【週末エッセイ|つまずきデイズ】人生には歳を重ねないと気が付けない「おいしさ」や「楽しみ」も、きっとある。
文筆家 大平一枝
第二話:落語とお酒のたしなみ。
帰り道の思い出し笑い
友達から誘われたのがきっかけで、二年ほど前から、たまに寄席に行くようになった。ホールや居酒屋、ときに古本屋の片隅や人の家ということもある。座布団一枚あればたちまちそこは演芸場。噺家さんがひとりいるだけなのに、八っつぁんや熊さんやご隠居や女将さんが何人もいるように見える。設備や道具はシンプルだけれど、落語とはなんと奥の深いエンタテイメントだろうと思う。舞台や衣装やメイクで騙すことができない。噺家の腕一つにかかっている。
うまい人だと、ぐいぐいと長屋が並ぶ路地の世界のひきこまれ、あっというまに時がすぎる。「お後がよろしいようで」と言われてはっとし、現実の世界に引き戻される。
ある友だちが言った。
「落語ってさ、帰り道もオチを思いだし笑いしたりなんかして、家に着くまでほんわか楽しい気分が続くよね」
なるほどうまいことを言う。
映画や芝居は内容によっては考えさせられたり、落ち込んだり、煽動的になったりする。その点、落語は最後にかならず笑顔になる。人情ものは涙腺が緩んだりもするが、基本的に笑いがくる。派手ではないけれど、しみじみと人間くさく、あたたかなユーモアに包まれる。
帰り道に思い出し笑いをしてもう一度幸せな気持ちになるって、とても素敵でちょっとお得ではなかろうか?
落語にハマっている女性は着物で寄席に出かける。日本酒に詳しい人も多い。噺家を囲んだ打ち上げに参加したら、ご贔屓さんから一升瓶や樽酒の差し入れがあり、お酒と落語は欠かせないものだと気づいた。
一つの趣味を掘り下げていくなかで、付随した様々な楽しみを見つけ、嗜みを身につける。私は長らく趣味というものがなかったが、もう少し自分に余裕ができたら落語のような広がりのある趣味を持てたらいいなと思う。
ヨガ、マクロビ、お茶、ボルダリング……。どれも少しかじっては飽きるの繰り返し。長続きをした試しがないので。
スコッチウイスキーから広がる興味の輪
そんな私が、最近夢中になりかけているものがある。モルトウイスキーだ。『北欧、暮らしの道具店』であまりお酒のことが登場しないようだが、このサイトで扱っているグラスやインテリアはウイスキーライフにぴったりなのだがなあと内心推しはかっている。
きっかけは金沢の老舗ホテルだった。バーを訪れると、たまたま客が私達だけで、店主が遊びでショットグラスにさまざまなモルトウイスキーを注ぎ、飲み比べをさせてくれた。これが同じモルトか?と思うほど味が全く違って驚いた。チョコレートのようなほのかに甘い香り、樽の木の香、焚き火のようないぶした香りが鼻孔いっぱいに広がるもの……。店主は言った。
「数ヶ月に一度、おとなりの富山からくる板前さんがいるんです。やっとここのウイスキーが飲める時間と懐の余裕ができましたって言ってね」
熟成の年数が古いものは一杯三千円するものもある。板さん値段を気にせず好きなものをいくつか味わうのが数ヶ月に一度の楽しみらしい。大の大人がそんなふうに、小遣いを貯めてわくわくしながらやってくるなんてと、ウイスキーの深さを初めて知った。
以来、東京に戻ってもバーを探すようになった。私が好きなのはスコッチというスコットランドの蒸溜所で作られたもので、そのなかでもとりわけアイラ島で蒸留されるアイラモルトが好きだ。この島には蒸留所が幾つもあり、それぞれ違った味わいなのだが、どれも癖が強くスモーキーだ。
アイラモルトを取り揃えているバーは少なく、必然的に行く店も限られてくる。この癖のあるウイスキーが好きで集まった老若男女の常連客と自然におしゃべりが始まる。ウイスキーは一気に飲むものではないので、会話もゆっくりになる。
さらに、ジャズやソウルなど、ウイスキーには少し古い音楽が合うようで、店主の音楽講義を聞くこともある。ウイスキーが登場する開高健や村上春樹の小説の話も出る。
落語と同じく、音楽、文学、国の歴史、グラスや器など、ウイスキーから派生する話題は無限に広がるのだ。これがまた楽しくて仕方がない。行きつけのバーでかかっていたCDをメモし、帰宅後ネットで探して買うこともしばしばだ。
ウイスキーが知らなかった文化を運んでくれる。どんな趣味も長続きしなかった私が今のところ飽きずに掘り下げている唯一の趣味だ。いつかアイラ島に行ってみたいというと、お酒好きの中には「僕行ったことがありますよ」と言い出す人がいて、今度は旅の話になる。どの作家の紀行文がよかったと、どんどん脱線して、最後はお酒とはまったく関係のない遠いところに着地するのだがそれもまたよし。
あれれ、このコラムもオチが見えないぞ? まあ、いいか。もう少し若かったら、ただ苦いと思っただけかもしれないスコッチの魅力を記してみた。人生には、ミョウガや山椒のように、歳を重ねないと気が付けないおいしさや楽しみがある。あるとき不意にそれがわかるタイミングがおとずれる。
趣味を持たなくちゃと、ちょっと躍起になってたころもあるが、焦るようなものでもない。落語やお酒のように、細く長く楽しめて広がりのある趣味をもう少し深めてみたいと思っている。
【今週の2枚】
いつも行くバーで教えてもらい、しびれたジャズピアニスト、マル・ウォルドロン。
最近、新たに虜になりつつあるカルバドス。こちらはフランス、ノルマンディのりんごの蒸留酒。クールドリヨン フィーヌ。
作家 大平一枝
長野県生まれ。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。大量生産・大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに、女性誌、書籍を中心に各紙に執筆。『天然生活』『暮しの手帖別冊 暮らしのヒント集』等。近著に『東京の台所』(平凡社)、『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)などがある。
プライベートでは長男(21歳)と長女(16歳)の、ふたりの子を持つ母。
▼大平さんの週末エッセイvol.1
「新米母は各駅停車で、だんだん本物の母になっていく。」
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