【金曜エッセイ】相棒のお別れに想う(文筆家・大平一枝)
文筆家 大平一枝
第二十二話:相棒のお別れどき
仕事場の置き時計が壊れた。秒針が途中で止まってしまうのだ。いよいよか、とほのかな覚悟をした。
飾り気のない手のひらサイズの丸い目ざまし時計で、アルミの鈍い銀色と黒い針のシンプルなデザインを気に入っていた。ところが、店に尋ねると、廃盤で修理ができないとのこと。
しかたなく、同じような大きさの木製の定番を買った帰り道、とてつもなく寂しくなった。
定番品だからずっとあると思いこんでいたが、知らぬうちになくなっていた。それは、想像以上に大きな喪失感であった。
たかが小さな時計なのに、おかしなものだ。
だが、独立した23年前からずっとそばにいて、机の片隅で私の仕事をずっと見守ってくれた。締切まであと3時間。保育園のお迎えまであと2時間。マネージャーのように、進行を見守る。
そうか、君はもう退くんだな。今までついてきてくれてありがとう。
なんだか捨てることができず、そっと引き出しにしまった。
同じ場所に置かれた新人は、四角いボディをしている。黒い針で、やはりシンプルなデザイン。
先輩は、丸形で、立てかけるタイプだった。細いワイヤーで支えるので安定が悪く、ころんと倒れやすいのが唯一の難点。かたや新人は、どっしりと安定している。
だが、私は5分も経たぬうちに、先輩がいかにすごかったかを知ることになる。先輩は、ワイヤーで立てかける分、文字盤にわずかな傾きがある。その傾きの角度が、とても見やすかったのだ。さり気なく見えて、じつは計算され尽くした絶妙な角度は、まるで寡黙で実直な職人の技のよう。先輩は、こんな重要な仕事をしてくれていたのかと、しびれた。
数年前、これと同じ気持ちになったことがある。
私は、旅先の雑貨店で買った蓋付きのガラスのキャニスターを、砂糖入れにしていた。蓋のつまみの大きさ、砂糖半袋がちょうど入る容量、本体に蓋がスーッとはまり、片手で開け締めできるところがよかった。
しかし、心ならず何度めかの転居の際、割ってしまった。同じものを探したが見つからないので、蓋をひねらなくても片手で開けられる容器を買った。これが、どうも使いづらい。先輩は、ピタッと一分の隙間もなく本体にハマって、湿気を寄せ付けなかった。その後、何度買い替えても、あの「ピタッ」に出会えずにいる。
見えない小さな仕事をしていたんだな、とあとからわかった。
緻密なものづくりが得意な日本人は、小さきものに大きな仕事をさせるのがうまい。惜しんでばかりいるも寂しいので、新人君の時計の活躍に期待をこめる。ひょっとしたらこれもまた、失ったときにわかる職人のような凄さが潜んでいるかもしれないから。
文筆家 大平一枝
長野県生まれ。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。『天然生活』『dancyu』『幻冬舎PLUS』等に執筆。近著に『届かなかった手紙』(角川書店)、『男と女の台所』(平凡社)など。朝日新聞デジタル&Wで『東京の台所』連載中。プライベートでは長男(22歳)と長女(18歳)の母。
▼大平さんの週末エッセイvol.1
「新米母は各駅停車で、だんだん本物の母になっていく。」
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