【あの人の生き方】第2話:40歳で仕事の予定が真っ白に。そのとき決心したことって?
ライター 嶌陽子
文筆家・イラストレーターの金井真紀(かない まき)さんにお話を聞く特集。第1話では、「得意なことが何もなかった」と話す10代から、大学卒業後、出版社やテレビ番組の仕事、編集の仕事など、さまざまな仕事をされてきたことを伺いました。
第2話は、30代で出会ったとある場所や人々、そして文筆家・イラストレーターとしてデビューすることになったいきさつについてです。
勇気を出して新宿ゴールデン街のバーの扉を開けたら
金井さんが、「學校」というバーの存在を知ったのは2008年、34歳のとき。たまたま目にした新聞記事がきっかけでした。
中学生のときに知って以来心惹かれ、大学の卒業論文でもテーマにした詩人の草野心平。その草野心平が開いたバーが、今も新宿ゴールデン街に場所を移して営業しているという記事を目にした金井さんは、ある日勇気を出してその店を訪れます。
金井さん:
「一人で初めての酒場に行くことなんてそれまでなかったし、ゴールデン街に行ったこともありませんでした。だからそのときはドキドキして、まるで海外へ旅に行くみたいだなと思ったのを覚えてます」
その日を境に「學校」へ通うようになった金井さん。当時70代だったママや年上の常連客たちと次第に打ち解けるうち、ママが怪我で入院し、代わりにカウンターに立つことに。ママの退院後も、テレビの仕事のかたわら週に一度、ママ見習いとして店を手伝うようになりました。
常連客の話や似顔絵を、お店のノートに書き留めて
デザイナー、サラリーマン、建築家、学者など、職業もバックグラウンドもさまざまな常連客の話や、草野心平から店を引き継いだママから聞く、名だたる作家や文化人たちの思い出。毎週「學校」のカウンターに立つうち、金井さんはいろいろな話を聞いていきます。
金井さん:
「昔から年上の人の話を聞くのが大好き。自分より上の世代の話を聞きながら、教科書や本で読んだ歴史上の出来事にこの人の人生も関係しているんだ、なんて胸が高鳴ったりしていました。
その日来たお客さんや売り上げをママに報告するためにノートをつけていたんですが、お客さんからおもしろい話を聞くとそれも書いたりして。その時は、本を出すなんて思ってもいませんでしたね。
お客さんの顔を覚えるために、似顔絵も描き始めたのもその頃。全然うまく描けないんですが、そのうち描いてるのがお客さんにもバレてきて『今日は後輩を連れてきたから2人の似顔絵を描いてくれ』なんて言われたことも。
イラストレーターとしての原点はその時の体験だから、今も一番好きなのは似顔絵です。でも、嫌いな人の絵は描けないかも……。私にとって、似顔絵は愛情表現なんです」
大好きなバーが閉店。ここで過ごした日々を書きたいと思った
金井さんと「學校」との出会いから5年、店はママの高齢化により続けることが困難になり、ついに2013年の秋に閉店。跡を継いでほしいと打診されていた金井さんでしたが、最後までその決心はつきませんでした。
金井さん:
「學校での5年間は、自分にとってとても大きかったです。年上の人たちが集まる場所に行って、大人の遊び方をおもしろいなって思いながら見るのが楽しかった。実はそういうことは、學校以外でも俳句の会なんかに参加するなどして、ちょこちょこやっていたんですけど。
それと、 “勇気を出して1人で出かけていくと何かが始まる” っていう体験としてもすごく貴重だったなと思います。
ただ、お店を自分が継いで続けていくというまでには至らなかった。終わってしまったときは、そのことでちょっとした罪悪感もありました。そうした感情や學校が大好きだという自分の気持ち、それから學校がなくなって寂しいというみんなの気持ちを成仏させたいと思って、ここで見聞きしたことを1年くらいかけて原稿に書いたんです」
▲大好きだったバーの常連客の姿や、ママから聞いた思い出話を愛情込めて綴った『酒場學校の日々』(ちくま文庫)
金井さん:
「原稿をコピーして常連さんたちに渡せばいいやと思っていたら、出版社をしていた常連さんの一人がおもしろいといって本にして出版してくれた。それを読んでくれた人がまた別の本の依頼をしてくれて……。そうしたことが本当にうれしかったです。
本を出版するとは全く考えていなかったのに、結果的にはそれが本を書く仕事をするきっかけになりました。機が熟す頃の最後に學校という場があったのかなと、今になって思います」
40歳の年末、翌年からの予定が真っ白に
同じ頃、金井さんにもう一つの転機が訪れます。ずっとテレビの仕事を続けていた中、担当していた番組が打ち切りになってしまったのです。金井さんが40歳の年の年末、學校が閉店して約1年後のことでした。
金井さん:
「すごく楽しい仕事だったので、知らされたときは仕事仲間みんなでショックを受けました。その晩みんなで飲みに行って、酔っ払って荒れて。翌朝目覚めたときに、『あれ、でもこれっていいことかもしれない』って思ったんです。
来年の予定は真っ白。何の予定もないし、当面は収入の当てもない。でも、かえってなんだか清々しい気持ちになったんですよね。どうせなら、これからは面白いことだけやって食べていけるかどうか、その実験をする生活に入ろう!って」
金井さん:
「大学卒業後、仕事をしながら小冊子みたいなものを趣味でつくっていました。旅行記とか、『今までに途中で挫折した本』のアンケートをとってまとめたものとか。出版社に勤めてる先輩がそういうのを見て、おもしろいから20代で本を書いたらと言ってくれてたんです。自分でも書けたらいいなって思ってたけど、きっかけもないし……ってモジモジしちゃってました。
その先輩は、じゃあせめて30代で書きなよって言ってくれたけど、30代も終わってしまった。40歳になったし、もうそろそろ書きたいなあとちょうど思っていて。
だから本を書くことや、それ以外でも、何かやりたいことを思いついたらやってみようって決めました」
金井さん:
「それまでだったら、お金のことを計算しちゃって足がすくんだり、自分が本を書いても評価されないんじゃないかとか、そういうふうにいろいろ考えてしまっていたと思います。
でも、そんなことを言ってるうちに人生終わっちゃう!って思って。そうやって実験生活に突入して、10年近く経った今もまだその最中です。
もちろんお金のこととか、心配がないといったら嘘になりますが、実験だと思えばダメ元でいろいろなことができます。実験がいつか終わったら、また違う働き方や暮らし方をすればいいかなって思っているんです」
一見、逆境にしか思えない出来事をワクワクする可能性に変えて。金井さんは41歳で文筆家・イラストレーターとしての道を歩み始めます。第3話では、数々の本を出版してきた金井さんが、その過程で考えてきたことについて伺います。
【写真】馬場わかな
もくじ
金井真紀
1974年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『世界はフムフムで満ちている 達人観察図鑑』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。
HP:uzumakido.com X:@uzumakidou
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