【レシート、拝見】トマトひと盛り98円、地図にはないしあわせ
ライター 藤沢あかり
玉井健太郎さんの
レシート、拝見
気に入りの白いブラウスがある。
ふっくらした五分袖に、白の刺繍で描かれた総柄はよく見るとセミやクワガタなどの昆虫。こう書くと、ちょっと奇抜に思えるけれど、生地と共色の刺繍はレース模様のようで、目をこらすと気づくおもしろさがある。
だから、ちょっと緊張する取材やはじめましての方に会うようなときには、これを着る。「それ、もしかしてトンボですか?」そんな一言が打ち解けるきっかけをくれる、わたしにとってお守りのような一枚だ。
アトリエの扉を開けると、ぎっしりと詰まった大きな本棚が目に飛び込んでくる。ヨーロッパの労働者たちが映るポートレートの写真集に中国の刺繍や織機の本、江戸の職業を網羅した風俗学なんていうものまで。
「国内外で集めた本が、イメージの元になることも多いですね。江戸はすごく好きな時代。行けるなら江戸の町に行ってみたいんですよ」
そう話すのは「ASEEDONCLÖUD(アシードンクラウド)」デザイナーの玉井健太郎さん。先述のブラウスの生みの親だ。
八百屋で出会った、宝探しみたいな気持ち
ホットケーキミックスに卵、豆腐、ブロッコリー。親しみのある食材が並ぶスーパーのレシートに、少しほっとした。ファッションデザイナーにも日常がある、そんな当たり前のことを思ってしまったからだ。
「休日に、妻によく作ってもらいます。軽くつぶしたバナナを入れて、ココナツオイルで焼くのがすごくおいしくて。
ホットケーキって、子どものころから日曜日のイメージがあるから、休日を迎えたって感じがします。でも子どものころ食べていたものより、これはもっとおいしいですね。ココナツオイルで、味が全然変わりますよ」
スーパーにケーキ屋、ドラッグストア。いくつかレシートを拝見しながら最後の一枚になったとき、玉井さんの表情がちょっとだけ少年のようになった。
「これね、すごいんですよ」
98円、100円、200円……、店名も明細もない、短いレシートだ。
「アトリエ近くの住宅街にある、いわゆる八百屋さん。ちょっとしたキズものや規格外に育ったような野菜が、すごい値段で売られているんです。
先日なんて、巨峰が3パック298円、桃は3玉で290円。キュウリも曲がってぐにゃぐにゃなんだけど、ざっと入って100円とか。しかも、ちゃんとおいしい。野菜やフルーツだから、たまにハズレもあるんですけど、それも含めて自分の目利きが問われるというか。でもスーパーで買うより全然おいしいです」
日常の中の、小さな贅沢をたっぷり味わえるしあわせ。「今日は何があるんだろう」という宝探しのようなわくわく感。そのよろこびをアトリエのみんなで共有するのもまた楽しいらしく、「今、一番なくなってほしくない店ですね」と笑う。
「昔だったら散歩していて、いい古着屋を見つけたときかな。そんな気持ちに近いのかもしれません。でも今はこの八百屋がめちゃくちゃうれしくて、自分の中での価値観が変わったのかな、歳ですね(笑)」
脳を刺激して、新しいひらめきに出会いたい
家からアトリエまでは自転車で20分。最近では仕事中の移動も人混みを避け、自転車に乗ることが増えたという。
「この八百屋も、いつもだったら電車かバスだから絶対に通らない道です。自転車だからなんとなく行き当たりばったりで走っていたら、あれ?って。散歩は発見がありますよね。こんなにネットが発達しても、まだまだ穴場はいっぱいある。
脳って、新しい刺激を与えると活性化して、どんどん新しい情報や発見を得られる気がします。だから、なるべく知らない道を通ったり、新しい景色を見たいんです。ロンドンに住んでいた頃は、知らない道がないというくらい、家の周りをくまなく歩き回っていたし、そこに発見がたくさんありました」
昔は、雑誌の住所を頼りに、あっちかな、この角を曲がってみようかと行ったり来たりして、不安になりはじめたころに、目当ての看板を見つけてホッとしたものだ。今は、スマホの地図の中で、自分と同じ動きをする青い丸を見つめていれば迷うこともない。けれど、あの見つかりそうで見つからない道中にこそ、思いがけない宝物がころがっていたりしたのではないか。
なにより、そこにある情報や予想を超える出会いは、自分の手や足を動かした時ほどキャッチできる気がする。
「ファッションデザインの専門学校で講師もやっているんですが、学生たちにもよく話すんです。課題をつくるのに、みんなインターネットだけでビジュアルを集めてきます。それもある程度はいいものが集まりますが、やっぱり奥行きがとれない。本屋や図書館も、また違う情報があるから行ってほしいと伝えています」
日常を楽しむ力が、花を咲かせる糧になる
「よかったら、このあと一緒に行ってみませんか」
玉井さんがわたしたち取材陣に声をかけてくれ、二つ返事でご一緒させてもらった。
「どの道を曲がるんだったかな。偶然見つけたところだから、今でも時々迷うんですよ」と、つぶやきながら進んだ先に、その店はあった。
ダンボールに走り書きした「280円」の値札がシャインマスカットを指していることに気づき、思わず二度見する。男性のこぶしほどの完熟トマトが6玉98円、プチトマトはポリ袋に詰め放題で99円。少々小ぶりながら、ひと房150円の巨峰、そして先のマスカット。このあともう一件予定があるのも忘れて買い込み、ずっしりとした戦利品の重みに、お宝感をかみしめた。
玉井さんの経歴には、ドイツに暮らし、ロンドンでファッションを学び、マーガレット・ハウエルのアシスンタントを務めたという、わたしにはずいぶん遠い世界に思える華やかな文字が並ぶ。でも、彼がつくる洋服を構成しているのは、きっとそれだけではない。
ファッションは着飾ると同時に、生活を支えるものでもある。働き、遊び、食べ、生きていく。それは生活じみたというのではなく、人間らしく生きるプリミティブな行為だろう。
バナナ入りのホットケーキで日曜日をご機嫌に過ごし、今日はなにがあるかと八百屋をのぞくような、ささやかなよろこびにもデザインの種はひそんでいる。生活者としての日常を楽しんでいる玉井さんを見ていると、わたしの白いブラウスが生まれた背景に、ほんの少しだけ近づけた気がした。
玉井 健太郎
1980年、千葉県生まれ。2005年セントラル・セント・マーチンズ芸術大学 メンズウェア学科卒業。ロンドンでマーガレット・ハウエル UKのアシスタントデザイナーを務める。帰国後、山縣良和とともにリトゥンアフターワーズを設立。09年に新たに独自のデザイン活動をスタート。ASEEDONCLÖUDを立ち上げる。ブランド名の由来は、子どものときに初めて創作した絵本『くもにのったたね』から。
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ライター 藤沢あかり
編集者、ライター。大学卒業後、文房具や雑貨の商品企画を経て、雑貨・インテリア誌の編集者に。出産を機にフリーとなり、現在はインテリアや雑貨、子育てや食など暮らしまわりの記事やインタビューを中心に編集・執筆を手がける。
写真家 吉森慎之介
1992年 鹿児島県生まれ、熊本県育ち。都内スタジオ勤務を経て、2018年に独立し、広告、雑誌、カタログ等で活動中。2019 年に写真集「うまれたてのあさ」を刊行。
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