【私の転機】竹島水族館・小林さん(前編):せまい、古い、ペンギンもイルカもいない。なのに「面白い水族館」?

ライター 川内イオ

ペンギンもイルカもいないのに人気の水族館

6月のある平日、愛知県蒲郡(がまごおり)市にある市立水族館「竹島水族館」は、子どもから高齢者まで大勢の来場者で賑わっていた。

ペンギンもイルカもいない、古くて小さな水族館は、一風変わっている。例えば、どこの水族館にもある、水槽の横などに貼られた解説文。なんという種類で、どこどこの海に生息していて……というありきたりな情報ではなく、思わず足を止めて読み込んでしまいそうな内容が記されている。いくつかの魚の解説に貼られている「美味 水族館で見たら食べたくなる」というシールにも惹きつけられる。

「サギフエ 結論から言うと、サギフエは美味しい。漁師さんから死んでしまったサギフエが大量に持ち込まれると、たけすい(竹島水族館のこと)飼育スタッフは、喜んで持ち帰ります」

「ハリセンボン ワタシにウソをつくと針千本飲ませるわよ! あ、1000本も針無いんだった」

一般的な水族館ではあまり脚光を浴びることのない魚、カサゴやウツボの展示もユニークだ。

カサゴの水槽にはホームセンターで売られている穴の開いたコンクリートブロックが積まれていて、ひとつひとつの穴にぐしけん205、わじま206、ガッツ207などとマジックで書かれている。その穴にカサゴが入ると、「ああ、このカサゴは205号室のぐしけんさんなのか」と親しみがわく。

ウツボの水槽には、昔使われていた陶器製の水道管がいくつも置かれていて、それぞれにウツボが隠れるようにヌルっと入り込んでいる。目が小さくて歯が鋭く、狂暴そうな見た目をしたウツボが50匹、水道管から来場者に向けて顔をのぞかせている様子は独特の迫力がある。

お土産コーナーも、オオグソクムシを原料に使った「オオグソクムシせんべい」、カピバラの形をしたパッケージのお尻の部分からチョコが出てくる「カピバラの落し物」などが並び、個性的だ。いずれも大ヒット商品だという。

このようなユニークな展示で多くの人を集める竹島水族館だが、12年前の2010年には年間の来場者数が12万3000人と過去最低を記録し、館内は閑古鳥が鳴いていた。閉館の噂もあったというその最底辺期から、2019年に過去最高の47万人にまで来場者を増やした立役者が、現在、館長を務めている小林龍二(こばやし・りゅうじ)さん。

数々のアイデアと行動力で閉館の危機を救った小林さんの原動力はそう、魚への愛だった。

 

ひとりで水槽を眺めていた小学校時代

▲竹島水族館の館長・小林さん。今回の取材は現地に行くことは叶わずZoomでお話を伺いました。

1981年、三河湾に面した漁業が盛んな町、蒲郡市で生まれた小林さんにとって、海の生き物は物心つく前から身近な存在だった。

「父方の祖父は近海でカニを捕ったり海苔を採ったりする漁師、母方の祖父は遠洋漁業の漁師でした。ふたりとも売るのに余ったいろいろな魚や生き物を家に持って帰ってくるので、それを見せてもらうのが楽しみでしたね。たまに魚が生きていると、たらいで飼うこともありました」

子どもの頃は、「友人たちとサッカーやドッジボールをするよりも、ひとりで水槽を眺めているほうが好き」という内気な性格で、小学校3年生の時、友人の家で飼われていた熱帯魚を分けてもらい、飼育を始めると熱中。

中高生にもなると熱帯魚の飼育も本格化し、多い時には家に10個の水槽を並べ、親魚と小魚を分けて育てるほどに。そうして増えた熱帯魚をビニール袋に入れて近所のペットショップに持っていくと、いい値段で買ってくれた。

「月に5、6万円になってたので、お小遣いももらっていませんでした。熱帯魚を売ったお金でまた別の熱帯魚を買って増やして、とサイクルさせていたんです。母親から電気代、水道代を払いなさいと言われたので、納めていました(笑)」

熱帯魚を繁殖させて稼ぐ中高生は、珍しい。頻繁にペットショップに出入りしているうちに、さまざまな世代の熱帯魚の愛好家たちと知り合い、仲良くなった。この出会いが、小林さんのその後に大きな影響を与えたと振り返る。

「それまでは、ずっとひとりで水槽を眺めているようなおとなしくて暗い子だったんですけど、ペットショップで仲よくなった人たちとは、世代がぜんぜん違っても同じ話題で盛り上がれるんですよね。

自宅を訪ねて熱帯魚を見せてもらったり、いろいろ教えてもらったりして、同じ魚を好きな人たちと関わることがすごく楽しいということを知りました。

水族館のスタッフには、魚は好きだけど人間は好きじゃないという人も多いんですが、僕は幸運にも魚を通して人と交わることの面白さを知ることができたので、それは今もすごく役立っています」

 

乗り気ではなかった就職

海の生き物への興味関心が高まるばかりだった高校生の小林さんは、「イルカとかセイウチとかラッコとか、ペットショップや普通の人じゃ飼えないような生き物を飼ってみたい」と水族館の職員を志す。

地元の高校を卒業後の1999年、岩手県に校舎を構える北里大学水産学部(現海洋生命科学部)に進学した。学生時代には、日本屈指の規模を誇る鳥羽水族館に憧れ、「イルカやジュゴンの飼育員になって、華やかに仕事をしたい」と考えていた。

しかし当時は就職氷河期で、水族館のスタッフの求人も壊滅的に少なく、就職活動を始めた年の募集は全国の水族館でたったの5人ほど。小林さんはその狭き門を突破して竹島水族館に職を得たのだが、決してもろ手を挙げて万歳三唱するような気分ではなかった。

「竹島水族館は自宅から自転車で15分ぐらいなので小さい時から通っていましたし、大学生になってからも帰省した時には足を運んでいたので、当時のスタッフとは顔見知りだったんです。それで、ちょうど就職活動の頃、『うちの募集が出るから受けなさい』と言われて採用試験を受けることにしたんですが、正直に言って『こんなところはイヤだな』と思っていました」

なぜか? 竹島水族館にはイルカも、セイウチも、ラッコも、ジュゴンもいない。それに加えて、数少ない常連だった小林さんは知っていたのだ。いつもまったくお客さんがいないことを。

とはいえ、苛烈な競争を突破してほかの水族館で採用される可能性も低いという現実と、「実家から近くていい」という通勤の楽さもあって、竹島水族館に就職を決めたのだった。

 

観客ひとりの前でアシカのショー

2003年、唯一の新卒として働き始めた竹島水族館は、相変わらず閑散としていた。

市営のため、お客さんが来ても来なくても、決まった給料が支払われる。その安定した待遇もあってか、先輩職員たちは、時間帯によってはお客さんがひとりもいないという状況を気にする様子もなく、日々、たんたんと自分の仕事をこなしていた。その環境に馴染もうと、小林さんは自分に言い聞かせるようになった。

「好きな魚を飼って給料をもらえて、こんなに嬉しいことはない」

館内の様子を見て見ぬふりするようになって2年目、竹島水族館ナンバーワンの人気者、アシカのショーを担当することになった。ある夏の日、いざショーを始めようと舞台に立ったら、お客さんがいなかった。え!? 焦った小林さんは、館内でお客さんを探した。すると、サラリーマンがひとり、居眠りしていた。冷房が効いていて、爽やかにサボれる場所を求めてきたのだろう。

小林さんは、そのサラリーマンを無理やり起こし、「これからアシカショーをやるんで、観てください」と会場に連れて行って、なにがなんだかよくわからない様子のサラリーマンだけのために、アシカのショーを行った。その頃から、入社以来ずっと燻っていた竹島水族館への疑問や不満が、抑えきれなくなってきた。

「水族館は生き物を飼って見てもらう施設なのに、誰も見てくれないっていうのは、すごくかわいそうだなって思うようになったんです。別に好きで水槽に入ってるわけじゃないのに、生き物たちに迷惑なことをしてるなって。この水族館が潰れたほうが生き物たちのためになるんじゃないか、逃がしてあげたいって気持ちもありました」

水族館の経営を考えて、ではなく、生き物たちのために、もっとお客さんを入れなきゃダメだと感じるようになった小林さんは、先輩や上司に提案するようになった。

「お客さんに、水族館の裏側を案内しませんか?」

「時間を決めてスタッフが水槽の前に立って、この魚はこうですよって、説明しましょう」

しかし、「お前は魚の名前もろくに知らないんだから、そんなことを考える暇があったら、もっとこの水族館にいる魚の名前を覚えろ」「海に行ってなんか捕まえてこい」と言い返されて、なにを言ってもまともに取り合ってもらえない。それでもめげずに意見をしていたら、「下っ端が、生意気だ」と陰口を叩かれるようになった。

当然のように出勤するのが憂鬱になり、ほかの水族館でスタッフの募集が出ていないか、常に確認するようになった。それでも結局、しっぽを巻いて逃げ出すことはしなかった。

「働き始めるまで、学校の部活だとか、習い事だとか、そういったもののぜんぶが中途半端だったんです。やっと水族館の飼育員になって、自分の好きなことやってるのに、それも諦めちゃったら、なにもなくなるなって思ったので」

四面楚歌の職場で苦しんでいた時、ガス抜きになったのが当時流行っていたSNSのmixi(ミクシィ)。共通の興味関心を持つユーザーが集う「コミュニティ」という場でたまたま、隣りの県の小さな水族館で同じように四苦八苦していた同世代の飼育員と知り合い、メッセージで愚痴を言い合うことで互いを慰め合っていた。

それも限界に達し、いつやめようか……と思い詰めるようになった2009年の12月、竹島水族館の先輩がひとり退職した穴埋めに、欠員募集をかけることを知った。そこで小林さんはすぐに、mixiを通じて仲良くしていた飼育員に連絡をして、「こっちに来て、一緒にやらない?」と声をかけた。その誘いに応じて2010年春、竹島水族館に入社したのが、戸舘真人(とだて・まさと)さん。現在の副館長だ。

奇しくも、戸館さんが加入した2010年は前述したように年間の来場者数が12万5000人と過去最低だったが、この後、ふたりのコンビが竹島水族館を劇的に変えてゆく。

 

起死回生の「さわりんプール」

小林さんは、同志・戸館さんをこう評する。

「魚の名前もすごくよく知っていますし、知識豊富な大学院出のエリートです。同じクラスにいたら、友達にならないタイプですね(笑)。

でも、戸館は交渉が上手くて、先輩や上司にいいタイミングで話をしに行ったり、うまく先輩たちをよいしょよいしょしながら提案をするので、僕が同じこと言ってもだめだけど、戸館から言えばうまく通る。アイデアを出すのが得意な僕と互いにないものを持っていたので、それがうまくふたりでひとつになりました」

このコンビが最初にもたらした大きな変化は、「さわりんプール」。老朽化し、漏水するようになった回遊水槽の解体が決まった時、お客さんから「生き物に触れる水槽がほしい」という声を聞いた小林さんの提案で、「タッチングプール」の導入が決まる。

理想の水槽をイメージして見積もりを取ると3億円必要とわかったが、竹島水族館の予算は2500万円。ああでもない、こうでもないと頭をひねり、予算内に収めて完成したのが、地元である三河湾で豊富に水揚げされる深海生物、世界最大のカニ、タカアシガニのタッチングプールだ。

他の飼育員からは「タカアシガニに触るのは危ないのでは」「足がもぎ取られてしまったらどうするんだ」など反対の声も上がった。けれど竹島水族館には地元の漁師から頻繁にタカアシガニが持ち込まれ、ほかの水族館にも供給するほど。たくさんいるタカアシガニを交代制にしてストレスを減らすというアイデアで日本唯一のタカアシガニの「さわりんプール」を実現した。

さらに、さわりんぷーるの裏に「たけすいの小窓」と名付けた深海魚の水槽を並べ、2011年3月にオープンすると瞬く間に人だかりができるように。

その結果、2011年の来場者数は前年から一気に7万5000人増えて、20万人を超えた。

(つづく)

 

【写真】太田昌宏


もくじ

 

小林 龍二

1981年蒲郡市生まれ。地元高校卒業後、北里大学水産学部(現海洋生命科学部)を卒業して竹島水族館に勤める。さまざまな改革を繰り返して入館者増を図り、2015年より館長に就任。人間環境大学客員教授、専門学校浜松ルネサンス・ぺット・アカデミー講師。「愛知メダカ愛好会」会員でもある。近著は『驚愕!竹島水族館ドタバタ復活記』(風媒社)。

 


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