【57577の宝箱】あのころの夢が身体に染み渡る 休みの朝のフレンチトースト

小説家 土門蘭

「将来の夢は?」
と尋ねられても、答えられない子供だった。

バレリーナになりたい、漫画家になりたい、獣医になりたい、先生になりたい。
友達の夢を聞きながら、さて自分はと考えてみても、優れているところも得意なこともなかったので、大人になったとき自分がどんな仕事をしているのか全然想像できなかった。もしかしたら、脳内にストッパーがかかっていたのかもしれない。叶うかどうかもわからない夢を持つのが、こわいことのように感じていたから。

その反動だろうか。将来の夢はなかったが、「やれば叶う」小さな夢ならたくさんあった。
たとえば、大人になったら行きつけの喫茶店をつくりたい、フローリングの部屋に住みたい、好きな音楽をかけながらドライブしたい、ハイヒールを履きたい、エアメールを出したい、きれいに爪を塗りたい……などなど。
生活の中のささやかな喜び。その大半は自分の実生活にはなく、本や映画の中の大人たちから学んだものだった。そういったものに憧れながら、いつか自分もそういう喜びを手に入れられる大人になろう、と思っていた。

わたしはこういう「やれば叶う」夢を、切り札のようにとらえていた。
人生のなかでしんどくなったときに差し出す、魔法のカード。それさえあれば、つらいときでも切り抜けられるというような。
だからわたしは、その魔法のカードを大事にしまっていた。「いざというときに使うんだ」と言って、しんどいときもつらいときも「まだ大丈夫」と出し渋って。
結果、月日だけが過ぎていき、大人になってからずいぶん経っても、夢は滅多に叶えられないまま、心の奥深くに数多く残っていた。

§

そういった夢のひとつに、「休日の朝にフレンチトーストを作りたい」というのがある。

その夢が生まれたのは、大学生のときだ。
本屋さんでアルバイトをしているとき、ふと雑誌を開いたら、フレンチトーストの写真が載っていた。きれいなきつね色に、おいしそうな焦げ目。粉砂糖がうっすらと初雪のように積もっていて、てっぺんには木苺のジャムが乗っている。
モデルさんは、休日の朝にはよくこれを作るのだ、と言っていた。「私も娘も、フレンチトーストが大好きなので」と。

こんなフレンチトーストが、なんでもない休みの日に、家で食べられるだなんて!
わたしは驚嘆した。なんて豊かな朝、豊かな生活なんだろう。すごく羨ましい。
そのときまでわたしは、フレンチトーストを作ったことがなかった。喫茶店で食べたことはあったが、あれはお店で食べるものだと思い込んでいて、自分で作ろうとは考えたこともなかった。だけど、あんなにおいしいものが自分で作れたらすごくいいだろうなと思った。いつか自分も休みの日の朝にフレンチトーストを作ってみよう、きっととても幸せな気持ちになるのだろうと。

友人にその話をしたらびっくりされて、「フレンチトーストなんて簡単につくれるよ」と言われた。作り方を教えようか?とまで言ってくれたのに、わたしはその申し出を断った。
「いざというときに作るからいい。そのときまでとっておくの」
すると友人は呆れたように笑って、
「いざというときじゃなくて、いま幸せな気持ちになればいいのに」
と言った。

でもわたしは、夢を叶えてしまうと、魔法のカードを出してしまうと、それが消えてしまいそうで怖かったのだ。

§

それから15年。
ある夜Instagramを眺めていたら、フレンチトーストの写真が流れてきた。あっおいしそうだな、と思って見ると作り方も書かれてある。「卵と牛乳と砂糖に浸して、バターで焼くだけ」……あれ? これでできちゃうの? 友人の言った通り、本当に簡単だったので驚いた。
「明日の朝、作ってみようかな」
ふと、そう思った。次の日は休みで、なんの予定もなかったからだ。長年の夢を叶えるのだと決めた瞬間から、明日がすごく良い1日になりそうな気がして、心がときめいた。

翌朝、わたしは食パンを包丁で半分に切り、レシピ通り、卵と牛乳と砂糖を混ぜた液体の中にゆっくりと沈ませた。フライパンでバターを熱し、ひたひたに染み込んだ食パンを寝かせる。焦げ目がついたら裏返し、ふたをして2,3分ほど蒸し焼きにした。

そうして、初めてのフレンチトーストはできあがった。粉砂糖も木苺のジャムもなかったので、かわりに蜂蜜とバニラアイスを用意する。お気に入りのお皿に乗せ、ナイフとフォークを持って席についた。

一口切り取り、口に入れる。
とてもおいしくて、「おいしい」と声に出して言った。
「すごくおいしい」

フレンチトーストは熱くて甘くて柔らかかった。これは夢の味だ、と思った。わたしは今、あの頃の夢を食べているんだなと。自分でそれを作ったのだという事実になかば驚きながら、きつね色に焼きあがった夢をナイフで切り取っては、次々と口の中に入れて頬張った。

卵と砂糖と牛乳の栄養分が、身体中に染み渡る。
満ち足りた気持ちになりながら、わたしは大切なことを理解した。
そうか、魔法のカードは、切っておしまいじゃないんだ。魔法はこの身にかけられて、わたしの一部になっていくんだ。

「いざというときじゃなくて、いま幸せな気持ちになればいいのに」
15年越しに聴こえた友人の言葉に、本当にそうだよね、と心の中で返事する。
魔法は解けない。夢は消えない。幸せな気持ちは、蓄積されるんだね。

§

とうに大人になっていたはずなのに「大人になるってこういうことなんだ」と、ようやく気づいた。大人になるっていうのは、自分で自分の夢を叶えて、自分の人生に魔法をかけていくということなんだ、と。

叶えていない夢がたくさんあることが、急に嬉しいことのように感じる。
これからわたしは、まだまだ大きくなれる。

 

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 


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