【あのひとの子育て】イラストレーター 山本祐布子さん〈前編〉正解ではなくても、私は私の判断を信じよう
ライター 片田理恵
子育てに正解はないといいます。でも新米のお父さんお母さんにとって、不安はまさにそこ。自分を形作ってきたものを子どもにどう伝えるのか。「好き」や「得意」をどうやって日々に生かせばいいのか。正直、わかりませんよね。だって正解がないんですから。
だから私たちはさまざまなお仕事をされているお父さんお母さんに聞いてみることにしました。誰かのようにではなく、自分らしい子育てを楽しんでいる“あのひと”に。
連載第8回は、イラストレーターの山本祐布子(やまもと・ゆうこ)さんをお迎えして前後編でお届けします。
「わたしの子育ての模索と葛藤は、いつだって次へのステップと自分を信じることにつながっている」。そんなふうに感じていただけたらうれしいです。
東京からドイツ、そして大多喜へ。「私が一番いっぱいいっぱいです」
長女・美糸(みと)ちゃんの小学校入学と、次女・紗也(さや)ちゃんの保育園入園。娘たちの新しい門出を、山本祐布子さんは家族にとっての新天地、千葉県夷隅郡大多喜町(いすみぐんおおたきまち)で迎えました。
夫・江口宏志さんとともに新たに始めたプロジェクト「mitosaya薬草園蒸留所」(以下mitosaya)の設立のため、東京から移り住んで間もなく1年。暮らしの変化は、家族にも変化をもたらしたのでしょうか。
山本さん:
「私が一番いっぱいいっぱい(笑)。めまぐるしい変化についていくこと、暮らしを整えることに必死でした。住宅として作られたのではない建物に住んでいるので、最初は『どこに寝ればいいの?』という感じだったし、お風呂はなくてシャワーだけだし」
「mitosaya」の活動は、植物やハーブを原料にした蒸留酒「ボタニカルブランデー」を作るという日本初の試み。一家はボタニカルブランデー作りを学ぶため、転居前の1年ほどをドイツで過ごしています。
▲リビングに並ぶ、修業先のドイツから持ち帰ったボタニカルブランデー。今春には蒸留所の工事が終わり、いよいよ「mitosaya」でもプロダクトの製造が始まります。
山本さん:
「日本でも、ドイツでも、娘たちは全く変わらないです。よく食べてよく遊んで、小学校にも保育園にも休まず元気に通って、頼もしい限り。
世田谷区→ドイツ→大多喜町という変化の渦中にずっといたし、今もその続きという感覚があるんですよね。だから東京と千葉の暮らしにコントラストはそんなに感じないのかも。東京の家にも庭があったから、土いじりが身近だという環境は今と同じだし。
子どもたちの姿を見ている私の方が『どこにいても変わらない家族4人』の関係に元気をもらっています」
心配がないわけじゃない。でも、心配しすぎない
▲山本さんが描いた子どもたちのイラスト。今よりも少し幼いふたりが、家族の日々に寄り添うように飾られていました。
江口家の姉妹は大の仲良し。いつも一緒に過ごしています。車の中でそろって「ドラえもん」の歌を熱唱したり、日だまりに並んで腰かけておしゃべりをしたり。さらにお母さんの影響もあってか、ふたりともお絵描きが大・大・大好きだそう。
山本さん:
「長女は、学校ではひと言も話さないんです。でも、家ではいろんなことをたくさん話してくれるんですよ。幼稚園の時もそうで、年長さんになって突然しゃべりだしたから、お友達はみんなびっくりしたみたい。
きちんと待ってくださる先生だったから、まわりの方にも恵まれました。それは今もそう。同じ学校の子どもたちは自然に受け入れてくれています。
声を発しないのは、彼女なりの処世術なんですよね。それまではじーっと様子を見てる。で、『もういいかな』というところで次のステップに行くんです。暗い顔をしてどこかに閉じこもっているなら心配ですけど、そうじゃないし。だから今もきっと、準備期間なんだなと。
急かさなくても、焦らなくても、待っていれば大丈夫。実家の母や夫は『困りごと』として心配している部分もあるみたいだけど、私はそう思っています」
静かに、ごく自然に、さらりとそんなふうに話してくれる山本さん。その姿と心がとても素敵で、私は同じ母親として背中を押された気持ちがしました。
お母さんの心の動きを、子どもはよくわかっています。「大丈夫」という安心した気持ちで、次のタイミングが訪れるまでの時をじっくりと過ごせる。それはその子にとって、きっととても幸せなこと。
前はできなかったことも、今だからわかる
▲4歳の次女・紗也ちゃんが作った「おひめさまずかん」。きちんと揃えて綴じられ、裏表紙もついています。中にはおなじみのシンデレラや白雪姫のほか、オリジナルのおひめさまも。
山本さん:
「先日、次女が高熱を出しました。大多喜に来てから初めてのことで、病院もわからないし、どうしようかと焦ってしまって。
でも落ち着いてよく考えたんです。病院で対処してくれるのは、解熱剤で熱を下げること。だったら急いで薬を使わなくても、水分をたっぷりとってよく寝ればいずれ収まるだろうって。二、三日熱が続きましたけど、結局、薬は使わず治しました。
長女が小さい頃は、病気のたびにうろたえていろんな病院を回ってましたね。母や友達にも意見を聞いたりして、結局どうすればいいのって困ってしまったり。
でも今は、私は普段の子どもの様子を誰よりも知っている母親なんだからって気持ちがある。いろんな意見があるだろうし、正解ではないかもしれないけれど、私は私の判断を信じようと思ったんです」
進学、就職、その先へ。子どもたちの未来のこと
山本さんが暮らす大多喜町は、人口9000人余り。中学と高校が町内にひとつずつありますが、多くの子どもたちが進学・就職のために町を離れていくというのが現状です。教育の選択肢がせばまってしまうかもしれないことへの危惧はなかったのでしょうか。
山本さん:
「うーん、考えたことがなかった。
でも心配はしていません。だって、ここ(mitosaya)が私たち夫婦の最大のプレゼンテーションの場所だから。娘たちも『mitosaya』の一員だし、ここが常に変化し続ける場所、発信する場所であればそれでいいんだと思うんです。
親が本気でやっていることが、子どもにとっても本当におもしろいものであれば、一緒に表現していけるはず。だから教育の選択肢についてはあまり気にしていません。
外国に行く経験をしてくれたらいいなっていう思いも多少はあるけど、学校も含めて、それは環境ではなく彼女たち自身が決めることだと思っています」
未来は環境が決めるのではない。ハッとしました。それはつまり、環境のせいにしないということ。
そしてもうひとつ。親は子どもに対して、人生を肯定するプレゼンテーションを、自分の生き方を通じて見せてやれるのだということ。
誰しもその人だけが持つ考え方、感じ方のものさしがあります。山本さんのそれは、山本さんのこれまでの歩みが作り出したもの。何が「ある」から、「ない」からという理由でその尺度が変わることはないのだと改めて感じました。
次回後編では、山本さんが考える「家族の日常の作り方」「お母さんという存在」についての思いを伺います。
(つづく)
【写真】神ノ川智早
山本祐布子さん
イラストレーター。2017年に千葉県夷隅郡大多喜町に家族で移住。現在は夫であり、ブックショップ「ユトレヒト」の前オーナー・江口宏志さんとともに、「mitosaya薬草蒸留所」の運営に携わる。7歳と4歳、ふたりの娘を持つ母。近著に『ママのて』(こぐま社)がある。
ライター 片田理恵
編集者、ライター。大学卒業後、出版社勤務と出産と移住を経てフリー。執筆媒体は「nice things」「ナチュママ」「リンネル」「はるまち」「DOTPLACE」「あてら」など。クラシコムではリトルプレス「オトナのおしゃべりノオト」も担当。
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