【わたしの転機】料理家・くしまけんじさん「少しだけ遠回りして気づいたこと。つくりたいのは、“お母さんの料理”」
ライター 本城さつき
写真 キッチンミノル
ターニングポイント=転機とは、生き方に変化が起きたポイント。このシリーズでは、人生の中で誰もが必ず迎える転機をテーマに、お話をうかがっています。
今回ご登場いただくのは、料理家のくしまけんじさん。東京・西荻窪で「食堂くしま」を営むくしまさんは、料理教室や学校へ通ったり、食堂の厨房で働いたり、イタリアを旅して家庭のごはんを教わったりしながら料理の腕を磨いてきました。
素材と向き合いていねいにつくられるごはんには、決して派手さはありません。でも、口に運んだとたん体も心もほぐれるような健やかな味を求め、今日も多くの人がお店にやってきます。取材前に訪れたある日も、野菜をたっぷりと使ったお皿の数々が、寒さに縮こまった心身に染み渡るよう。帰る頃にはお腹の底から暖かくなっていました。
くしまさんがお店を開くまでの道のりは、一直線ではありません。一度は料理と関わりのない仕事に就いた後に転職、少しずつ「やりたい料理」に近づいていった。でも、一見遠回りのような、そうした道のりこそが、今日のくしまさんらしさを育んできたように思えます。
焦らず目の前のことに集中しながらも、一方では自分の心の声にきちんと耳を傾ける。だからこそ、転機を逃さない−−。そんなくしまさんの強くしなやかな在り方は、自分のやりたいことや目指す方向がはっきり見えない時、将来への不安に囚われた時、私たちにヒントをくれるのではないでしょうか。
2013年5月にお店を開いて、もうすぐ3年。子どもの頃から仲がいいというお姉さんと二人三脚でお店を切り盛りする様子は、兄妹で創業した『北欧、暮らしの道具店』に重なる部分もありそうです。くしまさんがこれまでに経験してきた転機、そして、それらを経たいま、つくりたい料理についてうかがいます。
趣味だった料理が「これで生きていきたい」に変わった日
▲言葉を探しながら、転機について、つくりたい料理について話すくしまさん。
くしまけんじさん:
「夕ごはんの支度に台所に立つ母親の傍らで、その様子を見ているのが好きな子どもでした。いつしか料理が好きになり、中学生の頃にはお気に入りの料理番組を録画したり、大学に入るとカフェでアルバイトをするようにもなりましたが、そのまま料理の仕事を目指したわけではありません。
大学と同時に絵の学校にも通っていて、卒業後に働き始めたのは銀座の老舗画材店でした。その頃はエスニック料理が好きだったので、お店へ食べに出かけたり、料理教室に参加したり。あくまでも趣味として、料理を楽しんでいました。
そんなある日出会ったのが、細川亜衣さんのイタリア料理教室です。1回めで、いきなり大きな衝撃を受けて……。おいしさはもちろんですが、サーブの仕方、料理に対する姿勢など、どれひとつを取っても、それまでに見たこともなかった美学を感じたのです。この時初めて、料理を仕事にしたい、好きな料理で生きていきたいと真剣に思いました」
▲長年愛用のル・クルーゼ。これを手元に置いて、目で分量を加減しながら材料を入れていくのがくしまさん流。
感銘を受けて教室に通ううち、くしまさんは、料理を仕事にしたい気持ちを思い切って細川さんに相談します。当時くしまさんは28歳。でも細川さんは、決して遅くないと背中を押してくれました。
くしまけんじさん:
「まずは、細川さんが修行をした地、イタリアへ行ってみたら? と勧められました。しかも、行くならシチリア島の西端にあるトラーパニという町がいいよ、とまで具体的に。そこで、一大決心して画材店を退職、全財産を持ってイタリアへ1ヶ月の旅に出たのです。言葉もわからず、知り合いがいるわけでもない。今思えば無謀ですが、本当に貴重な体験になりました。
トラーパニでは、アグリツーリズモ(自然の中で農業体験などができる、イタリア発祥の旅スタイル)の宿に滞在。お願いしてキッチンを手伝わせてもらいました。イタリア語はまったくわからなかったものの、単純作業なら言葉はいりません。一緒に手を動かすうち、キッチンのスタッフとは身ぶり手ぶりで結構わかり合えるようになりました。
この宿にはキッチンを仕切っているおばあさんがいて、スタッフが彼女の指揮のもと料理をつくります。彼女は庭に椅子を出して豆の筋取りなどをしているのですが、そういう家族的な雰囲気が何ともよくて。そして驚いたのは、1週間の滞在の終わりに『君はもうここの一員だ』とスタッフTシャツを渡されたこと。仲間に入れたんだ、と嬉しかったですね。
さらに、シチリアの先にある小さな島にも1週間ほど滞在して、島に1軒のパン屋さんをお手伝い。こうして現地の人や暮らしに触れながらイタリア料理の輪郭のようなものをつかみ、帰国しました」
イタリア家庭で過ごす日々が気づかせてくれた、「こんな料理をつくりたい!」
▲カウンターに並んだ調味料入れ。いくつもの種類の塩と、砂糖、だし用昆布も。
くしまけんじさん:
「日本へ戻ってからは、吉祥寺のマクロビオティック*(以下、マクロビ)の食堂に職を得て、ここで料理の基礎をみっちり教わりました。イタリア料理と同じくらいマクロビにも関心があったので、仕事と併行してマクロビの学校へ行ったり、細川さんのイタリア料理教室にも通ったりと料理漬けの日々。
そうして2年ほど過ごすうち、やるならやっぱりイタリア、それも、細川さんの教室で出会った家庭料理がいい。ならばきちんと準備をしてからもう一度イタリアへ行こう、と照準が定まったのです。すぐにイタリア語を習い始め、料理上手なお母さんがいるホームステイ先探しも開始。今度は、2ヶ月の滞在予定でイタリアへ向かいました。
*マクロビオティック:穀物、野菜、海藻など日本の伝統食をべースとする食事をし、健康的に暮らすという考え方。
▲ヤーコンと生姜のスープ(2月のコースから)。自然の甘みとほんのり効かせた生姜が、体の奥から元気を呼び覚ます。
ホームステイをしたのは、70代半ばのお母さん、クララがひとりで暮らす家でした。とても料理好きで、すでにベテランといえる年齢にも関わらず料理教室に通うほど好奇心旺盛な人。毎週日曜日のお昼時になると、近くに住む息子一家がやって来て、みんなで大きなテーブルを囲みます。
この時のイタリア行きでいちばんよかったのは、こういう“家庭料理の周辺”をたくさん経験できたことです。週末は家族揃って大人数で食べる。何でもない普段の日も、食事の時間にはテーブルクロスを敷き、お皿を重ねてカトラリーをセットする(たとえ、ひとり暮らしでも!)。まな板は使わず、野菜は鍋の上で切る……など、料理学校や本だけではわからない、たくさんのことを経験できました。
こうして普通の家庭の人が日々つくる料理を見て、一緒につくり、食べるうちにわかったことがありました。それは、自分はレストランの料理より、お母さんが家族のためにつくる料理が好きということ。日曜日になると、クララは『みんなにおいしいごはんを食べさせたい』と張り切ります。その思いはきっと世界中のどこでも同じ。お母さんがそんなふうにつくる料理を、自分もつくりたいんだとはっきり思いました」
「ずっと働いてほしい」と言われて気づいたこと
▲ドア横には、古い魚釣りの道具をペイントした郵便受けと小さな黒板が。
くしまけんじさん:
「充実した2ヶ月間を過ごし、帰国。いずれは料理家として、教室を開いたりレシピを紹介する仕事をしたいと考えながら、まだ具体的には何もせず半年ほど経った頃のことです。当時好きで行っていたお店が新店舗を立ち上げることになり、そのスタッフとして声をかけられました。ところが、事情があって料理担当の人がいなくなってしまい、サービス担当のはずだった自分のところへ料理人の話が来たのです。
内装も器も周りのことはすべて決まっていて、料理をする人だけがいないという状況。自分が料理をつくればお店は動き出すのですが、その時『ここでずっと働いてほしい、一生の仕事にしてほしい』と言われて、『それは、自分のやりたいことと違うかもしれない』と思いました。
もともと好きなお店だし、声をかけてくださったことに感謝の気持ちはあるのですが、どうせお店をやるのなら自分で一から選んで、自分の思う料理をやりたかった。自分の気持ちの奥底に、この時初めて気づいたのです」
それまで、お店を開くことは考えていなかったくしまさん。でも自分の心に素直に従い、すぐ物件探しを始めました。なかなかいい物件に巡り合えないまま約2年。ある日ふと見つけたのが、西荻窪の現在の場所でした。
転機の時には、立ち止まって考えていない
▲古いものがちりばめられた、居心地のいい店内。
くしまけんじさん:
「内装は、学生の頃から好きで通っていた恵比寿のアンティークショップの方にお願いして、理想通りに仕上がりました。本当は、客席はコの字型のカウンターだけにしてひとりで何でもできるようにと考えていたのですが、気に入った物件はそれより少し広かった。自分ひとりの手には余るということで、姉に手伝ってもらっています」
▲頼りになるサポート役、葉子さん。
くしま家は、けんじさんの上にお姉さんがふたりの3人姉弟。長姉の葉子さんが、自分の仕事のかたわら「食堂くしま」を手伝っています。けんじさんが料理をつくり、葉子さんは主にサービスとお酒のセレクトを担当。初めは忙しい時だけ手伝うはずだった彼女も、今ではお店を支える大切な存在です。
「実家が電気店をしていて、子どもの頃から『仕事とは、何かを売ってお金をいただくこと』という感覚が自然にあったと思います。だから、弟がお店を始めると言い出した時も驚きはしませんでした。」と、葉子さん。
はた目には思い切った決断を重ねてきたように見えるけんじさんですが、彼自身もこう続けます。
くしまけんじさん:
「細川さんのイタリア料理教室に出会ったことも、新しいお店で『ずっと働いてほしい』と言われたことも、後から振り返れば『あれが転機だった』と思えます。でも、その最中にいて物事が進んでいる時は、それほど立ち止まってじっくり考えてはいないんです。その後の新しい道すじは、いつも自然と見えてきました。料理を仕事にすると決めてイタリアへ行った時も、自分で店を開こうと決めた時も。
この1月からはお店の形態を少しだけ見直して、夜のコースのみにしています。ランチやアラカルトのメニューは、どうしても、焦りながらあれもつくってこれもつくって、となってしまいがち。でももう少し料理に集中して、ひと皿ずつに思いをかけたかったんです。お客様ひとりひとりに、喜んで食べていただくために。
イタリアで感じた、『おいしいものを食べてほしい』というお母さんの気持ち。いま、その原点に帰って料理ができていると思います。これからも、進みながら、振り返りながら、自分の歩みで料理をつくっていけたらと思います」
▲器は基本的に白と決めているそう。これは井山三希子さんのもの。
くしまさんは、急かしません。自分の心も、自分を取り巻く状況も。行く手がぼんやりとしてよく見えない時は、ひとまず目の前の仕事や勉強に集中する。そして、心が何かに反応したら、素直にそれに従います。そのためには、まず、心が喜ぶこと、そうでないこととていねいに向かい合う。
私たちは、時に、様々な理由をつけて(年齢とか、経済的な問題とか、周りの状況とか)、心が喜ぶことや嫌がることから目をそらします。でも、ほんの少しだけ、自分に素直でいることから始めてみたら。そうしたら、くしまさんのようにさりげなく「転機」を捉え、乗り越えていけるのかもしれません。
柔らかいことは、強いこと。静かに言葉を紡ぐくしまさんの姿に、何度もそう思いました。
くしまけんじ(料理家、食堂くしま店主)
山梨県出身。銀座の「月光荘画材店」、吉祥寺の「ベースカフェ」を経て、2013年に「食堂くしま」をオープン。季節の野菜をたっぷり使ったイタリア家庭料理を柱に、体にやさしい料理を提供している。著書に『食堂くしまのレシピ帖 僕のしあわせなごはん』(中央公論新社)。お店は2016年1月から、夜のコースのみ。予約は2日前までにメールで。http://shokudoukushima.com
ライター 本城さつき
東京都出身。出版社勤務を経て、現在はフリーのライター・編集者。雑誌や書籍でライフスタイル系の記事を手がける。食の分野では、お店の取材、生産者さんの取材を中心に、レシピも少々。食以外では、雑貨、グリーン、旅なども担当している。
▽くしまさんの著書はこちら。
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