【45歳のじゆう帖】「当たり障りのない言葉」のありがたさ
ビューティライターAYANA
当たり前のことに対する違和感
たとえば、朝家を出たらばったり大家さんに会うとか、そこまで親しくない会社の同僚とエレベーターに乗り合わせるとか。そんなシチュエーションで、当たり触りのない時候の話をすることがあります。寒いですね、桜がまだ咲きませんね、昨日の雨はすごかったですね。
以前は、あまりそういう会話に魅力を感じていなかった気がします。間を持たせるためだけにしている当たり障りのない言葉の羅列ではないか?と。
実際そこにはそこまで感情を込める必要がありません。もう形式が決まってしまっているから、あとはそれをなぞればいいのです。
小学校3年生くらいのとき、文化祭のような行事で「はじめの言葉」の担当になったことがあります。全校生徒の前で開会の宣言をするやつです。
その年代だと「これから、○○小学校の文化祭を、はじめます」プラスアルファくらいのことを言えばよく、母に「みんなの前で話すなんて緊張するね。練習しなくていいの?」と言われたとき「練習が必要な文言なくない?」と思ったのを憶えています。
ついでに「これから、○○○○を、はじめます!」という開会や閉会のあいさつを、なぜ子どもはゆっくりとした大声で話すのだろう、というのが疑問でした。ふだんの私たちは、そんな話し方はしないのに。大人が壇上で挨拶するときは、普通の会話のスピードと声で話すのに。
いっぽうで、国語の教科書を音読するときに、物語にあわせて抑揚をつけて読むと「カッコつけてる」とクラスの子にからかわれたりしました。
当時、小学校低学年でこの違和感を言語化することは到底できませんでしたが、「この場合こうしておくのが正解」とされている言葉の使い方に対して、すんなりと受け入れられる子ではなかったように思います。
反発なんてとんでもないと思っていた
中学生のとき「髪を染めてはいけない」という校則がありました。私は「へえ、そうなんだ」くらいにしか捉えてなかったのですが、母はそれについて「そのわりに、歳をとって白髪が増えると『あの人、なんで髪を染めないのかしら?』って言われたりするんだよ。変だよね」と言っていて、なるほどと思ったものです。
母はこういうことに対して「許せない!」と反発するのでなく「不思議だよね〜」みたいに考えるアイワンダーなスタンスの人で、私は彼女にかなり影響を受けていると思います。
慣習、ならわし、従っておけば丸くおさまること。個性を必要としない決まりごと。これはどこにでもあります。私はそれについて違和感を持つことはあっても、反発することはありませんでした。
いつもなんとなくそこに「ハマれない」「疑問を持ってしまう」自分に、ちょっとした劣等感のようなものを抱いていましたし、なるべくみんなからはみ出ないように気を配っていました。
目立つことはしたくない。絵が上手とか、走るのが速いとか、そういうことで目立つのは大歓迎なのですが、「変ではなく普通でいたい」という気持ちが大きかった。だからルールに抑圧を感じるなんてありえなくて、家庭は放任主義でしたし、体制のようなものに反発することもなく(少しの違和感とともに)生きていました。
高校生以降は、音楽やカルチャーを通して「マイノリティであることの面白さ」を理解するようになり、少し生きやすくなりました。そのおかげでますます慣習から遠のいていくというか、いわゆる自分探しで忙しく、気づけば時候の挨拶(常識)に魅力を感じないまま大人になってしまいました。
多様な人が生きていくための「慣習」
35歳で会社員からフリーランスになり、私は多くのことを学びました。一番大きかったのは、それまでは絶対的な正義が存在すると思っていたのが、すべての人に色々な事情があるのだ、と理解できたこと。それから、人が豊かに生きていくうえではエネルギーの交流が大事なのだということ。
フリーランスはひとりきりで、これまで疑問を持ってきた体制のようなものが存在しない働き方です。かつて雇い主だった会社がクライアントになり、たとえば以前は「そんな考え方ではお客様に失礼なのでは?」と楯突いていた社風が、そのままお客様の社風となってしまうことが多々ありました。
仕事では、クライアントの利となることを提供しなければなりません。だから向き合い方が本当に変わるのです。あなたの会社とはスタイルが合わないので仕事しません、ではなく、すべての人に事情があり、まずはそこをわかろうとする、少なくともその姿勢でいるように努めてみる。そうすることで開けてきた道が、この10年数えきれないほどあります。
相手と心を通わせる、そのとっかかりとしてとても便利なのが、慣習、しきたり、ルール、時候の挨拶なのです。
相手はこの当たり障りないルールの上でどんな表情を見せるのか。どんな人でもニュートラルな状態であたれるものだからこそ、その機微を汲み取ることができるようになります。場の空気も動きます。
もちろん「それって意味あります?」って校則も存在しますが、多くの決まりごとは、多種多様な人たちが同じ時代を生きていくための知的な打開策であるのだと今は理解しています。
なぜこの慣習ができたのだろう?と考えてみるのも勉強になりますし、時代にあわせて少しずつ、リモデルしていけばいいものなのだとも思います。
【写真】本多康司
AYANA
ビューティライター。コラム、エッセイ、取材執筆、ブランドカタログなど、美容を切り口とした執筆業。過去に携わった化粧品メーカーにおける商品企画開発・店舗開発等の経験を活かし、ブランディング、商品開発などにも関わる。instagram:@tw0lipswithfang http://www.ayana.tokyo/
AYANAさんに参加してもらい開発した
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メイクアップシリーズ
AYANAさんも立ち会って制作した
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