【40歳の、前とあと】桑原紀佐子さん 第3話:「不安がる」ことをやめた。そうしたら、すべての経験が力になった。
ライター 一田憲子
東京渋谷区にある親子支援センター「かぞくのアトリエ」を運営する桑原紀佐子さんにお話を伺っています。
第2話は、3人の子供を抱えて別居。40歳を過ぎて、すべてをゼロに戻す覚悟をしたお話を伺いました。
今、桑原さんが運営している「かぞくのアトリエ」は、渋谷区の施設です。
子育てをしている頃、誰かと話がしたかった。集まれる居場所が欲しかった。
桑原さん:
「前の渋谷区長が、『mother dictionary』の取り組みを知ってくださったんです。その上で、『みなさんが集まって交流できる場があるといいね』とおっしゃって」
そこで、かつて地域の子供達が放課後の時間を過ごした旧代々木学童館を使って、お母さんと子供の「場」を作ってくれないかという相談を受けたというわけです。
桑原さんは、1年間をかけて準備を進めました。どういう場所にするのかプログラムを練り、予算をたて、備品を準備し、ウェブサイトを作り……。立ち上げのための一連の準備に取り掛かったのです。
ところが……。区の施設なので運営は入札方式。準備したからといって、契約が成立するという保証はありません。しかも準備期間は全くの無償。もしかしたら、全てが水の泡と消えてしまうかもしれないのです。
桑原さん:
「私には、これが何よりの希望だったんです。今まで自分がやってきたことや、”mother dictionary”としてお母さんたちに伝えたいことが、ここだったらかたちにできると思って。
母親になって、右も左もわからなかった時に、いろんなことを共有できる仲間が欲しかった。子育てのヒントが欲しかった。何より、集まってこれる『居場所』が欲しかった。それがここではできると思いました」
どんなに不安でも、全てをゼロからやればいい。
▲おもちゃは、なるべく木のものを揃えている。桑原さんの子供たちが使っていたものも。
一人で、区の職員の男性ばかりの中でプレゼンテーションをしたり、最初はやりたいことを説明しても、全くわかってもらえなかったことも。でも、桑原さんの強い思いは揺らぎませんでした。
桑原さん:
「この施設を初めてみた時に、1階はみなさんに集まってもらう場所にしよう。2階は教室に、こっちではワークショップを開こう、といろいろな風景が目に浮かんできたんです。きっと喜んでもらえる場所になるな〜ってドキドキしながら……。
もちろん、うまくいくかどうか不安でした。でも、全てをゼロから始めればいい。せっかく与えられた機会だから、やれるだけやってみようと。そんな思いは私を強くしてくれましたね。
何より、3人の子供を養わなければいけない。もし、私1人だったら、そこまで頑張れなかったと思います。すぐに実家に帰っちゃっていたかも(笑)」
こうして、「かぞくのアトリエ」は、オープン以来、渋谷区民だけではなく、色々な場所からお母さんと子供達が集まるようになりました。
10代の子供にしてあげたいのは、魅力的な大人に出会える場を作ること。
「かぞくのアトリエ」がオープンして1年半が経ったころ、今度は代官山ティーンズクリエイティブ(代官山TC)リニューアルの依頼がきたのだと言います。
こちらの施設は小中高校生から大学生までが、「可能性を生み出し、夢を描く」場所。各分野で活躍するクリエイターと子供たちがふれあい自分の可能性の扉を開く場所です。
桑原さん:
「中高生の頃って、とても多感な時期で、自分の生き方や考え方などの価値観を築く時です。なのに、家と学校と部活と塾と、とても狭い世界で生きているんですよね。
私が10代の子供たちに一番してあげたいのは、たくさんの魅力的な大人に出会える場を作るってこと。
ミュージシャンからギターを教えてもらったり、フォトグラファーと一緒に写真を撮ったり、アーティストと絵を描いたり。ただその人と会話をするだけでもいい。いろいろな生き方や、仕事の在り方など、多様な価値観に触れることで、大人になることに夢を持ってもらえたら。そんな『種まき』と思って、私たち自身も楽しみながら、子供達と過ごしています」
今まで過ごしてきた中で、様々なジャンルの人と出会ってきた桑原さん。ダンサーからお菓子作りのプロ、ラッパーやキャンドル作家まで、その人脈を駆使して集めた講師陣の多彩なこと!
アートスクールの内容を見ていると、私自身も参加してみたくなります。そして、子供の頃にこんな素敵な大人に出会っていたら、既成の概念にとらわれず、世の中には色々な生き方がある、職業があるということを「人」を通して学び、自分の夢を大きく広げられるのだろうなあと、今の子供たちが羨ましくてたまらなくなります。
反抗期でも、ご飯を作って待っていれば、ちゃんと帰ってくるから。
施設内には広々としたキッチンがあり、ここでご飯を作って子供たちと一緒に食べることも。
桑原さん:
「通ってくる子たちは、個性豊かでかわいい! みんな一見生意気で、いっちょまえに見えるけれど(笑)。でも、すごくピュアな部分があるんです。
『うるせ〜!』なんて言いながら、顔を見たら『ね〜、お腹すいた〜、なんか作って〜』って甘えてくる中学生男子。だから、ご飯を炊いておにぎりを作ったり……。一緒に作ったり、食べたりという作業は、人と人との距離をとっても縮めるものですね。ここ最近、ご近所の町内会の皆さんが、海苔だったり、缶詰だったり、それぞれのご家庭で余っている食材を持ってきてくださるようになったんです。
そんな風に地域との交流も広がればいいなあと思って」
実は、桑原さん、今「かぞくのアトリエ」「代官山ティーンズクリエイティブ」に続き、3番目の施設を計画中です。今度は、「子供と食」がテーマ。
桑原さん:
「食は人間の心と体を作ります。食の記憶って一生残るんですよね。だから、どんなに忙しくても、たとえ豪華でなくても、手作りのご飯をみんなで食べるってとっても大事。我が家でも反抗期には、あれこれ悩まされましたけれど、家で温かいご飯を作って待っていれば、ちゃんと帰ってくるんですよね。会話が少なくなっても、家族がご飯で繋がるんです。そんな機会を少しでも作れればいいなと思って」
▲こちらは、桑原さんがご自宅で最近使い始めたというご飯炊き用の土鍋「かまどさん」。子供達が成長し、やっと自分の暮らしに手をかけられるようになった。
▲スリップウェアは、十場天伸さんの作品。これも桑原さんがご自宅で鍋料理などに使っているもの。
新たな道を歩き始めて、まだたった4年だというのに、桑原さんの仕事の幅はぐんと広がり、その実績の素晴らしいこと!
子育てもひと段落し、今は自分が興味のある作家さんの元を訪ねたり、ものづくりの背景を知ることが楽しいのだとか。
そんなご縁が繋がって、「TRACING THE ROOTS 旅と手仕事」というイベントも主催。日本各地からものづくりをする表現者が集まり、合同展示会とマーケットを開いています。
不安がることをやめれば、自分の経験はすべて力に変わる。
▲昨年の「TRACING THE ROOTS」のカタログ。泥染のワークショップや、トークショーなども開催。多くの人が集まった。
そんな桑原さんに、子育てに追われながらも、母でなく妻でもない「自分」を探している人へ、何か言ってあげられることはありますか?と聞いてみました。
桑原さん:
「一歩を踏み出そうとする時って、みんな不安です。でも、そこにとらわれていても仕方がない。不安に思ったらいくらでも不安が湧いてきます。私はそれをやめたんですよね。不安に左右されるぐらいなら、今できることを頑張ろう。そうしたらとてもラクになりました。ポジティブな循環が生まれ、自分らしくいられるようになった。それでいいんだと思います。
そして、子育てと家事のやりくりに、苦しんでいる人がいるなら、『大丈夫よ』って言ってあげたい。
あのね、細かいことはいいんです。お母さんはご飯だけ作って、笑っていればいいんだと思います。自分が頑張ってきたことは、いつか必ず誰かの役に立ちます。だから、全てのお母さんたちに、今を楽しんで、希望を持って欲しいなあと思います」
桑原さんは、40歳を過ぎて新たな人生の扉を開けました。
あんなに辛いことがあって、それでもと立ち上がり、新たな一歩を踏み出せたのは、子供達の存在があったから。そして、40歳で一旦ゼロになったから。それは、こだわりや不安を手放すということ。自分の感覚を信じ、日々に感謝し、今を楽しむということ。
何かを手放すには大きな勇気が必要です。でも、桑原さんの姿を見ていると、ひとつの確信が生まれました。それは、キャリアや、家庭や、今まで積み上げてきたものを、たとえ手放したとしても、今まで見て、聞いて、触れて、心と体に蓄積してきたものは、確実にその人の見えない力となって残るということ。
一生懸命子供を育てた時間も、夕方あたふたと時計とにらめっこしながら作った料理も、子供が寝てから書類を広げた夜中のひと時も、きっと、人生の後半を耕す栄養となる……。そう信じてさえいれば、どんな「今」でも大切にできる気がします。
(おわり)
【写真】有賀傑
もくじ
桑原 紀佐子
株式会社マザーディクショナリー代表。お母さん・お父さんたちが、子育ての楽しみや喜び、時には悩みを共有できるコミュニティサロン「かぞくのアトリエ」をはじめ、各分野で活躍するクリエイターが講師を務めるアートスクールなど、世代を超えた交流の場をつくる「代官山ティーンズクリエイティブ」を運営。女性の子育てや、子どもの暮らしについて、企画、イベント、ワークショップ、編集など様々な分野を通じて新しい視点を提案している。http://www.motherdictionary.com/
ライター 一田憲子
編集者、ライター フリーライターとして女性誌や単行本の執筆などで活躍。「暮らしのおへそ」「大人になったら着たい服」(共に主婦と生活社)では企画から編集、執筆までを手がける。全国を飛び回り、著名人から一般人まで、多くの取材を行っている。ウェブサイト「外の音、内の香」http://ichidanoriko.com/
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