【自分だけのスイッチ】後編:50代で決めた独立。小さく、長くが今の目標です
編集スタッフ 藤波
「働くってなんだろう?」……そのヒントを得るべく、江古田にある古本屋『snowdrop』の店主である南由紀(みなみ ゆき)さんにお話を伺っています。
前編では、古本と全く縁のなかった南さんが古本屋になるまでのお話を聞きました。
後編では、突然決まった独立と、働く中で今考えていることを詳しくお伺いします。
前編はこちらから
独立を決めたのは、本を嫌いになりたくなかったから
▲気に入っているという、妖怪や妖精についての書籍をまとめたコーナー
老舗の古本屋『ポラン書房』で働いて14年目、閉店は突然決まったそうです。
南さん:
「賃貸の契約や、店主夫婦の年齢、コロナの影響……色んな理由がありましたが、2020年の秋、3ヶ月後にお店が閉店することが決まりました。
そのとき50歳を過ぎていて、離婚をしたタイミングでもありました。別の書店に転職するか、店主夫婦について行ってネット販売の仕事を手伝うか、この先の選択肢はいくつかあったものの、崖から落とされたみたいな気持ちでしたね。
経済的な面以外にも、私生活がうまくいかない時期にこの仕事が心の安定剤だったので、これから何を支えにすればいいんだろう?と不安でした」
南さん:
「独立するのは簡単じゃないと分かっていたし、私なんかが大丈夫なの?と全然自信もなかったです。でも何より怖いのは『ポラン書房』で培った価値観や経験値、古本に対する “スイッチ” を上書きされて、本を嫌いになってしまうことだと気がついて、そしたらもう自分でやるしかないなと。
もし考える時間がもっとあったら怖くて独立していなかったかもしれないけれど、タイムリミットがあったから思い切れたような気もしています。
まあ、まだこの選択がよかったかは分からないですけどね(笑)。あと数年後に、そう思えたらいいなあって思っています」
背中を押してくれた一冊との出会い
とはいえ、最後の最後まで独立するか迷っていたとき。ある一冊との出会いに背中を押されたそうです。
南さん:
「『ポラン書房』の最後の買い付けで入ってきた、小泉今日子さんの『小泉放談(宝島社)』です。
小泉さんが50歳を迎えるときに、人生の先輩方に色々なお話を聞いて、誰かの手引きになればとまとめた本らしいのですが。読んでいたら、出てくる皆さんが本当に前向きで弾けていて。
だめだったらだめで考えたらいいじゃん、人生あと短いんだからやりたいことやりなさいよって、明るい人ばっかりで。だんだんと悩んでいる自分がバカらしくなってきたんです。
他にも、その時期に出会った原田マハさんの『独立記念日(PHP文芸文庫)』もすごく心に響きました。まるで独立しなさいよって誰かに背中を押されているように思えてきて……きっと、たまたまなんでしょうけどね」
背中を押されたように感じたのは、知らず知らずのうちに独立に向けて心のアンテナを張っていたからかもしれません。
それでも、無数にある本の中から出会った2冊が背中を押してくれた。そんな素敵な偶然は信じたくなってしまいます。
おばあちゃんになっても、ここならと思えた
そうして独立を決意したあと、この場所に店を開いた理由を聞いてみました。
南さん:
「2月に『ポラン書房』が閉店して、4月に『snowdrop』をオープンしたので、閉店準備と開店準備がかさなって嵐のような毎日でした。
そんな中でこの物件をはじめて見にきた時、わーっといろんな姿が浮かんだんです。店内はこういう配置で、こういう人に向けた本を並べたいなとか。ここならヨボヨボになっても一人で歩いてこられるなとか。
ここは1階で、前の道路は人通りもあるので、たまたま通りがかった方が『あれ、なんか本屋があるな』ってふらっと入ってきてくださるんですよね。学生街でもあるので、今まで古本なんて手に取ったことがなかったような若い方との出会いもある。
それがすごく魅力的だなと思いました。本はもうだめだとか耳にすることもあるけれど、いったん踏み入れてくれれば、まだまだ広がる可能性はあるんじゃないかと思っているんです」
開けた場所にしたいという南さんの思い。私が『snowdrop』で感じた居心地のよさの理由がだんだん分かってきた気がします。
本のラインナップについてもどこか身近な空気を感じるのですが、何か指針はあるんでしょうか?
南さん:
「一人になってすぐ、何かに迷うと、ふと『ポラン書房』の店主の姿が浮かんでくることがありました。教えてもらったのは全部感覚的なことだったけれど、たしかに背中で教えてもらってたんだな、これって職人的だなとそのとき思いましたね。
この街には、はじめて古本屋に来たような若い方も、昔を懐かしんでくださる年配の方も、小さなお子さんがいるご家族もいらっしゃるので。
中心として考えているのは自分も好きな日本文学や暮らしにまつわる本、漫画、それから絵本。とっかかりとして興味を持ってくださる方が多いので、海外文学も店内入ってすぐの場所に置いています」
『狭くても、広がっているんだよ』
さまざまな年代のお客さんが訪れる『snowdrop』ですが、『ポラン書房』時代の常連さんが来てくれることもあるそうです。
南さん:
「なんとかやっているけれど、『ポラン書房』が歴史のある立派な古本屋さんだったぶん、実は今でも自信がないんです。昔の常連さんが足を運んでくださるとすごく嬉しいんだけれど、つい申し訳なくて『お店がこんなに狭くなっちゃってごめんなさい。品揃えも狭いですよね』と謝ってしまって。
そんなとき、ある常連さんが『店はたしかに小さくて狭いけど、広い世界なんだよ。一冊一冊、南さんが広げた世界がこれだけあるんだから』って言ってくれたんです。
他にも若い学生さんで、この店を心の拠り所みたいに思って、卒業制作の題材にしてくれた方がいたり。
人生の成り行きで始めたことなのに、そんなふうに思ってくださる方々がいる。こんなにありがたいことってないなって、本当に嬉しくなります」
心が揺れてわかった、切実に戻りたい場所
独立して1年経った頃、一つ一つ積み上げてきたものを揺るがすような出来事がありました。
南さん:
「この街での売り方、店主としての指針、そういったものがやっと分かってきたタイミングで、がんが見つかりました。離婚して、長く勤めた店が閉店してしまって、病気まで。どうして今なの?と当時は毎日泣いていた気がします。
幸いにもがんは初期だったのですが、手術が必要で2週間ほど入院しました。術後は体力もかなり落ちてしまって、気分も落ち込んで。だけどもう、帰ってきたい場所も、モチベーションも、この店しかなかったんですよね。
お客さんもみんな心配してくださったり、家族も同業の方々もすごく支えてくれて、なんとかここに戻ってくることができました」
もうだめかもしれないと心が揺れた出来事のあとにも切実に戻りたかった場所。南さんにとって、働くことと生きることは密接につながっているようでした。
いい本って言いたくない。言えない
南さん:
「本屋をやっているんだけれど、おすすめの本ありますかって聞かれるのが実はすごく苦手で……。
自分にとっては面白い本でも、その人によっては違うかも。その人の経験してきたこと、そのときの精神状態によって全然違ってくると思うんです。だから、『いい本』っていう言葉も、あまり使いたくありません。
私自身、学生時代は愚痴ばっかり書いてあると思って全く興味がなかったサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が、社会人を経て無職になったときに読んだらものすごく面白く感じたり。感じることって、本当に変わるものなんですよ。
だから、本をおすすめするときには『立ち読みして大丈夫なので最初の5ページを読んでみてください』って伝えるようにしています。そこまで読んで好きな文章だなって思えなかったら、きっとその先に進めない気がするので」
このお話を聞いてはじめて、『snowdrop』にはおすすめの本を目立たせるポップがないことに気がつきました。本はどれも美しく、平等に、静かに本棚に並んでいます。
だからこそ、自分の心に耳を傾けながらじっくりじっくり本を探せて、そのときの自分にぴったりの一冊を見つけられたのかもしれないと思いました。
小さく、長く。それがいまの目標です
色んな感情を味わいながらここまでお店をやってきた南さんに、最後にこれからのことを聞いてみました。
南さん:
「病気をしたことで、元気に過ごせることは決して当たり前じゃない、ありがたいことなんだと肌で感じました。だからこそ、今が本当に大切だなと。
もし倉庫があったらたくさん本を仕入れられるなとか、もう一人従業員がいたらもっと事業が広がるなとか、思わないわけじゃないです。
でも今は、小さく小さく、長く。1日も長くこれが続いたら一番の幸せですね。
この業界に入ったとき、色々大変だったからもう安らぎの人生を送りたいってある先輩に話したら『この仕事自体安定していなくて、運任せみたいなもの。それは諦めたほうがいいかもね』って言われてしまいました(笑)。
たしかに、いつどんな本と出会えるか分からない、仕入れられるかも分からない仕事です。でも、だからこそ色んな巡りあわせが面白いし、楽しくて。そう感じながらやっていけたらいいなあと思っています」
今回の取材を通して、南さんにとって、働くことそのものが生きることなのかもしれないと思いました。
紆余曲折ありながらも、その時々の感情の起伏をありのまま受け止めて歩んできた南さんだからこそ作り出せる居心地のよさが、『snowdrop』にはあります。何より、そうして立っている南さんは、今とても幸せそうです。
小さな違和感をそのままにしないで一つ一つ選んでいけたら、きっと自分だけの “スイッチ” が磨かれて、いつかは自分にとっての『働く』も見つかるはず。
輝いて見える誰かと比べてしまうことはまだあると思うけれど、その感情すら受け止めて進んでいっていいんだと、空の青がぐっと綺麗に見えるような帰り道でした。
【写真】土田凌
もくじ
南由紀
古本屋店主。大泉学園にあった古本屋『ポラン書房』(※現在はインターネット通販専門)で経験を積んだのち独立。2021年春に練馬区江古田で『snowdrop』を開く。Instagramは@snowdrop_bookから。
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