【金曜エッセイ】母のネックレスをほどきながら
文筆家 大平一枝
自著に、すぼらな私は、アクセサリーケースにしまってあるネックレスがたいてい絡まっていて、出掛けに格闘するがほどけず、いつも「あーあ、なんて自分はだめなんだろう」と思いながら家を飛び出すという話を書いた※。
それを読んだ知り合いの男性編集者が、ぽつりとつぶやいた。
「大平さんだけじゃないですよこれ。女性のネックレスはたいてい絡まるものです」
意味深ですねと、冗談めかして聞き返すと、彼はどこかしみじみした表情で語りだした。
母が危篤で何日もそばについていたとき、日中のふとした時間にやることがなくて手持ち無沙汰になってしまったんです。本を読む気にもなれない。ましてやにぎやかなテレビも。ああそうだ、と、母のネックレスの入った箱を取り出しました。
自分の体調を知っていた母から、私になにかあったらこれはあの方に、このアクセサリーはこの方に差し上げてねと言われていたので。
蓋を開けると、見事にネックレスが絡まっていて。僕はほどきにかかったんです。知恵の輪みたいで夢中になったし、無になれた。これはあのときにつけてたなーとか、赴任先のあの国で買ってたなとか、けっこう思い出したりしながら。三日くらいかかったかな。母はもう意識はない状態でしたが、あれはぼくにとっていい時間でした。
それまでも、ごくたまに亡くなったお母様の話を聞いていた。とても几帳面でマメな人だったと、淡々と語っていた気がする。私はエレガントで気品のある女性を想像し、自分とは月とスッポンだなとのんきに思っていた。
だから驚いた。そんな出来たひとでも、ネックレスは絡まるのか──。
同時に、何もしてあげられることがない。する気持ちにもなれない。なすすべもないまま、眠り続ける母親にただ寄り添うしかできなかった彼の長い時間が胸に迫った。きっと、ほどきながら心のなかでお母様とたくさんの会話を重ねたことだろう。
聞きながら思った。絡まったネックレスは、最後の息子へのギフトだったのかもしれない。無心に鎖をほどきながら迫りつつある悲しみや苦しみからひととき、解き放ってあげようという母からの。
私はいくつになっても、ネックレス一本きれいにしまえないと、粗忽さをコンプレックスに思っていたが、少しだけ楽になった。だれでも絡まるものなんだな。しかたないよな。
以来、出掛けの絡まったネックレスを見ると、ときどきわずかなせつなさが心をかすめる。自分の息子が無心に私の雑なアクセサリーケースを整理している姿を思い浮かべて、ひとりで勝手に寂しくなったりも。
連載101回目は、ネックレスはたいてい絡まるものというお話である。次の100回を目指し、これからも丁寧に言葉をつむいでいきたい。どうぞよろしくおつきあいください。
※編集部注 第四十八話 出掛けのネックレス 『ただしい暮らし、なんてなかった。』平凡社に所収
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。最新刊は『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)。一男(26歳)一女(22歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
photo:安部まゆみ
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