【5秒日記】第10回:願ってもいない夢が、生きているだけでなぜか次々と叶う
「日記は1日のことをまるまる書こうとせずに5秒のことを200字かけて書くと書きやすい。日々をすごしたっきりにして忘れてしまう贅沢もすてきだけれど、私は貧乏性だから、家のちょっとした瞬間を残して覚えてわかっておきたいと思うのです」 エッセイストの古賀及子さんと、高校生の息子、中学生の娘の3人の暮らしの様子や、自身の心の機微を書きとめる日記エッセイ。月一更新でお届けします
古賀及子
5/7(火)
なんとゴールデンウィークが終わった。今年は連休と連休のあいだに平日がはさまっていたこともあって、何の予定も入れず丸腰で挑み、実際あまり派手なことはしなかったものだから、過ぎ去ればもうなにもなかったかのようだ。
淡々として、また平日がはじまる。朝、卵をゆでた。
私はゆで卵が好きで、子どもたちも出せば何事もなく食べてきたのだけど、娘が去年くらいだったか、実は苦手だと言い出した。
それでも果敢に週に一度はゆで続け、娘の皿には出さずに私と息子で食べてきた。それが今朝、息子まで、「ゆで卵の黄身が実はちょっと苦手」と言い出すじゃないか。そうなの!?
喉にいつまでも残る感じがするから、と言うのだけどそうだろうか。私の喉には黄身はぜんぜん残ってくれない。
「いてほしい者のところにはおらず、いてくれるなという者のところにはいる、皮肉だね」と言うと息子は固ゆでの黄身に喉の水分を吸われたか、乾いた声で笑って学校へ行った。
5/11(土)
晩のグラタンを作りながら、近ごろ観た、新興の天ぷら店が街に増えているのだというテレビのバラエティ番組の特集を思い出した。
フライヤーが進化し、カレーやグラタンといったどろっとした素材も天ぷらとして揚げられるようになったのだと驚きをもって伝えていた。
今グラタンが、目の前でほかほか焼きあがった。あのフライヤーがあれば、天ぷらにできるのか。
……。
それは嬉しいことなのか。
企業努力や技術の向上はすばらしい。けれど、カレーやグラタンの天ぷらがあったとして、どうだろう、私は感情をポジティブに働かせることができるだろうか。興奮して喜べるだろうか。頑張りたいが、やや自信がない。
珍しいという価値が、嬉しいを追い越して力強く走り去るみたいなことは消費の世界でよく起こる。願ってもいない夢が、生きているだけでなぜか次々と叶う。風情を感じる。
5/12(日)
資料を探しにやってきた図書館を出ると、日が落ち始めていた。
午後、家を出たころはむしろ暑いくらいだったのだけど、気温もずいぶん下がった。七分袖のカーディガンから出た腕が空気に当たって寒い。
駅へ歩くと、街には半そでの人が多い。みんなそれなりに気温の急降下に「おや?」と思っているんじゃないか。
急に雨が降ったとき、街の人たちはみんな一斉にちゃんと傘をさす、気がする。私だけが傘を持っておらずあわてているような気分になる。
けれど今日は、みんながせーので「あれ? 夜、こんなに冷えるの?」と感じているように見えた。私と同じように、腕をさすっている何人かの人とすれ違った。
5/17(金)
ついなんとなくで暮らし続ける。カトラリーをきちんと買いそろえたことがない。
この家では、実家から持ってきたもの、親戚宅から引き継いだもの、どこかでもらったもの、ほうぼうから集まってきたスプーンやフォーク、ナイフが、デザインもさまざまに奔放に集合し長らく活躍している。
実はその雑多なさまが、私は積極的に好きだ。
以前勤めていた職場で、大掃除の際に休憩スペースに設置された「ご自由にお持ちください」の箱からもらってきたデザートスプーンは、ちゃんとしたデザートスプーンが少ないなかで家族から信頼され重宝されている1本だ。
箱から拾い上げたときに、スプーンはおいそれと劣化するものでもないし、一度家に持って行けば付き合いも長くなるぞと覚悟した覚えがある。実際、あれからもう3年経つ。
思わぬものを、一生レベルで使い続ける。これこそが縁だなと思う。
5/20(月)
洗濯物を干していると、急につまんだ洗濯ばさみがバンッ! と割れた。
つまむ握力が強かったのか、割れた後でかけらが四方にダイナミックに飛び散って、息子が驚いて笑う。「えっ? すげー!」
私も吹き出した。「すげーね!!」
それぞれ、飛び散るさまを目で追って、かけらを拾った。
プラスチックの洗濯ばさみは日常的に掌中で壊れる。こんなにも手のひらのなかで壊れ慣れているものは他にない。
崩壊は唐突で、壊れ方は派手だ。音をたててはじけるのが、いつかニュースの映像で観た中国の春節の早朝に鳴らす爆竹を思わせて、むしろ景気がいい。一般的にある破壊の悲惨さがここにはない。
5/21(月)
打ち合わせが2件あり、昼前に出かけると外は暑かった。
暑い上に、一人で歩いていると外部の刺激を遮断して内部を守ろうとするからか、どんどん感性が鈍感になってぼんやりしてくる。
打ち合わせで人に会えると気持ちが覚醒してシャキッとするのだけど、別れて外を歩いて電車に乗って移動するあいだにまた気がそぞろになって、で、人に会うとあらためて頭が冴える。
銭湯が好きな人に、熱い風呂と水風呂に交互に浸かる、交互浴というの入浴方法があると聞いたのを思い出した。
5/24(金)
友人に会いに街へ。
地下鉄の乗り換えで通路を歩いていると、あたりにエレベーターのない数段の階段の、上から下にベビーカーを降ろすのにふたりの男性が両側を持ち上げて「せーの」と声を合わせていた。
1歳くらいだろうか、ベビーカーに乗った小さな子は黄色いくまのぬいぐるみに前を見せるように正面を向かせて抱いて、背筋を伸ばしてあたりを見まわしながらどこか誇らしげ。
隣で「ありがとうございます、たすかります」と、子の母親だろうか、女性が並んで階段を降り、下ろしたところで男性たちはそれぞれの方向へ歩いて去った。
子どもは汗で額にはりついたらしい前髪を手の甲でこすった。すれ違いざまに私はぬいぐるみと目を合わせた。
5/25(土)
納戸から出すだけ出して選別しようと置きっぱなしにしていた缶詰の山から、賞味期限が切れそうなものをはじく作業をようやくやった。
今月賞味期限が切れるパイナップルの缶詰があって冷やしておいたから、夏みかんをむいて合わせて晩ご飯のあとで食べる。
「缶詰のシロップ、そんなに甘くないね」「ほんとだ」と娘と話していたら、ゲームをしたあとで食べた息子も「シロップ、そうだね、甘くないね」と言って、そういえば、リアルな会話というのはわりと平気で時間差をもって応答する。
5/26(日)
コロナ禍でオンライン飲み会が流行して以来久しぶりに、友人たちと音声だけ通話を繋いでわあわあしゃべった。なんだかぜんぜん会えていないねと、一人が遠地に引っ越したこともあってオンラインでの集合となった。
とくに用のない前提でじっくり話すためだけに話すと、ひとりの人にうまくいっていることとうまくいっていないことが、どちらもそれなりにあるんだなとわかる。
洗濯機が急に壊れて買い替えながら、おいしいものをたくさん食べて毎晩よく寝る。
会いたい人に会えないままに、ほかの誰かにほめられている。
路地の雑草を抜かねばと思うばかりで時間がとれないが、子どものニキビは治った。
赤ん坊が夕方泣きやまないけれど、おとといはじめて寝返りを打った。
文/古賀 及子(こが ちかこ)
1979年東京生まれ、神奈川、埼玉育ち、東京在住。ライター、エッセイスト。 どうってことない日々を書くのが好き。著書に日記エッセイ『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』(素粒社)。2024年2月に日記エッセイの続編『おくれ毛で風を切れ』(素粒社)、エッセイ『気づいたこと気づかないままのこと』(シカク出版)を刊行。
note:https://note.com/eatmorecakes X(twitter) :@eatmorecakes
イラスト/芦野 公平(あしの こうへい)
イラストレーター、TIS会員。書籍、雑誌、広告等の分野で活動中。イラストを提供した仕事に、Honda N-ONEカタログ、坂角総本舗130周年カタログ、新国立劇場「シリーズ 声」ビジュアル、田島木綿子『海獣学者、クジラを解剖する。』(山と溪谷社)、瀬尾まいこ『傑作はまだ』(文藝春秋)など。
X(twitter) : @ashiko
『うんともすんとも日和』に、古賀及子さんが登場!
私たちが大好きな「あの人」のいまの生き方に迫る、ドキュメンタリー番組『うんともすんとも日和』、第51弾では連載『5秒日記』でお馴染みの古賀及子さんにご登場いただいています。
古賀さんのとある1日に密着し取材。最初に日記を書き始めたのは偶然で、子育てがひと段落した頃のことだったと振り返りながらお話ししてくれました。
ぜひご覧ください。
感想を送る
本日の編集部recommends!
小さな不調のケアに
手間なくハーブを取り入れられる、天然エッセンシャルオイル配合の「バスソルト」を使ってみました【SPONSORED】
【11/26(火)10:00AMまで】ニットフェア開催中です!
ベストやプリーツスカートなど、人気アイテムが対象に。ぜひこの機会をご利用ください♩
お買い物をしてくださった方全員に「クラシ手帳2025」をプレゼント!
今年のデザインは、鮮やかなグリーンカラー。ささやかに元気をくれるカモミールを描きました。
【動画】北欧をひとさじ・秋
照明ひとつでムード高まる。森百合子さんの、おうち時間を豊かにする習慣(後編)