【小さな一歩の重ねかた】後編:高校教師からアロマテラピストへ転身。その道程で観た景色
ライター 川内イオ
疲弊しながら通ったアロマスクール
アロマに出会ったことで大学院進学を取りやめ、「とにかく就職しよう」と私立高校で理科の教員になった和田さん。もともと教師としてのモチベーションが高かったわけではないから、授業が始まってすぐに「私は向いてない」と感じるようになった。
「本当に授業が大変でした。夜中の2時くらいまで予習しないと不安でしょうがなくて、いっぱい予習していくんだけど、思ったようにできないから毎日ヘトヘトでしたね」
1学期が終わる頃には、毎日が後悔とため息と弱音で満たされた。「やっぱり大学院に行けばよかった……学校辞めた方がいいかも」。
それでも辞めなかったのは根性があったからではなく、夏休みに入ったから。休みの間に、自分が何をやりたいのかを書きだすと、無意識のうちに「授業がうまくなりたい」と書いていた。それを見て「口では辞めたいと言ってたけど、案外辞めたくないんじゃないか」と気づき、もう少し頑張ってみようと気持ちを切る変えることができた。
毎日学校に通いながら、アロマの勉強も始めていた。当時、九段下に「ハーバートハウス」というハーブのお店があり、そこでアロマテラピーの勉強会が開催されていた。店主は栗崎小太郎さん。日本人として初めてイギリスのアロマテラピー界の大御所、ロバート・ティスランド氏から学んだ方で、日本のアロマ界の父ともいわれる存在だ。
そこでは月に一度、全24回の勉強会が開かれていて、和田さんも通っていた。教員生活で疲弊してはいたが、だからこそ、毎回足を運んだという。
「学校の仕事が忙しくなればなるほど、スクールに行って香りをかいだり、アロマのクリームをつくると気分転換できたんです。頑張ってよかったなっていう気持ちになって元気になれたから」
上司の苦言がきっかけで踏み出した新たな一歩
勉強会に行くと、もっとアロマのことが知りたいと思った。だから、恵比寿にあった洋書屋でイギリスの文献を購入して辞書を片手に読み込んだ。イギリスのアロマテラピストが来日して勉強会を開くと聞けば、都合のつく限り参加した。丸2年かけてアロマの勉強会を終えた和田さんは、学校の授業でもアロマについて触れるようになった。
「その頃、不登校の子が増え始めた時期だったんですよ。だから、なにかできないかなと思って。でも、アロマを教えちゃいけないので、既存のテーマのなかにうまく盛り込みながら香りについて触れました。例えば、光合成をしている途中で植物は香り成分をつくるので、そのあたりを絡めてみんなで石鹸をつくったりしましたね。あと、ローズマリーを嗅ぐと記憶力が増してタイプミスが減るというデータがあったから、テスト前にローズマリーを嗅いでみようって話したり」
和田さんは生徒と年齢が近いうえに、厳格なタイプではなかったから、生徒とは打ち解けた関係を築いていた。教員の人気投票で1位に選ばれたこともあるそうだ。それもあってアロマの話も生徒からの反応は良く、なかには石鹸をつくって文化祭で並べてくれた子どもたちもいた。
しかし、世の中的にはまだアロマは市民権を得ておらず、上司からは「変わったことするな」と注意を受けた。この時に悔しさともどかしさを感じた和田さんは、思い切った行動に出る。恵比寿の洋書屋の上にできたばかりのアロマスクールで、アルバイトを始めたのだ。もちろん、学校には秘密で。
「上司に注意された時に、もっと世の中にアロマを普及しないと必要な人には届かないと思ったんです。それなら、自分で普及をしたらいいんじゃないかって思ったんですよ。その一歩として外で働き始めました」
秘密のアルバイトで得た貴重な経験
最初の頃は時給900円をもらって雑用をしていたのだが、和田さんは自分が「なにもできない」ことに驚いていた。和田さんの学校では事務職員が電話応対をしてくれるし、お茶を飲めば茶碗を洗ってくれた。授業で行う実験などの準備は理科助手がしてくれた。社会人になってそれが当たり前の環境だったから、いざアルバイトを始めたら、まともな電話対応もできないし、納品書など商売で使う言葉もわからず、おたおたするばかり。
「学校の教師と言えば聞こえはいいけど、私って社会に出たらほんとに使えないんだ」と日々反省しながらアルバイトを続けていると、ある日、お店の人に「和田さんって理科の先生だからアロマ教えられるんじゃない?」と言われた。
驚いた和田さんは「自分は勉強中だからまだ無理です。できないと思います」と断ったのだが、お店の人はこう続けた。「2年も勉強してるんだから、本当の初心者の人にどうやって精油を垂らすかとかは教えられるんじゃない?」
和田さんは瞬間的に考えた。確かにそれぐらいならできそうだ。それに、私はアロマを普及するために働き始めたんだ。
「それなら、やれます」。
その数日後、和田さんは初めて講師を務めた。講師料は2時間で1500円。アルバイトの時給よりも安かったが、そんなことはまったく気にならなかった。むしろ、教師として培った授業のノウハウが活かせることがわかって、予想以上の手ごたえを得た。
それからは、教師をしながらアロマスクールでも講師をするようになった。教師と講師という二足の草鞋をはいた生活が1年、2年と続くうちに、「もっとアロマを広めたい」という思いが強くなっていった。
生徒に背中を押されて
和田さんには忘れられない光景がある。
「私がいた学校の場合ですが、仕事がありすぎて疲労困憊の人もいれば、16時半の終業時間を待っているような人もいました。ある日、廊下を歩いていたら、すごく親しかった社会の先生が16時半前に、スポーツ新聞を読みながら駐車場にいたんです。熱意がすごくあった人だったんだけど、どこかで変わってしまった。そんな大人にはなりたくないって思ったんですよね。
それにアルバイトをして、私自身が社会人としてまだまだ半人前だと感じたから、ここに居続けたらだめになるという危機感もありました」
アロマの道にすすみたいという気持ちは日増しに強くなっていった。しかし、教師を辞めてもアロマの講師だけでは食べていけない。どうしたものかというモヤモヤが募った和田さんは、なんと学校の生徒に悩みを打ち明けた。
ある日の授業中。
「先生さ、悩みがあるんだけど聞いてくれる? 学校も好きだけど、アロマもすごくやりたいし、どうしたらいいかわかんないんだよね」
人気の先生からのぶっちゃけた人生相談。恐らく戸惑いもあっただろうが、和田さんがアロマを熱心に勉強していることを知っていた生徒たちは、それぞれの意見を口にした。そのなかで、ひとりの男子生徒が言った。
「俺、思いついた! 先生さ、仕事辞めた方がいいよ」
「なんで? みんな辞めるなって言ってるよ」
「だって先生、今27歳でしょ。辞めたっていいじゃん。アロマやればいいじゃん。ダメだったら戻ってくればいいじゃん。免許あるし。20代でしょ」
この言葉を聞いてフッと胸が軽くなった和田さんは、笑顔で「そっか。20代だもんね。それもいいかもしれないね」と答えていた。
ピンチヒッターの依頼が来た理由
1997年の春、和田さんは「アロマを広めたい」という思い以外、なんのあてもないまま教師を辞めた。またもや両親は怒り心頭だったが、この思い切った決断によってまた道が拓けていく。
和田さんはとりあえず働かなければと、スポーツクラブと飲食店でアルバイトを始めた。フリーターのような生活を3、4カ月続けて迎えた夏、日本アロマコーディネーター協会から電話があった。アロマ講座を開催していたのだが、メインの講師が担当できない日が1日だけあり、代役をしてくれないかという依頼だった。なぜ和田さんに連絡がきたのだろうか?
「私がまだ教員をしている時に、日本アロマコーディネーター協会が本を出すことになって、アロマテラピーを仕事に使っている人として取材を受けたことがあったんです。授業にアロマを取り入れたりしていたから。それからしばらく経っていたんだけど、たまたま講師が決まっていない講座が『女性ホルモンとアロマ』というテーマで、和田さんは理科の先生だったからできるかもっていうことで電話がかかってきたんですよ」
思い起こせば、授業でアロマについて触れて上司から叱責されたことが、教師を辞める最初のきっかけだった。それから数年後、巡り巡って新しいチャンスにつながるのだから、人生なにが起こるかわからない。
小さな一歩の積み重ね
元理科教師の和田さんにとって「女性ホルモンとアロマ」というテーマはお手の物。アルバイト先で講師もしていたから、プレッシャーもない。7月末に開催された講座は滞りなく終わり、またアルバイト生活に戻る……はずだったのだが、そうはならなかった。
もともと日本アロマコーディネーター協会は通信講座をてがけていたので、和田さんの講義をビデオに録画していた。それを見た協会の関係者が高く評価して、「9月からの通学講座を担当してもらえますか?」と新たなオファーが届いたのだ。
これでアルバイト生活から別れを告げ、ずっとやりたいと思っていた「アロマを伝える仕事」を始めることができた。ここから、アロマテラピスト、和田文緒としてのキャリアがスタートする。
もし、高校での授業にアロマを取り入れていなかったら? 取材を受けることもなかっただろう。もし、教員をしながらアロマスクールでアルバイトをしていなかったら? 自分にはまだ荷が重いとピンチヒッターの依頼を断っていたかもしれない。もし、教員を辞めていなかったら? 通学講座の講師はできないから、1日だけの代役で終わったはずだ。アロマが怪しい宗教と勘違いされていたような冬の時代、踏み出した小さな一歩がいくつも連なって、荒野に道ができた。
書籍が20万部売れ、大企業とコラボレーションをするようになった今もまだ、和田さんは歩みを止めていない。今年に入って、18年間続けてきたリラクゼーションサロン「シーズ(seed’s)」を閉じた。確かに、自分のスペースを持っている強みはある。しかし、そこに安住するのではなく、手放すことで自由になることを選んだのだ。
シーズを閉じたからこそ、できることもある。それは、これまで以上にアロマを求める人のもとへ足を向けること。風に運ばれる花の香りのように、和田さんの新しい旅が始まる。
(おわり)
【写真】鈴木静華
もくじ
和田文緒
香りと植物の研究家。シーズ代表。英国IFA認定アロマセラピスト。AEAJ認定アロマテラピーインストラクター。東京農業大学を卒業後、高校の理科教師を経てアロマセラピストに。アロマを使ったコンサルテーションや精油ブレンド、施術のほか、セミナーや「香りの手仕事」ワークショップ等を行っている。
川内イオ
1979年生まれ。大学卒業後の2002年、新卒で広告代理店に就職するも9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターとして活動開始。06年にバルセロナに移住し、主にスペインサッカーを取材。10年に帰国後、デジタルサッカー誌、ビジネス誌の編集部を経て現在フリーランスエディター&ライター&イベントコーディネーター。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンターとして活動している。稀人を取材することで仕事や生き方の多様性を世に伝えることをテーマとする。
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