【自分らしく生きるには?】第1話:スタイリストに憧れていたけれど……。青森で育ち、上京したときのこと

ライター 長谷川未緒

毎年春になると、新年とは違うはじまりの予感に心がそわそわします。

これからどんなふうに生きていけばいいのかなぁ、なんて漠然と考えてみたりも。

地に足をつけて、自分の軸を大切に生きていけたなら、人生100年といわれるこの時代、何歳になっても充実した毎日を過ごせるはず。

そんなことを思ったとき、ある方に話を聞いてみたいと思いました。

大人のための普段着のレーベル「CHICU+CHIKU 5/31」のデザイナー・山中とみこ(やまなかとみこ)さんです。

専業主婦から古道具屋の店主、デザイナーと、そのキャリアもさることながら、上京や介護、子育てなど、生活ががらりと変わるさまざまな経験に、等身大で向き合ってきました。

「身の丈に合った範囲で冒険してきた」と語る山中さんに、まずは少女時代の思い出から伺いました。

 

幼い頃にみた光景と、親と離れて暮らした少女時代

山中さんは、1954年、青森県青森市で生まれました。警察官で駐在所勤務だった父親の転勤にともない、生まれてすぐ三沢市に引っ越します。

山中さん:
「交番は街中にありますが、駐在所は中心から離れたところにあるので、家も駅から1時間近くバスに揺られたところにありました。

三沢市には米軍基地があって、アメリカ軍のひとたちが暮らす米軍ハウスが並ぶエリアをずーっとバスで通るんです。

平屋に芝生の庭、各戸に車がある様子は、当時まだ貧しかった日本の中にあって、別世界でした。

幼稚園にあがる前に見た景色なのに、いまでも脳裏に焼き付いています」

小学校入学と同時に親元を離れ、青森市にいる母方の祖父母と暮らすことになりました。

山中さん:
「父は転勤が多かったので、ひんぱんに転校することになったらかわいそうだと思ったんでしょうね。

昔は何ごとも父親が決めるのが当たり前で、こちらの希望は聞かれませんから、気づけばおじいちゃんの家で暮らすことになっていたという感じ。

姉と兄がいましたが、姉は7歳年上で、中学卒業後は美容師として働いていました。

兄は障がいがあって施設で暮らしていたので、祖父母と3人暮らしみたいなものでした」

青森市と三沢市は離れていて、バスの本数も少なく、ちいさい子どもがひとりで通うことはできません。両親に会えるのは、夏休みや冬休みだけ。

山中さん:
「母親は週末に来てくれることもありましたが、子ども時代は、ずっとさみしかったです。授業参観日や運動会も、親はいませんでしたし。

小学校高学年からは、ひとりで週末に会いに行けるようになりましたが、帰りはいつも『帰りたくない』と思っていました。

でも、親にはさみしいとは言えなかったんですよ。そういう時代だったのか、自分が言えないタイプだったのか……」

 

母親の作る郷土料理は、思い出の味

両親と会うときの楽しみは、母親がつくってくれる食事にもありました。

山中さん:
「母の作る料理は、手の込んだものじゃなくても、とてもおいしかったです。

青森は、あずきの代わりに甘納豆でお赤飯を作るんです。甘いお赤飯。

それから帆立貝に具材を乗せて、たまごを溶いて味噌で味つけをした貝焼き味噌は、ソウルフードです。

ほっけも、東京は干物ですが、青森ではつみれ汁。また食べたいなあ、と思う味です」

母親の手料理のうち、自分でもよく作るものがいくつかあるそう。その中のひとつが、にんじんのたらこ和えです。

山中さん:
「お正月になると必ず出てきました。

太めの千切りにしたにんじんを、ひたひたのお酒と水で煮て、塩漬けたらこではなく、生たらこを加えてひと煮立ち。

東京では生たらこは手に入りづらいので、塩漬けたらこで作ります。

にんじんが甘くて、子どもでもたくさん食べられるんですよ」

 

姉の応援で、首都圏の大学に

高校生になり、当時刊行されたばかりのインテリア雑誌を開くと、幼い頃、あこがれの目で見ていた米軍ハウスをリフォームして暮らしている日本人の家が載っていました。

山中さん:
「電線ドラムをテーブル代わりにして庭に置いていたり、古い布をテーブルクロスにしていたり。

どうなっているのだろうと思っていた家の中は、こんなふうになっていたのか、とますますあこがれが募りましたね」

インテリア雑誌やファッション雑誌を見ては、カーテンを無地の布で作ったり、買ってきた洋服に手を加えたりしていた山中さんは、誌面でよく見る東京へ行きたいと夢見るように。

山中さん:
「東京の大学に行きたいと言うと、ものすごく反対されました。同級生たちは、地元か北海道の大学に進学する人が多かったので。

東京には親戚もいないですし、わたしも家族も、一度も行ったことがありませんでした。

そういうところに女の子を行かせるのは危ないという心配と、費用面でも難しかったのだと思います」

山中さん:
「ほんとうはインテリアスタイリストとかデザイナーとか、カタカナの仕事に就きたかったけれど、父が許してくれるとも思えず。

その思いは胸にしまって、兄が障がい者施設に入っていたこともあり、福祉の勉強をして卒業後は青森に帰ってくると約束したんです。

それがわたしにできる精一杯の冒険でした。

最後は姉が両親を説得してくれて、祖父が金銭面で応援してくれることになり、ようやく父親も許してくれました」

 

青森駅から寝台車に乗って

山中さん:
「青森駅から寝台車に乗って、朝6時に上野駅に。

上京といっても、大学は首都圏ではあるものの、東京ではありませんでした。恥ずかしがり屋で、東京に行きたかったけれど、いきなりは行けなかったんですよね。

父親からのはげましの言葉など、ドラマティックな展開を期待するかもしれませんが、そういうのはなかったんですよ。

淡々としながら、心に秘めている希望で、わくわくしていました」

夢を口には出さず、福祉を学ぶという現実的な道を選んで上京した山中さん。

続く第2話では、話が違うと激怒された大学卒業後の進路や、大反対された結婚、親の介護など、イベントフルな前半生を伺います。

(つづく)

 

【写真】小禄慎一郎


もくじ

 

山中とみこ

1954年生まれ。専業主婦、古道具屋店主、小学校の特別支援学級の補助職員などを経て、2003年49歳のときに大人の普段着のレーベル「CHICU+CHICU5/31(ちくちくさんじゅういちぶんのご)をスタート。著書に『時を重ねて、自由に暮らす』(エクスナレッジ)、新刊に『山中とみこの大人のふだん着』(文化出版局)がある。インスタグラムは @chicuchicu315

 


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