【山が教えてくれた】前編:どうしたら毎日「健やかなまま」でいられるのだろう?
編集スタッフ 糸井
健やかでいるのは、大変だ。
「なんだろう今日、なんとなく、モヤモヤする。」
仕事帰りの電車に揺られながら、そんな自分を見つけることがあります。帰り道や、お風呂に浸かっているとき、ベッドに入ってもなお、「スッキリしない」自分がひっつきまわる。
いつから自分は、こんなに小難しくなってしまったんだろう? と思ってきました。
私が欲しいのは、例えばこんな自分。
朝起きて、陽の光をあびて「今日もがんばろう」と家を出る。夕方には「あー、今日もよくがんばった! 」と家路につく。こんな健やかさ。文字にすれば、まったく大それた望みじゃないのに、それを保つ難しさといったらありません。
そして思うのです、どうしたら人は、できるだけ健やかなままいられるのか? と。
そんな私に、ひとさじのヒントをくれたのが、女優・小島聖(こじま ひじり)さんのエッセイ『野生のベリージャム』(青幻舎)でした。
エッセイを見つけたのは、2ヶ月ほど前。いきつけの本屋で見かけ、装丁とタイトルに惹かれて手に取ったのがきっかけです。
パラパラとあらすじを読んでみると、どうやら「山登り」に関するエッセイのよう。難しい内容なのかと身構えるも、読み進めるとこれがスラスラ止まらなかったんです。何日もの悪天候に泣き崩れたり、ある日はモンブランのケーキをタッパに詰めて山頂を目指したり、またある日は野生のベリー畑で手を紅く染めながら夢中でほおばったり……小島さんの綴る体験談は、まるで大人版の『エルマーのぼうけん』。
それを、通勤時間の30分や寝る前のすきまに読みふけり、ページを開けば肺にフレッシュな空気が支給されるような気分になりながら、私は山登りを疑似体験させてもらっていたのでした。
読書を通じて知った山の時間には、私の思う「健やかさ」があったのです。
女優業や子育てのかたわら、プライベートで10年以上「山歩き」を続けているという小島さん。プレッシャーの多い立場にありながらも、山という存在が、彼女の屈託ない笑顔や日々の暮らしを支えているようです。
この特集では、「健やかさ」のヒントを求めて、山での時間が、彼女にどんな気づきをもたらしたのか? 毎日の暮らしにどんな影響を与えているのか? を聞いてみることにしました。
山にいると、いつもより素直になれるんです
小島さんが初めて山に登ったのは、30歳の時。旅先のネパールで体験したアクティビティのひとつにトレッキングがあり、「歩く」ことの気持ちよさを芯から感じたそう。
以後、毎年ネパールに通いつめ、トレッキングの距離や山の標高を伸ばすようになっていきます。さらには国内の山にも興味がわき、富士山や、聖さんの名前の由来である「聖岳」など、国内外問わず多くの山を訪れていきました。
小島さん:
「山に行くと、いつもより素直な自分になれるんです。日常生活よりも山にいるときの方が、楽に感じるときすらあって。
多分それは、私が言葉で人になにかを伝えるのが苦手な性格だから、なんです。
心の中に思うことはたくさんあるのに、それを人に伝えようとするとうまくできなくて、溜め込み、抱えきれなくなることがよくあるんです。『ああ、そろそろきついなあ』と。
そういう溜め込んだモノを解放してくれる場所が、私にとっては『自然のなか』だったんだ!と知ったんです。
それから山歩きは、私にとってライフワークのような存在になりました」
小島さん:
「山の開放感のおかげなのか、普段よりも喋りやすくなるから不思議です。
家族とも、家の椅子に座って喋っているよりも、山にいるときの方がお互い心がおおらかになるというか。普段言えないことを言えたりなんかして。
私にとっては、それがなによりの効能かもしれません。
ここで過ごした時間が、日常に戻ったあとの関係にも大切なものを残してくれる気がします」
まぁ、いっか。のあきらめが「今のたのしさ」につながった
山での時間が小島さんにもたらしてくれた変化は、それだけではありませんでした。
いつでも「自然が相手」の山歩き。どれほど好きな時間といえど、その毎回が、きれいごとばかりではありません。
雨が降れば、荷物も足取りも重くなる。地図を間違え、歩けど着かず、疲労で一歩を踏み出す力がなくなることも。それはまるで修行のようで、こんなはずじゃなかったと、涙が止まらなくなるアクシデントが常といいます。
小島さん:
「自然に振り回される感覚に、最初はうまく対応できませんでした。
私には私の計画がある。雨が降れば『せっかく来たんだから晴れてよ』と心が沈んでいたし、『ここまで来たんだから頂上まで行きたい』と粘っていました。なかなか思うようにはいかなくて。
それで、いつからか残念がることを辞めたんです。『雨でも、まぁ、いっか』と。
むしろ木々がしっとりして、緑の匂いが気持ちいいなと楽しめるくらいの余裕がないと、続かないので」
さすがに1週間ずっと雨だと、ほんとに凹むけどね、とこぼす小島さん。
それでも、次の日になれば、これまでの雨が嘘みたいに晴れることがある。なにもかも濡れていた風景が、太陽で一瞬で乾き、青空ひとつ見えただけの喜びたるや!
そうやって、晴れでも雨でも、「今なりのたのしさ」を拾い集められたほうが、自分を楽にできる。
そんなことを、山に行くたびに感じるそうです。
小島さん:
「ヨセミテ国立公園にあるトレッキングコースを20日間歩き通すという旅をしたことがあるんです。
女2人で、衣食住、全ての生活を完結させていく毎日。朝、日の出とともに起きたら、まずお湯を沸かし、ご飯を作り、テントを片して撤収。(自然のなかにいると、日常よりも寝坊もしなくなります)
もちろん、その日の歩くスケジュールは、旅に出る前に大雑把に組んで行きます。20日後という帰国日があらかじめ決まってますから。
でも、山歩きの面白いところは、予定通りにいくなんて滅多にないこと。その日の体調や天気に左右されるから、本当はもっと歩き進めたいけれど、思ったより道のりがハードだったから『今日はもう終わりにして、ここでのんびりしよう』とか、当初ここまで来たらOKだったけど『元気だし、まだ太陽も出ているからもう少し行っちゃおう』とか、ゴールは臨機応変に。
あんまり目標を決めすぎても、自然相手ですから、時に諦めることも出てくる。それでも楽しめる余裕がないと、自分が勝手に窮屈になるだけなんだと知ったんです」
そうして今日の終着点を決め、日が暮れるまでに寝る場所を確保。明日起きればまた1日のゴールを引き直し、着実に最終地点をめざします。
▲山へ行くとなると、必ず一度はメニューに登場するという、通称「山のホットケーキ」。その時々の山のプランによるが、牛乳、卵、バター、生クリーム、フレッシュな果物、鉄製のフライパン、ホットケーキと相性のいいコーヒー豆を背負って歩く。キャンプ地近くで採取した野生のベリーを添える楽しみも。
こうして10数年続いてきた、小島さんの山歩き。
人に気持ちを伝えるのが下手だと思っていたけれど、山という場所では言えることに気が付いたり、天候などで自分の目的が達成できなくても「まあ、いっか」と受け入れるすべを知ったり。
そんな山から教わったことは、どうやら普段の生活にもうまく活用できるようです。
(つづく)
【写真】平本泰淳
もくじ
小島 聖
女優。東京都出身。1999年、映画『あつもの』で第54回毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。柔らかな雰囲気と存在感には定評があり、感性豊かな表現で見ている人を魅了する。コンスタントに映像作品に出演する一方、話題の演出家の舞台にも多く出演。近年の出演作に映画『続・深夜食堂』、舞台『この熱き私の激情』、『誤解』など。ほかにもCM出演や著書『野生のベリージャム』の刊行など幅広く活躍する。
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