【眠るまえのショートストーリー 】vol.10_木漏れ日のクレープ
あわただしい一週間をかけ抜けている皆さまへ。眠るまえの、ちょっとした時間でも読める、童話のようなショートストーリーをお届けします。本を手にとる元気がない日、心に余裕がない日でも、ひととき現実を忘れて、物語の世界へもぐり込んで。今日という日が心地よく幕をとじ、よい眠りにつけますように……
ヒツジ雲
4月もおわりにさしかかると、最良の朝がやってきます。
たとえるならばそれは、季節がくれる贈り物です。
空はどこまでも透き通り、風は軽やか。
日差しはキラキラとあたりを照らし、汗もかかないし、くしゃみもでない。
「完璧な朝だわ!」
カノさんは満足げにつぶやきました。
カーテンの隙間からこぼれてくる光と、空高くから聞こえてくる鳥たちのさえずり。
朝は一年で365回もやってくるけれど、なにもかもが心地よい朝というのは、そうそうないものです。そのとびっきりの朝が今なのだと、カノさんにはわかりました。
この日をたっぷり味わおうと、カノさんは思いました。
窓をあけはなつと、朝の光がサーっと入ってきました。
空をわたる風は、新芽をくすぐりながら木々を抜けて、カノさんの部屋に走り込んできました。
ベランダに布団を出すと、太陽のあたたかさがそれを包み込みます。風はさっそく布団にもぐりこんで、ワタをふかふかに打ち直しはじめました。
小窓にレースのハンカチをかけると、朝の光が差し込んで、木漏れ日のような模様となって散らばります。
その光がテーブルの上でゆっくりと踊るのを見て、カノさんは満足そうな笑みを浮かべました。
「さて、準備はできたわね」
カノさんは、食器棚からありったけのお皿を出してきて、テーブルに隙間なくならべました。
冷蔵庫から卵をひとつ取り出し、ボウルの縁でコンと割り入れると、シャカシャカとかき混ぜはじめました。
今朝飲むつもりだったミルクをあけたら、カップ一杯の粉と、砂糖と塩もその中に。やがて、ボウルのなかにはとろりとしたクレープ生地ができあがりました。
鉄のフライパンをゆっくりと温めると、バターを溶かし、良い匂いがしてきたところで、生地を流します。
しゅうっ、と静かな音をたてて、ミルク色の生地がフライパンいっぱいに広がりました。
カノさんが小さかった頃、クレープを焼くのは子どもたちの役目でした。
「クレープは、大人よりも子どものほうが上手だから」というのが、カノさんのおばあさんの考えでした。
クレープはあっという間に焼き上がります。
子どもは注意深くそして楽しみながらその様子を見守るから、一番良い焼き加減を見逃さない、というのです。
「たしかに、おばあさんの言うのは正しかったわ。でも、いまのわたしだって、なかなかのものよ」
カノさんはそうつぶやくや、クレープをくるっと裏返しました。
淡いきつね色の焼き目が、レースのように広がっています。それでいて、中はしっとり。
「上出来!」
カノさんは喜んで、次々とクレープを焼きました。
それをお皿に一枚ずつのせると、ざらめをたっぷりとふりました。レモンをぎゅっとしぼると、爽やかな香りがテーブルから立ちのぼりました。
「そう、そう、この景色を見たかったのよ」
カノさんは嬉しそうにテーブルを見渡しました。
お日様の形をしたクレープが、水玉模様のように並んでいます。その上を、木漏れ日の形をした朝の光と、レモンの香りの風が踊っています。
「やっぱり、今日が最良の朝なんだわ。ここから1日を始めるのよ」
カノさんはそう言って、満足そうに笑いました。
文/ヒツジ雲
おやすみ前の皆さまに、いい夢をお届けできるようなショートストーリーをつくっているユニット
イラスト/杉本さなえ
鳥取出身。2018年から福岡を拠点に活動。少女や花、動物などをモチーフにした物語性のあるイラストレーションを制作。近年は墨汁の黒と朱の2色のみで描く作品に力を入れている。イラストレーターとしても活動中。2018年に作品集「Close Your Ears」2022年に作品集「AGEHA」発行。
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