【好きを仕事に】文筆家・甲斐みのりさん 後編「好きを育てるチカラ」
ライター 矢作千春
写真 鍵岡龍門
自分が心から好き!と思える仕事に巡り会えた人たちは、一体何を考え、どんな経験を積み重ねて、今のお仕事に辿りついたのだろう。
「好きを仕事に」をテーマに、文筆家の甲斐みのりさんにお話を伺っています。
自分が本当にやりたいと思う仕事に出合うために、大学に籍を残したまま祇園の料亭でアルバイトとして働き始めたという甲斐さん。何をきっかけにご自身の本を出版するに至ったのでしょうか。
2人だけの出版社で学んだ日々。
京都で絵本づくりをしている女性と出会い、何かお手伝いをさせてほしいと自ら頼み込んだのがきっかけで、 本作りの仕事をスタート。
昼間は絵本の出版や流通の仕事を、夕方からは着物を着て、祇園の料亭で働くという生活を2年ほど続けたといいます。
こうして小さな出版社を立ち上げたのをきっかけに、東京の編集者との繋がりができたことが、新たなステージへの第一歩となります。
甲斐さん:
「私たちが作った絵本が、雑誌などに取り上げられてもらえるようになって。2ヵ月に1回東京に出て、編集者の方たちに会うようになりました。
そのとき、自分が知らないことがまだまだたくさん東京にはあることを知って。もっと勉強したいと思い、東京に引っ越すことを決意しました」
生まれ故郷の静岡から、大学生活を送った大阪、心からやりたいと思う仕事を見つけるために働き出した京都、そして、夢を追い求めて踏み出した東京での生活。
好奇心の赴くままに臆せずその世界に飛び込み、多くの経験を重ねながらも、東京に軸足を置いた甲斐さん。そこに不安はなかったのでしょうか?
甲斐さん:
「東京に出てきて最初の数年は、京都にいた頃に出会ったフリーのライターさんのアシスタントについていました。私の憧れの雑誌『Olive』のお仕事などをされていた方です。
もちろん苦労も多く、失敗談は数えきれないほどありますが、自分の好きなことができているので、すごく楽しかったです。最初の3年ぐらいで、本を作る上での基礎知識を学べました」
プロからひたむきに学ぶ姿勢を崩さなかった甲斐さんですが、常に前向きにお仕事ができていたのかと聞くと、そうではなかったといいます。
このままでは、いつか尊敬する友人たちを失ってしまう……だから人と比べることをやめました。
甲斐さん:
「自分が好きなことをしっかり仕事にできている友人を、羨ましいと思っていた時期もありました。自分の環境を恨んで、イライラしたりしていたんです。そうやって羨ましいと思うことに、ストレスを感じ過ぎていたように思います」
と、甲斐さんは言葉を丁寧に選びながらも、ゆっくりと当時を振り返ります。
甲斐さん:
「上京したての頃は、好きなライターの仕事をしていても、隣の芝生が青く見えてしまう。自分に余裕がないから、自分を顧みることもできず、人と自分を比べて落ち込んでいました。
日々のストレスが頂点に達したとき、ついに爆発してしまって。でも、そのときに気づいたんです。自分からはよく見えている人でも、きっと人には見えないところで努力をしていると。
そう気がつくことができたとき、ふっと楽になって、人と比べることをやめました。
大阪や京都時代の私は、常に不安しか口にしないような性格だったので、その頃の自分を知る友人に会うと、変わったねと驚かれます(笑)」
夢を語り続けることで、思わぬ幸運を引き寄せられた。
そんなある日、思わぬ転機が訪れます。
甲斐さん:
「友人に、思っていることは口に出したほうがいいと言われたんですね。それから、会う人会う人に、いつか本を作りたいという夢を話すようにしていました。これが思わぬ幸運を引き寄せることになって。
2005年に京都の本を書ける人を探しているという、編集者に出会ったんです。そして同じ時期に、違う出版社からも京都の本とお菓子の本のオファーがあって、3冊同時に本を作ることになりました」
町歩き、カタログ、お菓子とすべての本のテーマを分けて、京都に通いながら取材。住んでいた場所だし、知り合いもたくさんいるし、行きつけのお店もある。やりたかったことなので、とにかく夢中で作業をしたと、当時を振り返ります。
初めて自分の名前で本が出ることに、不安がなかったのかと問いかけてみました。
甲斐さん:
「初期のほうが、本を作りたいという気持ちがほとばしっていたので夢中でした。無知だからこそ、無茶したり、頑張ることができました。
30冊以上本を作った今は、色々なことがわかってきたからこそ、ただ楽しいというよりも、実は恐い気持ちの方が大きいです。
本当にいい本が作れるのか、読者が求めていることと一致するのか、出版社に対しての恩義としてきちんと売上げが出せるかなどを考えて、作り終えた後も、発売日までずっと不安です」
そう語る甲斐さんの横でカメラマンの鍵岡さんが、取材同行したとき、ちょうど本の発売直後で、面白い本だから大丈夫って言ってるのに、ずっと不安がっていたと笑います。
甲斐さん:
「先日発売された『地元パン手帖』の本も、取材を断られたりして、載せたくても載せられなかったお店が30件ぐらいあって。読者の方が満足してくれるか、ずっと不安でした。自分が手がけた本に100%満足するときは、永遠に訪れないかもしれません。いつも、まだできることがあったかもしれないと、きりがないけれど思ってしまいます。」
大好きなモノに囲まれて生活し、文筆家として活躍し続けているように見えるけれども、実際は精神的葛藤も多く、最後まで書き上げる忍耐力が必要なお仕事。
日々、自分自身の心に真正面から向き合い、どう読者と“好き”を共有するかを考え抜いているからこそ、読んだ人の心に響く言葉を紡ぎ、私たちに届いているのだと思います。
そして、甲斐さんの取材スタイルは「旅をしながら情報収集をする」というものだとか。そこには、いつも新鮮な驚きを情報を通して届けてくれる甲斐さんならではの秘密がありそうです。地元の人しか知らないような情報は、どうやって集めるのでしょう。
旅のきっかけは何から始まるのか?
甲斐さん:
「何か一つ引っかかりがあって、旅に出ます。
昔から好きな、お菓子、居酒屋、クラシック建築だったり、友だちに聞いたパン屋さんに行ってみたい、さまざまな好奇心が最初の動機になります。
引っかかりは一つであっても、好きなモノに対しては貪欲なので、着いたらすぐに地元の観光案内所に行って情報を集めて、レンタルサイクルを利用して街中を巡ります」
取材を断られて、悔しい思いをすることってないのでしょうか?
甲斐さん:
「電話でアポイントメントをとると、セールスかと怪しまれて怒られたり、断られることも確かにあります。
だからこそ、できるだけお客さんとして自分でお金を払って経験を買うようにしています。
そうして客としてお店の方と接したあとに、本を作る仕事をしているので、ご紹介させていただけませんか?と過去に執筆した本を見せながら話すと、お話を聞いてくださることが多いです」
本を出す前に投資されるんですね、と言う投げかけに、自分が好きなことにお金を使うことは、全然惜しくないと甲斐さんは答えます。
書き手は職人だと思っています。
ここで私は、ずっと気になっていたことを尋ねてみました。
好きなことを仕事にしていると、自分の好きだったことが嫌いになったりすることってないですか?
甲斐さん:
「好きなことは昔からずっと変わらないし、好きでなくなることはないです。むしろ、好きなことが増えていく」
そう答える中で、甲斐さんは衝撃的な一言を口にしました。
甲斐さん:
「好きなことを本にしていても、文章を書くことは決して得意ではないから、すごく辛い。私の場合、その題材が好きなのであって、書くこと自体が好きというわけではないんです」
でも、書くことは正直なところ辛い作業でも、下調べは楽しいと甲斐さんは笑顔で続けます。
甲斐さん:
「詩人の谷川俊太郎さんもおっしゃっていたんですけど、書き手である私は自分のことを職人だと思っているんです。
本を1冊作るのに、1週間取材に行ったら、少なくとも1ヵ月半はこもりきりで文章を書かないといけない。締め切りを守って、どうやって読みやすく作るのかを考えながら、執筆するわけです。原稿を書く時間は、本当に辛い……(笑)」
甲斐さん:
「パンの本の構想も10年がかりだったんですけど、食の本を作っているというよりは、民俗学や社会学の本を作っているイメージでした。本を1冊作るのに、たくさんの資料を読み込みます」
と言いながら、見せてくれたのは、とてもマニアックなパンの歴史の本。
フランシスコ・ザビエルが日本にパンを持ち込んだこと、学校給食にパンが出るようになったのは、戦争と深く関係しているなど、パンの歴史に関する話に、思わず聞き入ってしまいます。甲斐さんの好奇心と探究心の強さは、ここでも発揮されていました。
好きなことは加点法で。好きを育てるチカラとは。
甲斐さんはできるだけネットの情報に頼るのではなく、自分の足で情報を集めるそうです。
甲斐さん:
「ネットの情報の中には、減点法で書かれていることもありますよね。私自身、不満を書き出すと書いている自分も落ち込むので、私は好きなことについてはすべて、加点法で考えることにしています。
10件のお店に足を運んでも、自分が心から美味しい!と思えるお店に出合えるとは限らない。失敗を経験してこそ目利きになれるし、お店同士の違いもわかるようになるんです。
この間、すごく衝撃的な味をした名物のお菓子に出合ったんです。口に入れたときの皆の反応が面白くて、その場にいた人全員で笑い転げました。
印象が何も残らない出来事なんかよりも、何か印象を残してくれたほうが、ずっといい。失敗は全然マイナスのことじゃなくて、自分の経験値になるからプラスのことだと思うんです。先入観にとらわれないこと、人の評価は鵜呑みにしないことは、取材をする上でとても重要だと思います」
もともとマイナス思考だったという甲斐さんが努力して身につけた、好きなことは加点法で評価するという考え方。
失敗を経験値の一つとプラスに捉えて、自分の興味のあることに臆せず飛び込んできたことが、好きを育てるチカラとなって、今のお仕事に繋がっていく。
仕事は楽しいことばかりとは限らない。たとえ失敗したとしても、それをプラスの経験だととらえて、好きなことはとことん加点法にしていけば、日々の心の在り方が変わるかもしれない。
その心がけこそが、好きを育てるチカラの源になるのだと、甲斐さんの取材を通して知ることができました。
甲斐みのり(文筆家)
1976年静岡県生まれ。旅や散歩、お菓子に手土産、クラシック建築やホテル、雑貨と暮らし。女性が憧れるモノやコトを主な題材に、書籍や雑誌に執筆。「叙情あるものつくり」と「女性の永遠の憧れ」をテーマに雑貨の企画・イベントもおこなう。近著は『地元パン手帖』(グラフィック社)、『京都おやつ旅』(監修/PHP研究所)など。http://www.loule.net/
ライター 矢作千春
大手メディア会社、出版社を経て、ホンシェルジュ編集長に。http://honcierge.jp/ 無計画な一人旅が大好きで、リュックひとつで国境を目指して、陸路の旅をしていたことも。現在はフリーのライター・編集者として、雑誌や書籍、Webなど、多くのメディア作りに関わる。“健康的にモリモリ食べる!”をモットーに、2つの料理学校で武者修行中。
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