【暮らしと利他】第3話:いつもと違う駅で降りて寄り道を。目的もない “散歩” が、私に余白をつくる
ライター 嶌陽子
政治学者の中島岳志(なかじま たけし)さんと一緒に「利他」について考える特集。第1話では、中島さんご自身のこれまでの歩み、第2話では日常の中での利他の生かし方について話を聞きました。
利他において大切なのは、与えようとすることよりも、すでにさまざまなものを受け取っていることに気づくこと。相手に何かを押し付けるようとするのではなく、相手に沿うこと。
そのためには自分の中に余白=スペースを作ることが必要だと話す中島さん。最終回の今回は、そうした “余白” の作り方や、そこからどう利他が生まれるかについて聞きました。
“未来” に “今” を取られてる?
毎日がスケジュールでいっぱいだと、自分の中に利他の種を呼び込む余白が作れない。そう中島さんは話します。
中島さん:
「ティム・インゴルドという文化人類学者がいて、近年、著書がよく読まれているんですが、彼は “輸送” と “散歩” の違いっていう話をよくするんです。
今の僕たちの生き方は全て “輸送” になっている。つまり、常に目的というものを定めて、そのために何をやらないといけないかを考えているということです。たとえばいい大学に入るためには小学生のときからたくさん勉強して、いい中学や高校に入る必要がある。そのために今を我慢しろって言われるわけですよね。
大学に入ると、今度はいい就職先のための勉強が必要だと言われ、会社に入ったらキャリアアップのために資格を取らないといけないと言われる。そのうち老後のための準備が必要と言われ、老人になったら終活を……となる。
そうやって常に輸送を続けていて、未来のために今が犠牲にされている人生になってるんじゃないか、それだときちんと世界に応答できないとインゴルドは言うんです」
目標は定めない。世界と本当に交わるために
中島さん:
「それに対して、 “散歩” っていうのは目的なく町を歩くこと。途中、こんなところに花が咲いていると気づき、そこに蝶々がやってくる。きれいだなと思って写真を撮ってみたり、この花は何だろうと考えたり。そうしたことが、実は本当の世界との交わり、世界に応答することの第一歩だと言っていて、僕はこれがすごく重要だと思っているんです。
目的っていうものを全ての中核に置いていくと、今の時間や大切な交わりが全て手段化していくということですよね。これのためには誰と付き合ったらいいのか、みたいなことになっていってしまう。それでは本当の世界との交わりにならないし、自分の中に余白もできないと思うんです。
だから僕は、過度な目標は定めないことにしています。今、自分のところへやってきたことや、自分の中に湧き上がってきて面白いと思ったことをしっかり受け止めて応答したい。それが実は利他にもつながるのではないでしょうか」
たまにはいつもと違う駅で降りてみる
そういわれると私自身、「明日のためにこれをしておかないと」「何年か後のために」などと考えて、今にちゃんと向き合っていない気がします。何かと時間に追われて日々を過ごす中、どうやって世界に応答できる余白を自分の中に育てていけばいいのでしょう。
中島さん:
「僕は昔からスピード感っていう言葉が嫌いなんです。スピードは余白を奪ってしまう。 “インド独立の父” といわれるマハトマ・ガンディーは、鉄道はいらないと言っています。鉄道はスピードが早すぎるからです。ちなみにガンディーは毎朝数時間、チャルカーという糸車で糸を紡いでいたそうです。1日の中に必ず余白の時間を持っていたんですね。
意識して余白を作るためには、たまにはいつも降りない駅で降りてみてはどうでしょう。あるいは一つ手前の駅から歩いてみるとか、普段は通らない道を通るとか。本屋さんでいつもと違う棚をのぞいてみるのもいいかもしれません。
そうすると少し心境が変わるかもしれない。あれ、こんなところに和菓子屋さんがある、とか発見したり。そこから新しい世界へのアクセスが始まることがあるんです」
子どもと一緒に近所を歩いてみたら
数年前、新型コロナウィルス感染症が流行し、世の中がロックダウンに近い状態になった時期、中島さんには大きな変化があったといいます。
中島さん:
「子どもの幼稚園も休園になってしまって、でも1日中家にいるわけにいかない。だから子どもを連れて毎日1時間ほど散歩をしていました。
それまで僕は週に2回くらいは全国各地で講演があって、飛行機で飛び回っていたような生活だった。それが半径1キロぐらいで生きるようになると、気づいてなかったことがいっぱいあるなと思ったんです。
こんなところに花が咲いてるんだとか、野菜が値上がりしてるなとか。そこから、我が家の庭をどうしようということに興味が向いて、土の中のことにも関心が湧いてきた。
庭の木々がどう育っていくのかを見るのが楽しくて仕方なくなって、毎日土や木々と対話するようになったとき、これがティム・インゴルドの言っている “世界に応答すること” につながるんだと思ったんです」
“本当の私” なんていない。変化する自分を楽しんで
中島さん:
「土に興味を持ち始めてから、落ち葉を庭に撒いて土作りをすることを知って、これまで邪魔だと思っていた落ち葉がほしくて仕方がなくなりました。僕の見え方が変わったんですね。
だから最近は秋になると子どもと一緒に近所の落ち葉を一生懸命集めています。僕としては土を作って花を咲かせたいと思っているだけなんですが、外から見ると地域の人たちのためにゴミを集めているっていうことに見えるのかもしれない。利他って案外そういうもので、計らいを持ってするものというより、世界の見方全体と関わっているものなのかもしれません」
中島さん:
「仏教には “絶対的な私は存在しない” という考え方があります。 “私” はいろいろな縁によって無限に変容していくもの。縁というのは人との縁もそうだし、映画や小説かもしれない。 “本当の私” なんていなくて、外からの力を受けることによって “私” はどんどん変化していくんですよ。
世の中のいろんなものに自分を開くことによって、自分自身に思いがけない変化が起きるというのが大切で、その先にやってくるものが利他だと考えたい。
だから利他的であるために、特別なことをする必要はないんです。世界としっかり交わりながら、面白いなと思ったことや、目の前にこういう問題があるなと思ったことに対して誠実に向き合い、自分なりにしっかり応答すること。つまり “毎日を丁寧に生きる” という至って平凡な結論になるのだと思います」
中島さんのお話を聞いてから、日々 “たまたま” 出合うことをもっとしっかり受け止めたいと思うようになりました。子どもの話をじっくり聞いたり、計画通りに物事が進まなくても、前よりは大らかな気持ちでいられるようになったり。周りに対しても自分に対しても「こうあらねば」という思い込みから自由になり、楽になったようにも思います。
世界に自分を開くためのスペースを作れているか、相手の可能性を受け入れて引き出すような余白を持てているか。折に触れて確認しながら、目の前のことに丁寧に向き合い、変化する自分を楽しみたい。その先に、利他の持つ豊かな世界が広がっている気がしています。
【写真】神ノ川智早
もくじ
中島 岳志
1975年、大阪生まれ。大阪外国語大学でヒンディー語を専攻。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科でインド政治を研究。2005年『中村屋のボース』(白水社)で大仏次郎論壇賞、アジア太平洋賞大賞を受賞する。北海道大学大学院法学研究科准教授を経て、現在、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。著書に『思いがけず利他』、『料理と利他』(土井善晴さんとの共著)、『自分ごとの政治学』、『秋葉原事件』、『血盟団事件』、『親鸞と日本主義』など多数。
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