【週末エッセイ】過ぎていく時間はみな思い出になる。面倒なことも、そうでないことも。
文筆家 大平一枝
文 大平一枝
第三話:食器洗いの、きのうとあした
争いと引き替えに
20歳の長男と16歳の長女がまだ幼かった頃は、よく夫婦喧嘩をした。理由の大半は、家事をどちらがやるかであった。大の大人がなんとも恥ずかしい話だが、事実だからしょうがない。夫は映画業界、私は出版の世界で、互いにフリーランスになりたてだった。そのうえ長男が生後3か月から仕事を再開し、4歳違いで長女が生まれた。育児、仕事、家事が団子状態で襲いかかる。子どもを寝かさなければならない夜9時頃が疲れのピークとなり、互いにイライラしてしまう。
「お皿洗っといて」
「あとでやっとくよ」
「あとっていつ? そう言いながらいつも朝まで洗わないじゃない」
「朝洗ったって、キレイになれば同じだろう」
「朝起きて、汚れたシンクで離乳食を作る人の気持ちになってよ!」
こんな非生産的な言い合いを延々毎晩繰りかえすのである。そう、とくに皿洗いはいつも揉める筆頭であった。
ある日、私は考えた。こんなことで毎晩言い争うのは疲れるだけだ。よし、食洗機を買おう。たとえ少し値が張ったとしても、長く使えば元はとれるし、なにより言い合いがなくなるならハッピーではないか。夫は二つ返事だった。彼もよほど疲弊していたに違いない。
かくして狭い賃貸アパートのシンクには不釣り合いなほど大きな据え置き型の食洗機が我が家にやってきた。当時は食洗機が発売されて間もない頃で、なんだかやたらに大きくて場所をとった。
業務型から手洗い生活へ
翌年、思いがけずコーポラティブハウスを買うことになった。居住者同士で土地を共同購入して、各戸完全自由設計で建てる方式の集合住宅だ。限られた予算を必要な設備だけに充てられるので、ローコストで合理的な住まいを入手できる。私たち夫婦は迷わず、高熱で12分で洗い上げる業務用食洗機を導入した。それによって、予算が足りず、浴室乾燥機などあきらめなければならなかったが躊躇はない。夫婦間のギスギスが減る精神的安らぎのほうが大事だった。前のアパートでさんざん助けてもらった食洗機は、夫の職場の新婚夫婦に譲った。「食洗機君」と呼びたいくらい毎日の家事の心強い相棒だった。
その後しばらくして、いろんな事情でしばらく知人に部屋を貸すことになった。越した先は、築40年の純日本家屋。食洗機はない。こうして私は約10年ぶりに手で皿を洗う生活に戻ったのである。
子どもは7歳と11歳になっていた。バタバタと慌ただしく子どもたちが登校したとたん、家には静寂がおとずれる。
夫と手分けして部屋を片付け、洗濯物を干し、皿を洗う。さらさらと流れる水道の音。1枚1枚ピカピカになっていく皿や椀を積む達成感。きゅっと蛇口を締め、濡れた手を手拭いで拭き取り朝家事終了。さあ、仕事だ。今日も1日がんばろうと気持ちを切り替える。
暮らしに必要なものは変遷する
気づいたら、あれほど目の敵にしていた皿洗いが、オンとオフ、生活と仕事を区切る句読点になっていた。いつしか私は、流水の音を聞きながら今日1日の仕事の段取りを考えるその時間が、むしろ好きになっていたのである。
家事に向き合う時間や気持ちは、生き物のように変遷する。そのときどうしても欲しいと思った家電が、何年か我慢したらそうでもなくなるかもしれない。逆に、年をとったら便利で必要なものも出てくるだろう。
家事を助けてくれる家電との付き合い方や必要性はそのときどき、ライフスタイル、家族構成、年齢によって変化すると学んだ。
だから上手に頼ったり手放したりしながら、自分が心地良い落としどころを探るのがいい。画一的な「これが便利です」という情報は聞き流して、自分の生活に必要なものだけを選び取る審美眼が大事なのだ。
さて、我が家は半年前、9年ぶりにコーポラティブハウスに戻った。いちばん「ああ古巣に戻ったなあ」と感じたのは業務型食洗機を使う瞬間だ。夫も同じことを言った。
「ラクだなあ、こいつは。なんでも入って」
たかだか皿洗いぐらいで、真剣に言い争った日々が今はたまらなく懐かしい。過ぎていく時間はみな思い出になる。いいことも悪いことも。
老後は少しの器をこの大きな食洗機で洗うんだろうか。いやもう、3〜4分の手洗いですんでしまうかもしれない。考えたらちょっと淋しいけれど、そんな日がくるまで、食洗機君とはいい付き合いをしていこうと思っている。
古いアメリカの耐熱ガラスウエアは丈夫で割れにくい。このミルク色も好きで毎日活用中(撮影:大平一枝)
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