【57577の宝箱】香水を真上にひと吹きしてくぐる 生まれ変わった私の世界

文筆家 土門蘭


初めて香水をつけたのは、中学生のときだ。

その頃、母の通販のファッションカタログに載っていた、香水のページを眺めるのが大好きだった。キラキラとした可愛らしい瓶に、綺麗な色の水。「フルーティ」とか「スパイシー」とか「ラストノート」とか、うまくイメージできなかったけれど、香りの説明文をじっくり読み込んでいた。一体、どんな香りなんだろうと胸をときめかせながら。

近所に大きなドラッグストアができて、香水コーナーを発見したときには、喜び勇んで香りを嗅ぎに行ったものだ。こんな香りだったのか!と、サンプルを手に取っては一個一個確認して、自分のイメージとの違いを楽しんだ。そこで最初に買ったのが、ANNA SUIの紫色の香水のミニボトルだった。

どれくらいつけたらいいのかよくわからないし、周りに知られるのも恥ずかしいので、初めはハンカチに染み込ませて持ち歩いていた。学校で時々ハンカチに鼻を埋め、香りを嗅ぐ。そのときの、なんとも言えない喜ばしい気持ち。まるで誰にも侵されない自分だけの世界に身を置いたような。今でもあの香りを思い出すことができる。甘くて苦い、雨の日の音楽室みたいな香りだった。

高校時代につけていたのは、KENZOのフラワー バイ ケンゾーという香水だ。透明な細長い瓶に、ポピーの写真がうつされている。休日に、手首にほんの少しだけつけていた。友達に「なんかいい匂いがするね」と言われて嬉しかったのを覚えている。あの匂いもよく覚えている。石鹸のような、花のような、風通しのいい香りだった。

一番長く使った香水は、ブルガリのオムニアというものだ。ほろ苦いオレンジみたいな、大好きな香り。廃盤になってからもネット上で見つけては買い、大学時代から15年ほど使っただろうか。その間にもいろんな香水を試したが、今でも手元に残っているのはオムニアだけで、自分はこれを一生身につけるのだと思っていた。

§

だけど数年前、急に香水をつけられなくなった。

なぜか急に嗅覚が敏感になってしまって、香りに酔うようになってしまったのだ。香水だけでなく、洗剤やヘアオイルの香りに対しても好き嫌いが激しくなり、なるべく無香料を選ぶようになった。体質の変化なのだろうか。よくわからないけど、とても残念だった。仕方なく、香水と離れた日々を送るようになった。

ただ、香水に対する思いはずっと変わらなかった。
雑誌やSNSで紹介されているのを見たら、説明文をチェックして「どんな香りなんだろう」と想像する。まるで、母の通販カタログを眺めていた頃のように。私はそもそも、香り自体ではなく「香水」という存在が好きなのだと思う。

だからなのか、映画を観ていても、香水に関わるシーンはじっと観てしまう。
例えば『キャロル』という映画ではこんなシーンがある。主人公のキャロルがお風呂に入っている間に、彼女を慕う女の子がキャロルの洋服に顔を埋めて大きく息を吸い込むのだ。その娘はキャロルと出会ったばかりの頃も、いい香りがすると言って褒めていた。きっと彼女は、その匂いにずっと囚われるのだろうな。そう思わせる素敵なシーンだ。

あるいは『リリーのすべて』という映画では、主人公のリリーが香水売り場で働くシーンがある。そこでリリーは、香水のつけ方をお客さんにレクチャーするのだけど、体に直接つけるのではなく、宙にシュッと吹きかけて、その中をくぐるようにと伝えるのだ。まるで霧の中を通り抜け、その香りを纏うように。

そういうのを見るたびに、ああ、香水っていいなぁと胸がときめく。キャロルもリリーも、どんな香りなんだろう。

§

そんな中、この間デパートを歩いていたら香水売り場が目に留まった。

まだ香水をつけられる状態かどうかはわからなかったけれど、もしも良い香りに出会えたら、それを体ではなくハンカチにつけて楽しむのもいいかもしれない。中学生の頃のように。そう思い、雑誌で見て気になっていたブランドのコーナーに向かった。

種類がたくさんあったので迷っていると、店員さんが来て好みを聞いてくれたので、
「柑橘系の香りが好きなんですけど」
と言ってみた。食べ物の香りなら、もしかしたら酔わないかもしれないと思ったのだ。

店員さんはすぐに6種類くらい選んでくれた。サンプル用に、香水を吹きかけた紙を渡してながら説明してくれる。
「これは柚子とフランボワーズの香りです」
「こちらはネロリとベルガモットですね」

鼻を近づけると、どの香りも個性的で目が覚める。その度に、ふっとどこか遠くへワープしたような気持ちになる。まるで、異国のお姫様にぎゅっと抱きしめられたかのような。あるいは、言葉も通じない国で妖しげな喫茶店に迷い込んだような。

「ああ、この感覚だ」と思う。こんなふうに香水はいつも、私を違う場所に連れて行ってくれるのだ。だから香水が好きだった。どんなに退屈していても、嫌なことがあっても、いい香りを嗅いでいると自分だけの世界が目の前に現れる。そんな気持ちになるから。

結局その日は、迷いすぎて何も買えないまま帰った。だけどサンプルはすべて持ち帰らせてもらえたので、それから数日間、ビニールから取り出して香りを嗅いでは、そのひとつひとつの香りの違いを楽しんだ。

いつか理想の香水に出会えるまで、ゆっくり探し求めるのもいいかもしれない。それまでは、いろんな香りに出会ってみよう。まるで旅に出るように。

 

“ 香水を真上にひと吹きしてくぐる生まれ変わった私の世界 ”

 

1985年広島生まれ。文筆家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 


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