【金曜エッセイ】仕事と育児。1日の生活リズムをつくる「スイッチ」とは(文筆家・大平一枝)
文筆家 大平一枝
第四話:めりはりを忘れる
つい最近、下の娘が高校3年になったのを機に、家の外に仕事場を借りた。それまでも書庫代わりにアパートの小さな1室を借りていたが、通ったり通わなかったりだった。原稿執筆の日は、娘が帰宅したとき、家にいたいという思いもあり、仕事の軸足を自宅の書斎に置いていたからだ。書斎はリビング脇の2畳ほどのスペースで、作りつけの机と本棚があるだけの簡素なもの。コックピットのような狭さだが、17年前からそこで仕事をしてきた。
学校から帰宅後、慌ただしく受験塾に行く娘を見て、そろそろ軸足を外に置いてもいいだろうと少し広めのマンションに仕事場を移した。
娘が塾前に食べる軽食は、朝作って置いておく。家族揃っての夕食は塾が終わる22時頃になった。夫も大学生の長男もそれくらいになっても支障がない。
するとどうだろう。私は、次第に家に帰らなくなってしまった。
22時頃までめいっぱい仕事をつめこんでしまうのだ。時間があったらあっただけ、だらだらと机に向かう。
こうして、私は、1日の“めりはり”というものを忘れていったのである。これは自分でも想定外だった。
育児があると、どうしても子どもの生活リズムに仕事を合わせることになる。仕事場を借りるまでは、出張や取材以外は自宅で娘を迎えていた。「ただいま」の声にハリがないな、携帯ばかり見ているな、やけに激しい音楽ばかりかけてるななどというささやかなサインをそのときに知る。
そして、18時になったら、パタンとパソコンを閉じる。そこからは強制的に、「お母さん」の時間が始まる。
原稿に興が乗っているときなど、このまま仕事を続けたいな、家事はしたくないなと何度ももどかしい思いをしたが、幼い子どもは待ってくれない。夕食作り、洗濯物の取り入れ、風呂を沸かし、切らしている食材があったら大急ぎで買いに行く。
仕事も、18時には終えなければいけないので、朝から集中する。窓の向こうがオレンジ色に染まる頃がピークだ。一番、筆ものる。タイムリミットに向けて組んだ原稿の段取りが予定通りにすむと、えもいわれぬ充足感に包まれる。
振り返ると、子どものリズムに合わせることで、仕事にも集中できた。そしてお母さん時間に戻ることで、気持ちが切り替わる。家事は慌ただしいが、仕事スイッチをオフにするような心地よさがあった。
もともとものぐさで、三日坊主の見切り発車。計画を立てるのが苦手な行き当たりばったりの性格である。こんな私が22年間、原稿書きの生活を途切れることなく続けてこれたのは、1日にめりはりがあったからだと気づいた。
今は時間がいくらでもあるので、仕事のエンジンが掛かるのが遅い。時間がたっぷりあるはずなのに、こなす原稿量は、自宅に仕事場があった頃の方が多いのではないか。
育児と仕事は関連性がないと思っていたが、目に見えない大事なものをもらっていたのだなあと、今頃わかった。
ところで、17年間書斎として使ってきた自宅のスペースは、今は家族共有のパソコン部屋になっている。仕事道具を撤去して空っぽになった晩、不意にいろんな思いがこみ上げ、なかなか寝付けなかった。ここで働きながら子育てをしてきたんだなとか、あのときはしんどかったなとか……。
横で、寝ていると思った夫がぽつりとつぶやいた。
「いままでご苦労さん」
下の子が巣立つ日までもう少し。
あれ、困ったな。メリハリを忘れていたという話を書いていたら、鼻がツンとしてきた。
文筆家 大平一枝
長野県生まれ。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。大量生産・大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに、女性誌、書籍を中心に各紙に執筆。『天然生活』『dancyu』『Discover Japan』『東京人』等。近著に『届かなかった手紙』(KADOKAWA )、『男と女の台所』(平凡社)、『あの人の宝物』『紙さまの話』『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)などがある。プライベートでは長男(21歳)と長女(17歳)の、ふたりの子を持つ母。
▼大平さんの週末エッセイvol.1
「新米母は各駅停車で、だんだん本物の母になっていく。」
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