【終の住処】第1話:専業主婦から起業。家づくりのプロが建てた7軒目のマイホーム
ライター 長谷川未緒
好きなインテリアに囲まれ、生活しやすい動線と少ないもので暮らせる収納が整えられた、掃除がラクな家。
住宅や店舗のデザインを手がける空間デザイナーの井手しのぶさんが、「終の住処」のつもりで建てたのはそんな家です。
特集「終の住処」では、仕事でもプライベートでもたくさんの家を設計・デザインしてきた井手さんに、理想を実現するインテリアや、収納法、家づくりなどのヒントを伺います。
第1話では、これまでの家遍歴と、庭と一体となった終の住処について、聞きました。
海が見える丘の上に立つちいさな一軒家
鎌倉駅から徒歩20分ほどの小高い丘の上に、井手さんのお宅はあります。細い石段を通ってアイアン製の門扉をくぐると、広々と明るい庭が。
庭の木に張られたタープの下には、ウッドテーブルとチェアが置かれ、天気のいい日にここでブランチを食べたら、さぞかし気持ちが良かろうと妄想が広がります。
庭に面した大きな窓からリビングを伺いつつ、ブルーグレーのドアを通ると、アンティークのダイニングテーブルとチェアが置いてありました。
入った瞬間、家主の井手さんの、朗らかなムードが部屋全体に広がっていることがわかります。
「この家、7軒目なんですよね? 1軒目はどんな家だったんですか?」
すでに得ていた情報を元にお話を伺いはじめてみたら、この家に辿り着くまでの家遍歴は、専業主婦だった井手さんの仕事人生にも密接に関わるものでした。
憧れのマイホーム、でも建売には満足できなくて
今年還暦を迎える井手さんが、最初に家を手にしたのは26歳のときです。結婚して長男が生まれたことがきっかけでした。
井手さん:
「母が『早く家を持ちなさい』という堅実なタイプで、私も教えに従い、若いころから積み立てをしていました。
ところが建売の新古住宅(未入居で築後1年以上経った物件)を買って住みはじめたものの、あんまり気に入らなかったんですよね……」
じつは井手さん、子どものころからインテリアにはこだわりがあり、子ども部屋の押入れを壊してビールケースでベッドを作ったり、タンスに自分でペンキを塗ったりしたほど。
井手さん:
「自分の好きな空間にいないと落ち着かない性分なので、畳をフローリングに変えるなどしましたが、どうしても居心地ががよくならなかったんです」
数年暮らしたのち、土地の値段が上がったタイミングでその家を売却し、それを資金に、駅に近い場所に2軒目の家を建てることに。
セミオーダー住宅で好みも反映できたのですが、長男が通学の途中で事故に遭います。幸い怪我はなかったものの、危険を感じ、学校近くに転居を決めました。
夫の会社が倒産。専業主婦で未経験から始めた仕事
そして3軒目に建てた家が、転機になりました。
井手さん:
「今度の家こそ自分の好きなように建てようと思って、床は無垢材、壁は漆喰で工務店にお願いしたんです。
今はそういう家けっこうありますけれど26、7年前はなかったので、無垢材の床だと板が暴れる(乾燥や湿気で木が伸びたり縮んだりする)し、漆喰の壁は割れると反対されました。
文句は言わないから、とお願いして建ててもらったら、遊びに来た友人が自分の家も同じように建ててほしいと言ってきたんです」
友人の熱意に負け、大工をしていた夫とともに仕事として建てた家が井手家の隣にできあがったのですが、このときふたたび事件は起こりました。
井手さん:
「夫の会社が倒産してしまい、お給料が出なくなってしまったんです。わたしは専業主婦でしたし、あのときは売れるものは全部売って、それでも全然足りなくて、困り果てました。
ところがそのとき、近所の方から『同じような家を建ててほしい』と声をかけられたんです」
ご主人が大工を、井手さんが空間デザインを担い建てた家が評判を呼び、「これはもしかして」と、地域情報誌に広告を出して自宅をモデルルームに見学会を開いたところ、さばききれないほどの大行列に。
専業主婦だった井手さんと大工のご主人とその友人で、住宅や庭の設計・デザインの会社を起こすことになりました。35歳のときでした。
30代後半で離婚。仕事に育児に奮闘した40代
井手さんは独学で空間設計を学び、会社は大繁盛。箱根に4軒目となる別荘を建てますが、次第に夫婦の関係に亀裂が生じ、40歳を前に離婚することになります。
井手さん:
「離婚したとき離れるお客様もいましたが、そのまま信頼してくださるお客様もいて、ありがたかったですね。
仕事運と、わらしべ長者と言われるくらい家運もよくて、どうにかやってこられました。
夫の会社が倒産したときと、それから離婚と。このふたつを腹をくくって乗り越えられたので、今はもう怖いものなしです」
この後、事務所兼自宅となる5軒目を建て、子育てと仕事に多忙な40代を送り、子育てが落ち着いてからは、念願の海辺に6軒目となる家を建てました。
90歳までひとりで暮らすと決めて、終の住処を建てた
52歳で会社を人に譲ってセミリタイアし、暮らしをコンパクトにするべく終の住処のつもりで建てたのが、この7軒目の家です。
井手さん:
「90歳くらいまで生きていく計算で支払いも無理がなく、ひとりでも安心して暮らせる家を建てようと思いました」
井手さん:
「老後の気ままな暮らしは、沖縄でも熱海でもどこでもよかったんですが、ずっと鎌倉あたりで暮らしていて家族も友人もいるし、このあたりで土地を探しはじめたら、インターネットですぐにいい場所が見つかったんです。
荒れた竹やぶで、車も入ってこられない狭い階段があるところなので、一般の方だと『この土地いいよ』と話しても、納得できないと思います。
わたしはこれまでの経験があるので、すぐにいいとピンときました。小高い丘で、静かで、犬1匹と猫2匹と暮らしているので、動物たちもここなら庭から道路へ飛び出しちゃう心配もないな、と」
友人に手伝ってもらいながら竹やぶを開墾し、土も2トントラックで何台分か運び入れるなど、素人にはできない土台づくりを1年かけて行い、いよいよ家づくりへ。
井手さんがめざしたのは、自然と一体化した、地面から生えているような家でした。
井手さん:
「仕事でもプライベートでも、いろいろな家を建ててきましたが、終の住処には、平屋で縁側があるような昔ながらのイメージの家がいいなあ、と思ったんです」
井手さん:
「それからなんといっても、掃除のしやすい家! 私、掃除が苦手なのよ。
犬も猫もいるので、なるべく汚れにくくて、手間をかけずにきれいになる家にしました」
そうして建ったのが、DIYでこしらえたウッドデッキが縁側のように庭に続く、ひらーっと平らかな家でした。
続く第2話では、マイホームを7軒建ててたどり着いた、必要な要素に絞った家づくりの詳細を伺います。プロの目線で自分らしいインテリアを作る秘訣も、教えてもらいます。
【写真】ニシウラエイコ
もくじ
井手しのぶ
専業主婦から独学で一般建築、店舗開発、リノベーション、造園を手がける(株)パパスホームを1996年に設立。2013年12月に代表を退き、現在はatelier23.を主宰。施主とのコミュニケーションを大切に活動している。https://www.shinobuide.com
ライター 長谷川未緒
東京外国語大学卒。出版社勤務を経て、フリーランスに。おもに、暮らしまわりの雑誌、書籍のほか、児童書の編集・執筆を手がける。リトルプレス[UCAUCA]の編集も。ともに暮らす2匹の猫のおなかに、もふっと顔をうずめるのが好き。
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