのか。同じネタやっても、いいと言われたところが、他の人からは悪いって言われる。真逆のことを言われたりするので。
── 今でも迷い中?
岡本 いやもう、どんどん深くなってるくらいです。エッセイは編集者さんがいるし、短歌は先生がいる。良し悪しの支柱があるんですけど。お笑いはどこが正解なのかいちばんわかんないです。
芸歴20年。賞レースやテレビだけがものさしではない。日々舞台で戦う人の、身を切るような厳しさが垣間見える。
絶対覚えていられるって思うのに
それから岡本さんは意外なことに、短歌もお笑いのネタを考える延長線上にあると、ネタ帳がわりのスマホのメモを開いて見せた。
岡本 芸人は皆そうだと思いますが、結構つねに、街を歩いていてもネタを探しているところがあります。無意識のうちに面白いことを探す体になっている。そのアウトプットが漫才のネタか短歌かというだけで。
── へえ。同じところからうまれているんですね。
岡本 短歌にはオチがいらないというところだけ違います。悲しいとか嬉しいとか自分の気持ちをあまり書かず、状況だけを詠んであとは読み手の想像力に委ねるものがよいとされているので。
── たしかに、サラダバーの短歌、状況だけですもんね。
岡本 そうなんですよ。これ本当に。別に僕の気持ちはどこにも入ってない。
── こういうシーンは実際に体験されたんですよね、きっと。
岡本 なんか、ありますね、やっぱり。
── また待ってるよ俺、とか、もうちょっと待っていればみんな帰ってくるかな、っていうときに思いつくんでしょうか。
岡本 えーと、最初は、みんなパーって行くから「あれ、財布大丈夫なのかな?」っていう入りなんです。でもワイワイ言ってるし呼び止めるのもなあ、じゃあ待ってようかと。このとき、「でもなんでいつも俺が待ってるんだろう」っていう発想だけがあって。それをスマホにメモして、あとからネタか短歌か考えます。
私もエッセイや原稿のネタを日々スマホにメモしているので、ここから互いに見せあいになった。彼は、前日発った新千歳空港のコンビニがちょうどドリンクの入れ替えで、『ローソンの飲みものの棚スカスカで仕方なくアールグレイ(無糖)』のメモが。
私は、数日前にバーで隣あった新社会人の言葉から、『毎日 背泳ぎ』。仕事が忙しすぎてやってもやっても終わらず、ゴールも見えない。毎日前方が見えないまま全力で背泳ぎをしているみたいなんです、とポツリと漏らした横顔が気になって。
職業も世代も何もかも違うが、小さななんとも言えない切なさが、日々ぶんぶんせわしなく回転し続ける心に、ちょっとひっかかって一瞬動きを緩めるような、そんな癖は共通しているのかもしれない。
ちなみに、スマホにメモをし始めた動機も似ていた。
岡本 最初はメモしていなくて、こんだけ面白い発想を思いついたんだから絶対覚えていられるって思うんですけど、家帰ったら全然忘れてるんですよね。これはダメだと。その時の衝撃が強いから、絶対覚えてるじゃんって思うのに覚えてないんですよ!
自分だけの体験は、自分の言葉で書ける
岡本 大平さんは短歌は作らないんですか。
── はい、俳句ならあるんですけど。句会で褒めあうのが大変で、もうやめました。
岡本 でもなんか、作れそうな感じがします。
── ほんとですか? 師匠!
岡本 師匠じゃないですよ! でも僕が作るときに思ってるのは、たとえば恋が素晴らしいとか、夢は見るものだとか、もうそこの山にはみんなが登ってるじゃないですか。でも自分に起こった体験って自分にしかない。その山に登ってるのは自分だけ。だから、いい悪い別にして1位を取れるんです。「実家の麦茶がまずそう」なんて言われたの絶対僕しかいませんから(笑)。
初合コンで言われた第一印象は「実家の麦茶まずそう」でした
── この短歌ができたのは、自分の山だからなんですね。
岡本 はい。別に1位は取らなくていいんですけど、僕はそんなふうに意識して作るようにしています。
── なるほど。
岡本 “自分みたいな人がいるんだなと励みになりました”とか、“無理して変わらなくても、このままでもいいじゃないかと思えました”みたいな感想が、一番多くて嬉しかったです。共同体じゃないですけど、自分みたいな人種がいるからいいんだなって思える人がいる。そんな横のつながりがあるだけでも、素敵だよなって。
変わらなくていいんだよと言いたくて短歌を詠んだわけではない。「私と同じ人がいるとわかって嬉しいです」という感想から彼もまた、変わらなくていいのだと気付かされたのではなかろうか。本書を読んだからと言って、サラダバーにいの一番に行ける人にはなれないだろう。しかし、読む前と読んだ後で、同じ荷物番でも、ちょっと気持ちが変わっているに違いない。やはり、話を聞けてよかったなとしみじみ思った。
100%の感情って、あんまりないんじゃないか
20年お笑いの世界にいて、このようなテーマで話すのは初めてだという。だから最後にぶしつけに聞いてみた。今回引き受けてくださったのはなぜですか。
岡本 近い人なんだろうなっていう。すごいあれですけど、はい。僕も言葉にならないとかそういうところもありますし。
── サラダバーの短歌を作ったときに、言葉にならない感情をつねに探しながら生きてらっしゃるという意味のことをおっしゃって、ああ言葉へのアプローチは似ているなと。
岡本 僕は100%怒りとかってあるのかなって思うんです。日常って、もっといろんな感情が混ざってる。悲しみの中に少しのおかしみもあるし、怒りのなかに寂しさやトホホもある。そんな自分を客観的にみて滑稽とも思う。いろんな感情が全部重なって、それが言葉にならなくなってるってことなのかもしれないですね。
── 気持ちにはグラデーションがある。だから短歌もそれぞれどんな解釈をしてもらってもいい。
岡本 そう、読みとき方に答えはないので。僕は単純に短歌作るのが好きで、言葉が好きなんですよね。五七五七七という最低限のルールの中で作るのが。それを見てくれる人がいて。全部否定されるわけじゃなくて半分くらい肯定してもらえる。だから続けられた。さっき、SNSの『いいね』の話が出ましたが、いいねカルチャーがあるから、僕の不幸感を共有してもらえるんじゃないかなって思います。
*
別れ際に、私が最も好きな短歌を伝えたら「それ、いいっていう人わりと少ないです」と笑った。
どの暮らしにも関与していないのにWi-Fiだけは僕を見つける
「でもいいんです。好きなように詠んで、好きなように読んでもらえれば。100人いたら100通りの受け取り方があるのが短歌のいいところですから」。
人によって好きなものや受け取り方が違うのは、言葉の短さの効果も大きい。情報も気遣いも、なにもかもが過剰な時代だからこそ、制限された文字の中で自在に遊ぶ楽しさが尊く見える。
感情の砂をすくいとってみる
言われてみれば、ただただやるせなくてもやもやしているとか、腹だたしい気持ちでいっぱいということはあまりない。もやもやのなかに私だけのトホホの山1位があったり、あの怒りの端っこに寂しさや甘えたい気持ちもあったりもした。一旦立ち止まって、感情の砂をすくいあげると、思い込んでいたものと違う粒が見えてくることもある。
前述の通り、この連載では12回にわたってさまざまな人に、切ない感情との付き合い方を聞いていく。岡本さんが、自称「生き方ベタ」な自分を俯瞰しておもしろがれるのは、芸人さんならではの感覚と技術の賜物だとわかったが、彼ともやの距離感には気づきをもらった。
思うように振る舞えなかったことを不意に思い出して、やるせなくなる夜はこれからもあるだろう。でも、あったことをなかったことにはできないし、自分を変えることもなかなか難しい。
彼の読者がそうであるように、自分と同じように不器用な人がいると知れたのも、じつは今回の小さくない収穫である。それだけで心が少し補強される。安らげる。
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『男と女の台所』『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。最新刊は『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)。インスタグラムは@oodaira1027
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
撮影:キッチンミノル
協力:新宿DUG(ダグ)
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