【眠るまえのショートストーリー 】vol.9_スミレさんの靴みがき
あわただしい一週間をかけ抜けている皆さまへ。眠るまえの、ちょっとした時間でも読める、童話のようなショートストーリーをお届けします。本を手にとる元気がない日、心に余裕がない日でも、ひととき現実を忘れて、物語の世界へもぐり込んで。今日という日が心地よく幕をとじ、よい眠りにつけますように……
ヒツジ雲
目を覚ました瞬間に、「今日は、靴みがきにもってこいの日だわ」と、スミレさんは思いました。
カーテンの隙間から、青々とした空がのぞいています。
「日向ぼっこしながら靴をきれいにしたら、どんなにか、すっきりするでしょうよ」
スミレさんは縁側に新聞紙を広げると、靴箱からとりだした靴を並べていきました。
ひものついた革靴。夏に重宝するサンダル。
よくなじんだスリッポン。
おでかけ用のローヒール。
スミレさんはそれらを並べると、一番座りやすい椅子を出してきて、腰をかけました。
「さあ、はじめますよ」
スミレさんがブラシでほこりを払うと、くすんでいたひも靴が「さあ、おめかしの時間だ」とばかりにシャキッとして見えました。
靴裏についた汚れをブラシで丹念にこすっていると、サンダルがくすぐったそうにしている気がします。
ローヒールを手にしたスミレさんは、「最近はなかなかおでかけできなくて、ごめんなさいね」と言いながら、つまさきにクリームを塗りました。
かたくなっていた革がやわらかくなります。
「湯上がりの人が並んでいるみたいだわ」
と、スミレさんは、「そうだ!」と声をあげました。
「せっかくだから、あれもみがきましょう」
奥から出してきたのは、子どもの頃に履いていた赤い革靴です。
ずいぶん古いものでしたが、なかなか洒落ていて、甲には蝶々結びの飾りまでついています。
「父が、買ってくれたのよね。週末になると、父が、自分の革靴と一緒にみがいてくれて。一人前のあつかいをされた気がして、うれしかったな」
スミレさんは、もう履けなくなった小さな靴を、手のひらにそっと乗せました。
汚れを落とし、クリームを薄く塗っていると、ささやかな思い出がいくつもよみがえってきます。
忘れていた時間が静かに光り始めるようでした。
「靴みがきは、父のやりかたを見て、おぼえたのよね。汚れた靴を履いていると、おばあちゃんに『汚れた靴を履いて外に出るのは、顔を洗わないで人に会うのと同じですよ』って、しかられたっけ」
最後にフランネルの布で拭き上げると、赤い靴は、あの頃と同じようなやわらかい輝きをとりもどしました。
「なんだか不思議ね。わたしまで、ふかふかしたなにかでみがいてもらったような心持ちだわ」
そう思って、スミレさんは口元をほころばせました。
文/ヒツジ雲
おやすみ前の皆さまに、いい夢をお届けできるようなショートストーリーをつくっているユニット
イラスト/杉本さなえ
鳥取出身。2018年から福岡を拠点に活動。少女や花、動物などをモチーフにした物語性のあるイラストレーションを制作。近年は墨汁の黒と朱の2色のみで描く作品に力を入れている。イラストレーターとしても活動中。2018年に作品集「Close Your Ears」2022年に作品集「AGEHA」発行。
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