【84歳の庭じかん】前編:「好きなこと」が、いつか自分を助けてくれる
この間、素敵な庭を訪れました。ガーデナーの長塚のり子さんの、ご自宅の庭です。
よく晴れた、気持ちのよい一日でした。私たちは草花の名前を教えていただいたり、甲斐犬のもみじさんと遊んだり、コーヒーをいただいたりして、ゆっくりとその庭で過ごしました。
そこで交わした言葉や、庭の情景がとても印象に残ったので、ここでご紹介したくなりました。
のり子さんの庭で考えたこと、教わったことを、2回に分けてお伝えしたいと思います。
庭仕事は忙しくて、お楽しみがたくさん
長塚のり子さん、誠志さん夫妻は、富士山麓の朝霧高原で暮らしています。
のり子さん:
「これはエキナセア、その隣はサルビアの仲間で、ブルーの花が咲くんです。この黒いタチアオイも好きなんです。シックな色合いが好きなんですね。
モナルダは、ブーケのなかにあった1枝を挿しておいたら、ここまで大きく育ったんですよ」
▲アナベルの小道。25年前に求めた たった1鉢が、ここまで広がったそう
のり子さんはまるで歌うように、花の名前を教えてくれました。その間も手は休むことなく、花がらを取り、草を抜きと、常によく働いています。
屋根の上に伸び上がる草のツルをハサミで切り、くるくると手で丸めると、手のひらサイズのリースになりました。
「荷物にちょっと添えたりして贈ると、相手の方が喜んでくださるの」と、のり子さん。
庭仕事の合間、「おやつにどうぞ」と手のひらにのせてくれたのは、赤く熟れたグミの実です。口に含むと、野性的で甘酸っぱい果汁が広がります。
太陽を浴びて育った力強い甘み。おいしい!と顔を見合わせる私たちを見て、のり子さんがにっこりしました。
枯葉も星空も、思い出につながっていく
この広大な庭が、9年前まで雑木林だったと知ってびっくりしました。
のり子さん:
「宿根草を中心に好きな草花をぽんぽんぽんと植えていくと、花同士が仲良くしてくれるんです。無理に育てようとするのは難しいわね。いまここにいるのは、ここが好きというものだけがいるのかな」
庭の草花は、思い出も連れてきてくれます。
のり子さん:
「母がこの家に来たとき、枯葉を拾って帰って、素敵な額に納めて飾っていました。それが、洒落ていて……。庭に咲いたユキヤナギをしみじみと眺めていた姿も、忘れられません。そういう思い出が、私にとっては宝物ですね」
▲庭の草花を集めたリース。
のり子さん:
「父が早くに亡くなったので、母は一人で働きながら、四人の子どもを育ててくれました。母は忙しかったから、私を抱きしめてくれることはなかったけれど、とても大事にしてくれました。小さい家に移り住んでからも、子どもたちに『お茶会をしましょう』と声をかけて、よもぎを摘んできてお餅を作ったり、お点前を教えてくれたり。春の恒例行事は、山菜摘みハイキング。花の話をしたり、星座を見たり、楽しい思い出がいくつもあります」
空を見上げるたび、ユキヤナギが咲くたび、思い出すことがあるなんて。一人で黙々と庭仕事に勤しみながらも、心のなかにはたくさんの情景が広がっているのです。なんて豊かな日々なのだろうと思いました。
中途半端だと思っていたことが、ひとつにまとまって
のり子さんは、草花が好き。けれどそれは、「振り返ってみたら花が好きだった」とわかったのであって、最初から自覚があったわけではありません。
若い頃は、「私はなにをするにも中途半端」と思っていたそうです。誠志さんは写真の仕事ひとすじに打ち込んできた人。その姿を傍らで見ていたからこそ、自分に厳しい目を向けていたのかもしれません。
のり子さん:
「東京で暮らしていた頃は、子育てをしながら、さまざまな仕事に就きました。酒蔵メーカーの社員、アパレルのアンテナショップの立ち上げ、彫刻家のギャラリーのプレスと運営、骨董店のスタッフ、最後は夫の写真業務……。
誘われるままに転職を続けていたのは、どれも全力投球できていないという思いがあったからです。それでも彼(誠志さん)はいつも『のり子のやってきたことは、いつかきっとひとつにまとまるから』と励ましてくれました。それが、彼の口癖なのよね。
あの頃は『そんな時がくるのかしら』って思っていたけれど、でも今の暮らしが、そうなんじゃないかしら」
50代半ばから始まった、ここでの暮らし。都会とちがってお店も少ないし、不便なことだってあります。けれど、夫妻にとっては無限の楽しみに満ちた土地でした。
やりたいことが、一本道とはかぎらない
なかでも大きな喜びは、大好きな世界に気づくことができたこと。
のり子さんは、子どもの頃から植物が好きでした。生まれ育った鎌倉で、幼稚園へ向かう道すがら、オオイヌノフグリの群生を見つめていたらあっという間に3時間ちかくたっていたこともあったそう。
28歳で都内に越してからも、やっぱり草花に囲まれていました。マンションのベランダには大小合わせて100鉢ほどの観葉植物。新聞屋さんが集金のたび、これを見るのを楽しみにしていたほど。
「娘が『私が小さい頃、お母さんはハンギングで部屋中に緑をたらして、ジャングルみたいだったよね』って言っていました」と笑います。
たしかに、何が好きなのか、何を得意としているのか、自分では案外わからないものかもしれません。それがあまりにも身近にあるから。周囲に言われて気がつくことだってありそうです。
30年ほど前、54歳のときに、夫妻は富士山麓へ移住。このとき、部屋にあった観葉植物も一緒にお引越ししました。その数、全部で100鉢ほど。「でも、ここの気候が合わなくて、ほとんどが消えてしまいました。それで『宿根草を育てよう』と思ったんです」と、のり子さんが教えてくれます。
9年前に朝霧高原の今の場所へ。
のり子さん:
「富士山麓の家で育んできた花々を、球根に至るまですべて、この森の家に連れてきました。花たちは、この地がよほど居心地が良いのでしょう。さらに増え続けています」
私は最初、「これまでやってきたことがひとつにまとまる」というのは「やってきたことが一本の道につながる」ということかな、と思っていました。
けれども、のり子さんのお話に耳を傾けているうち、「まとまるというのは、一本道を作ることではない。この庭のように、いろいろなことが調和して、境界線のないひとつの広場が生まれる、ということなのかもしれない」と思い直しました。
このほうが、一本道より自由で、どちらの方向にも伸び広がっていかれます。なんといっても、楽しそうです。これまで経験したことが、思い思いに根を下ろし、こぼれ種になって広がっていく。自分の庭が生まれる……。
歳を重ねることは、未知の自分に出逢うこと
「おーい、家の中に入ってコーヒーでも飲んだら?」と、誠志さんが声をかけてくれました。「のり子は朝から晩まで、ずっと庭にいるんだよ」と笑っています。「だって、庭にいると毎日することがあるんだもの」と、のり子さんも笑います。
こんな毎日を、84歳になったのり子さんは「今がいちばん」と言います。
「今がいちばんですよ。だって、自分の好きなことに時間を使えるのですから」
この言葉に、ハッとしました。
歳を重ねるということは、未知の自分に出逢うということです。誰だって、歳をとるのは初めてのこと。幼い頃はそれが楽しみでもありましたが、大人になってからは、だんだんと心配も増えてきました。
体力や収入、社会とのつながりなど、多かれ少なかれ変わっていくことがあるでしょう。私、やっていけるかな。
けれど、のり子さんを見ているとだんだんと、「そんなに心配しなくても大丈夫かも」と思えてきます。変わっていくなかにも、きっと、喜びはある。
私のとりとめもない毎日も、いつかひとつにまとまるのかもしれません。寄り道したり、迷ったりするその先で、庭のように広がっていく世界が待っているのだとしたら。
顔を上げたらちょうど、花粉をたっぷりつけた蜜蜂が、空に向かってふわっと飛んでいくのが見えました。
photo:長田朋子
もくじ

長塚のり子
1941年生まれ。神奈川県出身。アートや食、アパレルにプレスなどさまざまな仕事を経て、30年前に青山から静岡県へ移住。いまは庭の草花をいかしたリース作りのワークショップを開催するほか、自宅を開放した音楽会やイベントも主催している
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