【ポケットに詩を】第一話:40歳を越えた頃、ふと誰かに呼ばれたような気がしました

編集スタッフ 津田

ほんとうの生き方ってなんだろう

自分が自分のままでいることを喜べたら、人生は大成功。そう話すのは、絵本と詩集の出版社「童話屋」の田中和雄(たなか・かずお)さんです。

田中さんを知ったのは、ある一冊の本がきっかけでした。文庫本だけど、どこか絵本のような、やさしい佇まいの詩集。パラパラとめくって「表札」という詩にこんな一節を見つけました。

 

自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。

精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。

「表札」(石垣りん)ポケット詩集

 

最後の二行を読むほどに、泣けてくるようでした。まるで「自分のままに生きなさい」と、おだやかに声をかけてもらったよう。

この詩が収められた『ポケット詩集』を作ったのが田中さんです。まえがきで「いい詩はみな、生きる歓びにあふれています。(略)読み返すたびに、階段をおりてゆくように、真実の底にたどりつくでしょう。生きていてよかった、と思う時が、かならず、きます」と言います。

好きな詩を見つけることは、自分を見つけることかもしれない。そんな思いを胸に、ある冬の日にお会いしてきました。たっぷり全三話でお届けします。

 

僕は40を過ぎてから「ありゃ」となった人間なんです

田中さんの仕事場はご自宅にあります。窓には木漏れ日がきらきら、近くの保育園からは子どもたちの可愛らしい声が届きます。

「ポケット詩集を読み、石垣りんさんの『表札』が好きになりました」とお伝えすると、田中さんはとても喜んでくれました。

田中さん:
「石垣さんに『あなたはこの詩を書くためにこの世界に生まれてきたのですね』と言いましたら、石垣さんは、ポッと頬を赤らめてにっこり笑いました。

そばにいた茨木のり子さんは深くうなずいて『その通りね。表札は石垣さんの代表作です』とおっしゃいました。

『表札』は存在の詩なんです。自分が自分のままに生きることは、何ものにもかえられないことだと、その歓びをうたっている。

でも考えてみたら、どう生きていくかというのは、本当は一人一人の問題なんです。突き詰めたら、根本の問題になっていく。自分は誰なんだろうって不思議に思うことが、みんな子どもの時分にあるはずなんだけど、僕はどういう訳か、そういうことを思わないでのほほんと大人になっちゃった。

それで40を超えたくらいの時に『ありゃ』となったんです。何かに呼ばれたような気がして、それで童話屋を始めたのかなあ」

 

稼ぎには人一倍熱心な青年だったけど……

田中さんは編集者になる前は広告マンとして働いていました。大学を卒業して博報堂に入社。30歳になった頃、月給2万円を「10万円にしよう!」と仲間たちとともに独立し、レマンという広告制作会社を創業しています。

田中さん:
「独立したら仕事なんかないぞ、と散々脅されたけど、すぐにお給料が4、5倍くらいになりました。時代ですね。銀座や赤坂で毎晩遅くまで飲んで、お金があるのはこんなにも楽しいことかと。

でも、ある時急にこわくなっちゃった。このままだとダメになっちゃうんじゃないかって。『一体いつまで遊んでいるんだ』『ずっとそんなことで生きていくのか』って自分の中から声が聞こえてくるんですよ。

僕が大人になりきれていなかったんでしょう。でも人生にはこんなふうに、何度か、自分の中から声が聞こえてくる瞬間があるみたいだなぁって、いま振り返ると思います。

それでデザイナーの島田光雄さんを誘って、二人で何かしようと、その創業した広告の会社も辞めちゃったんです」

 

そうだ、僕は本屋になりたかったんだ

田中さん:
「本屋になったのは、小学5年生くらいの時の記憶があったから。神保町によく遊びに行ってましてね。敗戦後、まだ焼け野原で、古本街に少しずつ店が戻り始めていた頃。蜜柑箱に岩波文庫が並んでいました。

そのうち一軒の店と仲良くなって、『ファーブル昆虫記』を読ませてもらったり、たまに店番をしたり、次はあれを読めと薦めてもらったり。それがすごく楽しかったんです。

大人になるまですっかり忘れていたけど『そうだ、僕は本屋になりたかったんだ』と思い出しました」

商売の勉強のため書店を回り、たまたま手に取ったのが絵本『しろいうさぎとくろいうさぎ』でした。

田中さん:
「黒いうさぎが白いうさぎに恋をして、勇気を出して打ち明けると、両思いだと分かるんです。そうすると、黒いうさぎがこういう顔をするわけ。まんまるの目。かわいいでしょう。こういう本は見たことがありませんでした。

絵本というものは、こんなふうに素晴らしい言葉と絵が一体となってストーリーを語るのかと驚きました。子どもの本とはいえすごいなと。それで子どもの本屋をやろうじゃないかと思ったんです」

 

『童話屋書店』を開いたのは42歳のこと

1977年に「童話屋書店」を開店すると、谷川俊太郎、まど・みちお、阪田寛夫、茨木のり子……、名だたる詩人や作家たちと、その店で出会うことに。

出版事業を始めたのは、そんな出会いがあったからでした。最初に出版したのは安野光雅の『魔法使いのABC』です。

田中さん:
「安野さんが、初対面の僕を喫茶店に誘って、紙ナプキンをばーっと広げて、おかしな絵を描いてみせてくれました。それが歪み絵(ひずみえ)です。

面白いなあと見ていたら『一緒に絵本を出そう』と言うので、『はい、出しましょう』って。出版なんて何もわからないけど、返事をしちゃった。それで半年くらいかけて真剣にアイデアを出し合って、ほんとうに面白かったです。

絵本や詩集など、本を作る仕事がとことん好きになりました」

 

自分の感受性なんて考えたこともない。ポカーンと頭を殴られたようだった

そんなある日、詩人の工藤直子さんが、同じく詩人の茨木のり子さんを連れて童話屋書店にやってきます。

田中さん:
「僕は不覚にも、その時は茨木さんのことを存じ上げなくてね。

それでも本屋の主人たるもの、慌てて店の棚に一冊だけあった茨木さんの『詩のこころを読む』を自前で買ってサインをいただきました。ただ、その日の茨木さんはほとんど無言で、正直にいうと印象が薄かったんです」

仕事後、馴染みのコーヒー屋に行き、茨木のり子が来たと話してから急展開。文学通の主人から「すごい詩人だ、ばかものよっていうおっかねえ詩を書くんだ」と聞き、ようやく興味が湧いてきたのだとか。

けれども『詩のこころを読む』には、茨木さん自身の詩は一つも紹介されていませんでした。

田中さん:
「翌日すぐに紀伊国屋書店に行って『自分の感受性くらい』を見つけて一読、打ちのめされました。頭をポカーンと殴られたみたいで呆然。本屋で立ち尽くしました。

そもそも、僕は自分の感受性なんて考えたこともないような人間だったんです。初心なんてものが果たしてあるのか。でも同時に『ここから人生をやり直しなさい』とやさしく叱ってもらったようでもありました。

それで、いつか編集者として力がついたら、自分の手で茨木さんの詩のアンソロジーを作ろうと心に誓いました」

 

いい詩には、人生を変える力がある

たっぷり15年の月日をかけて、たくさんの詩や短歌、俳句、童謡を読み、ようやく完成したのが茨木さんの作品を網羅的に収めた『おんなのことば』(童話屋)でした。これが全国の書店に並び、大きな反響を得ます。

その4年後には、冒頭に登場した『ポケット詩集』を出版。田中さんが60代半ばのことでした。

田中さん:
「僕にとって、茨木さんは詩のトビラを開けてくれた恩人です。

ポケット詩集は、はじまりの詩には『雨ニモマケズ』、おしまいの詩には『自分の感受性くらい』を置いて、これを双璧として編集しました。

この二篇と同じくらい精神の高いとびきりのいい詩ばかりを集めています」

大切なことを思い出させてくれた詩との出会い。だから「できるだけ多くの人に届けたい」という田中さん。第二話では、小学校で行っている『詩の授業』についてお聞きします。

(つづく)

 

【写真】キッチンミノル


もくじ

 

田中和雄(たなか・かずお)

1935年生まれ。大学卒業後、広告代理店を経て、1977年に童話屋書店を開く。子ども図書館(イトーヨーカ堂)の企画・運営に携わり、小学校での詩の教室も行う。安野光雅の絵本『魔法使いのABC』で出版を始め、くどうなおこの詩集『のはらうた』、詞華集『ポケット詩集』、絵本『葉っぱのフレディ──いのちの旅──』など、子どもの本の編集に力を注いでいる。

 


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